高橋睦郎『百枕』(18)(書肆山田りぶるどるしおる、2010年07月10日発行)
「枕木--十二月」。
枕木の霜。これは美しいなあ。レールの冷たい白は均一な、すきまのない白。枕木の下のバラストは荒々しく、すきまも目立つ。けれど枕木の上の霜はきめの細かい輝き。ほんものの木をつかった枕木だね。まだ眠りのなかにある街、夢からつづいているような長い線路。
「山眠る」だけならおもしろくない。「頃」がとてもおもしろい。意味的には「季節」ということになるのだが、「頃」には時間に巾をもたせて、漠然とさししめす感じもある。その「漠然」とした印象が、山が具体的に目の前にあるという印象をかき消す。「原木の山」は、どこかにある山、想像している山である。その想像の先にある山がきっと眠るころ--と想像している。真冬ではなく、冬に入る季節なのだ。街(駅のあるところ)はまだ冬には早い。けれど、きっと枕木の原木の山はもう冬に入っている(山眠る季節に入っている)ころだろう、と想像している。「頃」があるため、「山眠る」が現実ではなく、想像であること、推測であることが明確になり、それがこの句を逆に強いものにしている。想像とは、思いが遠くまでゆくことである。山の遠さが、「頃」によってはっきりしてくる。
寝台車(列車)のがたんがたんはレールの継ぎ目の音であり、枕木の数とは関係ないのだが、この句を読むと、枕木の数をがたんがたんと数えながら寝台車が走っている(寝台車のなかで枕木の数を数えながら眠っている)という感じがする。その数を数えながら、今年が行き、新しい年がくる。そのとき、枕木は線路を支えているだけではなく、その「枕」は寝台車で寝ているひとの「枕」そのものと重なる。
ことばは、間違いながら(間違えながら?)、入れ代わる。重なり合う。
*
反句、
「枕木」のかわりに「レール」でも「鉄道史」が変わるわけではない。けれども、やはり「枕木」がいい。二本のレールではなく、何万本もある枕木--そのそれぞれに、それぞれの「年」が、つまり「歴史」がある。
この句に先立ち、高橋は若くして戦死した叔父、鉄道員だった叔父の思い出を書いているが、「枕木」は死んでいった多くの、無名の若者をも連想させる。無名のひとりひとりにも、それぞれの「年」、つまり「歴史」がある。そのことに思いをはせている高橋--その視線のやさしさがにじむ。
「枕木--十二月」。
うちつづく幾枕木の霜の朝
枕木の霜。これは美しいなあ。レールの冷たい白は均一な、すきまのない白。枕木の下のバラストは荒々しく、すきまも目立つ。けれど枕木の上の霜はきめの細かい輝き。ほんものの木をつかった枕木だね。まだ眠りのなかにある街、夢からつづいているような長い線路。
枕木の原木(もとき)の山も眠る頃
「山眠る」だけならおもしろくない。「頃」がとてもおもしろい。意味的には「季節」ということになるのだが、「頃」には時間に巾をもたせて、漠然とさししめす感じもある。その「漠然」とした印象が、山が具体的に目の前にあるという印象をかき消す。「原木の山」は、どこかにある山、想像している山である。その想像の先にある山がきっと眠るころ--と想像している。真冬ではなく、冬に入る季節なのだ。街(駅のあるところ)はまだ冬には早い。けれど、きっと枕木の原木の山はもう冬に入っている(山眠る季節に入っている)ころだろう、と想像している。「頃」があるため、「山眠る」が現実ではなく、想像であること、推測であることが明確になり、それがこの句を逆に強いものにしている。想像とは、思いが遠くまでゆくことである。山の遠さが、「頃」によってはっきりしてくる。
枕木を数へ年逝く寝台車
寝台車(列車)のがたんがたんはレールの継ぎ目の音であり、枕木の数とは関係ないのだが、この句を読むと、枕木の数をがたんがたんと数えながら寝台車が走っている(寝台車のなかで枕木の数を数えながら眠っている)という感じがする。その数を数えながら、今年が行き、新しい年がくる。そのとき、枕木は線路を支えているだけではなく、その「枕」は寝台車で寝ているひとの「枕」そのものと重なる。
ことばは、間違いながら(間違えながら?)、入れ代わる。重なり合う。
*
反句、
枕木に年つもりけり鉄道史
「枕木」のかわりに「レール」でも「鉄道史」が変わるわけではない。けれども、やはり「枕木」がいい。二本のレールではなく、何万本もある枕木--そのそれぞれに、それぞれの「年」が、つまり「歴史」がある。
この句に先立ち、高橋は若くして戦死した叔父、鉄道員だった叔父の思い出を書いているが、「枕木」は死んでいった多くの、無名の若者をも連想させる。無名のひとりひとりにも、それぞれの「年」、つまり「歴史」がある。そのことに思いをはせている高橋--その視線のやさしさがにじむ。
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