詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『百枕』(4)

2010-08-04 00:00:00 | 高橋睦郎『百枕』
高橋睦郎『百枕』(4)(書肆山田りぶるどるしおる、2010年07月10日発行)

 「菊枕--十月」。

ゆかしさよ昔菊綿菊枕

 「菊枕」とは枕の綿に菊の花びらをつめたもの。「眼を澄ませ頭を軽くするという。」という言い伝えを紹介したあと、高橋は、エッセイで杉田久女「白妙の菊の枕を縫ひ上げし」、高浜虚子「明日よりは病忘れて菊枕」という句のやりとりや、それから派生した久女のほととぎす除名、中国の童が王の枕(菊枕)をまたいだために山奥に捨てられた逸話やらをとりあげている。山奥に捨てられた童は、菊枕からしたたる露を飲んで七百歳にもなって童のままだったという。
 こういうことを、高橋は、次のように句にしている。

踏越えし咎めとは何菊枕

干菊の香を死の香とも菊枕

菊枕目の澄む果ては黄泉見えん

 久女の除名、童の追放は、愛憎とからんでいる。愛憎とは、死をこえて生きるものかもしれない。
 高橋は、次のように書いている。

王の枕を跨いだ咎とは何を指すか。おそらくは王の寵愛に傲った(と王の周辺が感じた)ことだろう。しかし、その結果、慈童は永遠の若さを獲る。いっぽう、師に熱愛を献げ忌避を蒙った久女は絶対孤独の中、五十七歳で逝く。

 どうも、愛と死は、相反する運動をするようである。いのちは残酷な運動のなかであらゆるものを輝かせる。それは、ある意味では「夢」なのかもしれない。
 高橋は、久女に次の句を捧げている。

白妙は傷みやすしよ菊枕

 「傷みやすい」もののなかに、「夢」の源流があるのか。あるいは「傷みやすい」と認識する意識の中に、永遠が「夢」のようにあらわれてくるのか。
 ことばは、失われていくもの、見えないものを、「いま」「ここ」に浮かび上がらせ、そして「ことば」として生き残っていく。
 どのことばのまわりにも、そういうことばがひしめいている。忘れ去られながらも、ひしめいている。高橋は、その「瀕死」のことばに、新しい力を注いでいる。
 高橋が、「菊枕」ということばを書き、そのまわりに「菊枕」につながることばを書くとき、「過去」が動きはじめる。
 あ、「夢」とは「過去」なのだ。




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高橋 睦郎
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