詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『百枕』(18)

2010-08-18 12:00:00 | 高橋睦郎『百枕』
高橋睦郎『百枕』(18)(書肆山田りぶるどるしおる、2010年07月10日発行)

 「枕木--十二月」。

うちつづく幾枕木の霜の朝

 枕木の霜。これは美しいなあ。レールの冷たい白は均一な、すきまのない白。枕木の下のバラストは荒々しく、すきまも目立つ。けれど枕木の上の霜はきめの細かい輝き。ほんものの木をつかった枕木だね。まだ眠りのなかにある街、夢からつづいているような長い線路。

枕木の原木(もとき)の山も眠る頃

 「山眠る」だけならおもしろくない。「頃」がとてもおもしろい。意味的には「季節」ということになるのだが、「頃」には時間に巾をもたせて、漠然とさししめす感じもある。その「漠然」とした印象が、山が具体的に目の前にあるという印象をかき消す。「原木の山」は、どこかにある山、想像している山である。その想像の先にある山がきっと眠るころ--と想像している。真冬ではなく、冬に入る季節なのだ。街(駅のあるところ)はまだ冬には早い。けれど、きっと枕木の原木の山はもう冬に入っている(山眠る季節に入っている)ころだろう、と想像している。「頃」があるため、「山眠る」が現実ではなく、想像であること、推測であることが明確になり、それがこの句を逆に強いものにしている。想像とは、思いが遠くまでゆくことである。山の遠さが、「頃」によってはっきりしてくる。

枕木を数へ年逝く寝台車

 寝台車(列車)のがたんがたんはレールの継ぎ目の音であり、枕木の数とは関係ないのだが、この句を読むと、枕木の数をがたんがたんと数えながら寝台車が走っている(寝台車のなかで枕木の数を数えながら眠っている)という感じがする。その数を数えながら、今年が行き、新しい年がくる。そのとき、枕木は線路を支えているだけではなく、その「枕」は寝台車で寝ているひとの「枕」そのものと重なる。
 ことばは、間違いながら(間違えながら?)、入れ代わる。重なり合う。



 反句、

枕木に年つもりけり鉄道史

 「枕木」のかわりに「レール」でも「鉄道史」が変わるわけではない。けれども、やはり「枕木」がいい。二本のレールではなく、何万本もある枕木--そのそれぞれに、それぞれの「年」が、つまり「歴史」がある。
 この句に先立ち、高橋は若くして戦死した叔父、鉄道員だった叔父の思い出を書いているが、「枕木」は死んでいった多くの、無名の若者をも連想させる。無名のひとりひとりにも、それぞれの「年」、つまり「歴史」がある。そのことに思いをはせている高橋--その視線のやさしさがにじむ。



すらすら読める伊勢物語
高橋 睦郎
講談社

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松岡政則「口福台湾食堂紀行」

2010-08-18 00:00:00 | 詩(雑誌・同人誌)
松岡政則「口福台湾食堂紀行」(「現代詩手帖」2010年08月号)

 松岡政則「口福台湾食堂紀行」は、松岡が最近書きつづけている紀行詩の一篇である。「歩くとめし。/それだけでひとのかたちにかえっていく」と剛直に人間の本質から書きはじめている。(谷内注・「湾」は本文は正字)
 その後半。

路が岐かれている
えたいの知れない方をえらんでしまう
路地につもったねばつく時間
生活の残りがそこいらにぶちまかれ
まども洗濯物もはずかしい
ここには残酷であかるい生活の原質がある
知る、とは生まれてくるということだろうか
躰のなかまで触れにくる
ひかりのことをいうのだろう
「満腹食堂」には誰もいなかった
聲はつけっぱなしのテレビだった
カウンターに洗いものの粥碗や
大皿がかさねらたままになっている
それが、なんかまぶしかった
こんなのがいつか
ひかりになるのだろうと思った
日本語でもかまうことはない
「ごめんください!」

 「歩くとめし」は「生の原質」ということばで書き直されている。見つめなおされている。
 「生の原質」というとき、その「生」は「生きる」ということになると思うが、松岡はそれをすぐに「生まれる」ととらえ直している。「生きる」とは常に「生まれ」つづけることなのだ。「歩く」とは一歩一歩「生まれ」かわることである。
 道が分かれる。そのとき知っている道、なじみのある道ではなく、知らない道、知らないどころか「えたいの知れない」と感じてしまう方の道を選び、歩くというのは、自分自身のなかにある「えたいの知れない」何かを「生まれ」させるためである。
 「えたいの知れない」何かを「知る」。それが「生まれ」かわるということである。そのとき、松岡は「ひかり」に出合う。体のなかまで触れてくる「ひかり」。「ひかり」に触れるとは「ひかり」を「知る」ということであり、その「知る」というかたちで松岡は「生まれ」かわるのである。
 松岡が「満腹食堂」で出合うのは、清潔を超越した「生きる」力である。「歩くとめし」の「めし」を食い、「生きる」力である。「食う」ことが重要なのであって、その後片付けなどは、まあ、どうでもいい。その力に触れて、

それが、なんかまぶしかった

 そこに「ひかり」を感じている。「生まれ」かわるための力を感じている。

それが、なんかまぶしかった
こんなのがいつか

 「それが、」と読点「、」を挟んで、そこでひと呼吸おいて、「なんか」「こんなのが」という口語が剥き出しになったことばが動く。
 その前の「生の原質がある」とか「知る、とは生まれるということだろう」という、いわば、口語にはならないことば(書きことばそのもの)とは異質なことば。
 食堂の「生の原質」「ひかり」のなまなましさ。まっとうに見ることのできない「まぶし(さ)」に触れたあとでは、書きことば(文語)では太刀打ちできない。松岡自身が剥き出しの「いのち」になって向き合うしかない。
 その決意というとおおげさかもしれないが、「肉体」の勢い、体の奥からあふれてくるものが、読点「、」の直後の口語なのだ。

日本語でもかまうことはない

 と松岡は書くが、これは謙遜(と、こんなふうに「謙遜」ということばをつかっていいかどうかは、わからないのだが……)。「かまうことはない」ではなく、「日本語」でないと、向き合えないのだ。「日本語」を剥き出しにする。「なんかまぶしかった/こんなのがいつか」という口語そのままに、松岡自身の「肉声」で向き合うしかないのだ。
 他人ときちんと出会い、「生まれ」かわるためには、「肉体」でぶつからなければならない。同じように、「声」はつくられた「声」、あるいは学んだ「声」(具体的に言えば、中国語)ではなく「肉声」が必要なのだ。

 「肉声」ということばはふつうにつかうけれど、私が強調したいのは「肉・肉声」と書くしかないものである。単なる「肉声」ではなく、松岡の「肉体」をくぐり抜けた「肉声」。「肉体・声」。
 松岡の詩について、以前「肉・耳」というようなことばをつかって感想を書いたことがあると思うけれど(「肉・喉」だったかな?)、それに通じる「肉・肉声」である。「肉・肉声」ということばがないから、「肉声」とわかりやすく(逆にわかりにくく?)書くしかないのだけれど……。
 松岡のことばは、いつでも「肉体」をきちんとくぐり抜けている。そしてことばが「肉体」になっている。だから、読んでいて、楽しい。おもしろい。
 そういうことばに触れると、私自身のことばが叩き壊されていく。たとえば、簡単に「肉声」とつかっていたことばが、そのままの「肉声」ではなくなり、「肉・肉声」というような領域へ入り込んで、ことばから逸脱していく。
 こういう瞬間が、私にとって、詩を読む、という実感。


ちかしい喉
松岡 政則
思潮社

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