恋歌
君は杏子の唇をもつたおれの牧場である
二つの青い千鳥が
君の目の静かな水面をかき乱す
さうしておれはおれの疲労した魂をその中で洗ふ
もし西脇が視力の詩人だったら、書き出しはこんなふうにはならないだろうと思う。もっとイメージがわかりやすいように音の流れをととのえるだろう。
西脇の詩には必要以上に音の乱れがある。不規則な運動がある。
さうしておれはおれの疲労した魂をその中で洗う
この行の「さうしておれはおれの」は意味だけを考えれば「おれの」で充分である。「おれの疲労した魂をその中で洗う」だけで、「おれ」が「君の目」にうっとりしていることがわかる。
しかし、そうすると、何かが違ってくる。もし、最初の4行が、
君は杏子の唇をもつたおれの牧場である
二つの青い千鳥が
君の目の静かな水面をかき乱す
おれの疲労した魂をその中で洗ふ
という形であったら、イメージが速く動きすぎる。強くなりすぎる。ほんとうに書きたい行がどこなのか、錯乱するイメージの中で消えてしまう。
「さうしておれはおれの」という間延びしたことばは、「わざと」間延びさせているのである。速いリズムのなかにわざと湯くりしたリズムを混ぜる。そうすると、そのゆっくりしたリズムの内に、過ぎ去ったことばが舞い戻ってくる。そのイメージが戻ってくるのを待って、もう一度イメージをすばやく動かす。
「疲労した魂をその中で洗ふ」
このことばのなかにも、わざと「ゆったり」したもの、過ぎ去ったことばを呼び戻す工夫がされている。「その」。指示代名詞。「君の目の静かな水面」を指すのだが、この「その」の先行するイメージを呼び戻すという働きのために、ことばがただ疾走するのではなく、ダンスのようなリズムになる。そして「洗ふ」というゆったりしたことばが気持ちよく響く。それは「さうして」というゆっくりしたことばのリズムとも響きあう。
西脇はまたことばがもっている「平易さ」を有効につかってリズムの変化を創り出すとも言える。「さうして」「その」にそういう働きがあるが、また別の種類のものもある。 4連目。
彼女等は旅役者の偉大なる悲劇であつた
彼女等は黙考沈思する雲であつた
彼女等はメトロのガラス窓で夢みるのであつた
彼女等は可愛い馬鹿者であつた
彼女等は暑い掌中に溶解する雪であつた
彼女等は支那縮緬の薔薇の樹であつた
彼女等は雨の降る夕暮であつた
彼女等は露西亜人かブラジルの人であつた
「沈思黙考」ではなく「黙考沈思」。不思議な漢語とかけ離れた「もの」の結合によるイメージの錯乱のなかにあって、
彼女等は可愛い馬鹿者であつた
という1行。誰でもがわかることば。その息継ぎ。西脇の音楽には、息継ぎがあるから苦しくないのだ。どんなに飛躍しても、それが苦にならないのだ。
![]() | 詩人たちの世紀―西脇順三郎とエズラ・パウンド (大人の本棚)新倉 俊一みすず書房このアイテムの詳細を見る |