高木敏次『傍らの男』(思潮社、2010年07月25日発行)
高岡修『幻語空間』が「教科書」逸脱しない詩だとすれば、高木敏次『傍らの男』は「教科書」を逸脱する詩である。詩集である。タイトルこそ『傍らの男』と「教科書」風になっているが、一篇一篇の詩を読んでいくと、「教科書」を完全に逸脱している。
そして、その逸脱の仕方において、この詩集は今年いちばんの詩集である。今年読まなければならない、とびぬけた一冊である。
どこが「教科書」を逸脱しているか。「居場所」という作品で読んでみる。その全行。
寝たふりをして
あきれば
起きたふりをすればいい
私が
目をこすりながらベッドを見おろしている
おはよう
呼びかけると
水を飲んで
にせものの話になって
私が新しいシャツに着替えるまで
動けない
互いの眼が見開いて
ほかに居場所はなかったという
もっていくのは
リンゴにミルク
と言ったので
冷蔵庫から出してやる
私は何かかなしそうだったが
命がけで立っているようでもあった
次の日
私は
ことわりも言わず
出かけてしまった
どこが「教科書」を逸脱しているか。4、5行目が「逸脱」している。「私が/目をこすりながらベッドを見おろしている」。とくに4行目が「逸脱」している。「教科書」なら、この「私が」は「男が」である。詩集のタイトルにあるように、それは「傍らの男」である。「私」ではなく、「他者」である。「私」のなかにひそむ「他者」。あるいは「本当の私」ともいう存在である。
ひとはだれでも「私」自身のなかに、「私ではない存在」を感じている。それをはっきり見つめるために「男(あるいは、彼)」という「第三人称」をつかってあらわす。客観化しようとする。これが、これまでの「教科書」のスタイルである。
高木は、これを「私が」と書く。「私」と区別しないのだ。「他者」としてあつかわないのだ。「私」のなかには「私ではない存在」などいない。「私」のなかにいるのは「私」でしかない。だから、「私が」と書く。
これだけなら、しかし、高木の書いている「私」を「傍らの男」と置き換えて、「教科書」に還元できるかもしれない。(高岡修のしているのは、その「傍らの男」を「男」ではなく、別の存在、「比喩」に置き換え、「教科書」化するという詩法である。)ところが、高木は、無意識に(たぶん)、「教科書」に還元できない「私」を書いてしまう。
そこが、とてもおもしろい。
最後の方である。
私は何かかなしそうだったが
「私が」とは書けないのだ。「私は」と書いてしまうのだ。格助詞が「が」から「は」にかわってしまう。ここに高木の新しさ、複雑さ、おもしろさがある。
最初にもどる形で言いなおそう。「私が/目をこすりながらベッドを見おろしている」というのは「私」が見ている風景である。「私」は「私が/目をこすりながらベッドを見おろしている」のを見ているのである。4、5行目の前後には、「私は」と「見ている」が省略されているのである。
10、11行目の「私が新しいシャツに着替えるまで/動けない」は「私が新しいシャツに着替えるまで/(私は)動けない」のである。あらゆる行に「私は」が実は隠れている。その「私は」は完全に高木と一体であり、高木の「思想(肉体)」そのものであるから、高木にとって書く必要のないものである。だから省略し、書かなければならない「傍らの男」としての「私」を「私が」という形で書いている。
それが、「私は何かかなしそうだったが」で崩れてしまう。高木の「文法」が崩れてしまう。崩れてしまっても、書くしかない。この「誤謬」のなかに、高木の新しさ、私たちが読まなければならないすべてがある。
「私は何かかなしそうだったが」はほんとうは「私が何かかなしそうだったが」と書かなければならない。(高木の文法を強引に押し通すなら。)ところが、書けない。「私」を「傍らの男」に置き換えても、「傍らの男が何かかなしそうだったが」とは書きにくい。自然に(無意識に)「傍らの男は何かかなしそうだったが」になってしまうだろう。
格助詞が「が」から「は」になってしまう。
なぜだろう。
「かなしい」ということばが、格助詞を支配してしまうのだ。「私はかなしい」とは言えても「私がかなしい」とは言えない。「かなしい」、感情は「他人」にはなれないのだ。(これは、逆の言い方をすれば、たとえばだれかの悲しみを感じてしまえば、そのだれかはすでに「他人」ではなく、「私」とぴったりと一体化した存在である、ということになる。こういうことは、私たちはしばしば体験する。)
「私のなかの他人」(私のなかの、ほんとうの私)というものは、感情を基本に見つめなおせば存在しない。何かを感じるとき「私は」という言い方しかできない。
この「私は」にひきずられて、最後、
私は
ことわりも言わず
出かけてしまった
という表現になる。この「私は」は「私が」でいいはずである。「私が」でなければならない。けれど、「私は何かかなしそうだったが」と書いたために、そのときの「私は」が、ことばを支配してしまうのである。
この「誤謬」。
けれど、それはほんとうに「誤謬」と言い切れるのか。「教科書文法」に固執すれば「誤謬」になる。(このときの「教科書」はすでに、高木によって書き換えられた「教科書」ではあるのだけれど……。)
しかし、「誤謬」を通り越して、次のようにも考えることができる。
出かけていったのは、「私が」というときの「私」ではなく、つまり「傍らの男」ではなく、その「私(傍らの男)」を見ていた「私」である。そして、それを「私が」(傍らの男が)見ている--そう考えることができる。
省略されつづけた「私は」と、書き表されつづけた「私が」の、「私」そのものが入れ代わってしまったのだ、と考えることができる。
なぜ簡単に入れ代わることができるか。それは「私のなかの私」は「他人」ではないからである。あくまで「私」だからである。
「私」のなかに「他人」などいない。「私」のなかには「私」しかいない。それでも、その「私のなかの私」を「私」は、まるで「他人」のようにして「私が」と書き表すことができる。
「他人」(傍らの男)と書かずに「私」と書きながら、私は、私の感じている違和感のようなものを書くことができる。
この詩集をきちんと読むためには、私(谷内)自身の文法を一度叩き壊さなければならない。そういう手ごわい詩集である。興味深い詩集である。
高木の詩集に関する感想は簡単には書けない--ではなく、永遠に書けないかもしれない。でも、書いてみたい。書かずにはいられない。書かなければいけない。そういう気持ちにさせられる。書かないことには、日本語が動いていかない。
突然あらわれた詩人(私にとって突然ということで、すでに著名な詩人かもしれない)に、深く深く深く感謝したい。私は眼が非常に悪いのだが、文字が読めるあいだに、この詩集に出合えたことは、絶対に忘れない。
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