渡邉那智子「薔薇の刺青」(「投壜通信」01、2011年07月10日発行)
放射能(放射線)は見える。
渡邉那智子「薔薇の刺青」は、そのことを「肉体」をとおして「証言」する。放射能は肉体に触れると、見える形になる。どんなふうに見えるかを、渡邉は書く。そうすることで「放射能」を存在させる「科学」を告発する。
渡邉は「祈り」と書いている。
渡邉はこれまでも何度も何度も「告発」してきただろう。けれど、その告発は相手に届かない。渡邉に治療した医師にも届かないし、そういう「技術」を開発した人にも届かない。「技術」の基盤を支える「科学」そのものにも届かない。
「科学」というのは、ある運動については、とてもうまく説明ができる。合理的に考えることができる。そして、その対象の運動内においては「成果」を収めることができるものなのだろう。
けれど、その運動が他の存在にどんな影響を与えるかということはよくわからない。「科学的な治療」というのは一種の「仮定」である。だからこそ、「治験」というものがあるのかもしれないが、その「治験」にしろ、すべての状況に適応するとはかぎらないだろう。
渡邉は、そういうことを彼女自身の「肉体」で経験してきている。
加害者は、渡邉の「告発」を「例外」と判断するかもしれない。
しかし、医療(科学)にとって「例外」であっても、それは個人にとっては「例外」ではない。個人にとっては、どんなことであれ、「それだけ」なのである。「個別」であることが「すべて」なのである。渡邉の肉体に起きたことがらを「例外」として受け入れることは絶対にできない。
渡邉は、渡邉の個人的経験をひとりでも多くの人に知ってもらい、それを聞いた人たちが「放射能(放射線)」の影響について、考えてもらいたいのだ。
もし放射能(放射線)が自分の肉体に降り注いだとき、その肉体はどんなふうにそれに耐えるのか。どんな影響を受けながら生きていくのか。
いま、渡邉は、放射能(放射線)について何も考えて来なかった人々に対して、この「肉体」を見ることで考えてほしいと、「祈る」。
*
少し論理が飛躍するかもしれない。渡邉の詩の感想から離れてしまうことになるかもしれないが……。
私は、この渡邉の詩を読みながら、また、季村敏夫の『日々の、すみか』を思い出したのだ。
渡邉の放射能(放射線)による「肉体」の変化。それは、渡邉にとっては「遅れてあらわれ」てきたものではない。彼女にとって、「遅れてあらわれる」とは無縁のものだけれど、私から見ると、やはり「遅れてあらわれた」もののひとつに見える。
もし、東日本大震災が起きなくて、そして福島第一原発の事故が起きなければ、渡邉のこの詩は、こんなふうには書かれなかったに違いない。違うことばで書かれたに違いない。「祈り」ではなくもっと違う「告発」の形をとっていたと思う。
「祈り」の気持ちは、昔から渡邉の肉体のなかに、こころのなかに、あったのはまちがいがない。しかし、それをあらわす「機会」、それがあらわれる「機会」がなかった。--というより、私たちは、もし渡邉がそういう詩を何度も何度も書いてきていたとしても(そして読んでいたとしても)、渡邉には申し訳ないが、それは渡邉の「個別」の問題としてしか理解できなかったと思う。
いま、私たちは、ようやく渡邉の「声」を理解できるところにたっている。渡邉の「祈り」に共感できるところにいる。
「出来事」ではなく、私たちが「おくれて/渡邉の前に/あらわれた」ということなのだ。福島第一原発の事故があって、私たちははじめて真剣に渡邉の「祈り」を聞くことができるようになった。
「出来事」--「いま/ここ」で何が起きているか、何が起きたのか--それがわかるのは、いつでも「遅れて」からなのだ。それが起きているときは、何もわからない。それが起きてしまって、あ、そういえば、こういうことがあった。放射能(放射線)による被害がこういう形でもあったということを、私たちは「過去」から学ぶのである。
「過去」だけが、「いま」を突き破って、「未来」へ進むことができる。「未来」へ進んでいく「過去」のことを「出来事」と呼ぶことができるのだ。
渡邉の体験した「放射線治療」の結果--その過去。その過去が語る放射能(放射線)の影響力が、「いま」の私たちを突き破って「未来」へと突き進む。渡邉の肉体の体験は、渡邉にとっては「過去」であるけれど、私たちにとっては「未来」なのだ。
「未来」だからこそ、「祈る」のである。
渡邉が大震災によってどういう被害を受けたのかわからないまま書くのだが(あまり大きな被害を受けなかったと仮定して書いているのだが……)、大震災の被害を直接受けなかった人にも、たしかに「出来事は遅れてあらわれる」。その遅れてあらわれた出来事を、いま、起きている出来事と重ね合わせる--そういうことばの運動が、「詩の礫」の現場とは違った場所で、確実に動きはじめている。
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放射能(放射線)は見える。
渡邉那智子「薔薇の刺青」は、そのことを「肉体」をとおして「証言」する。放射能は肉体に触れると、見える形になる。どんなふうに見えるかを、渡邉は書く。そうすることで「放射能」を存在させる「科学」を告発する。
私の右腕には大きな薔薇の刺青があった。生まれたとき看護婦さんが間違えて熱湯をかけてしまったと聞いていた。桃色と白の斑模様。ときどき地図のような筋目からじくじくと血膿が流れ出る。痛痒さに掻いてしまうので、硬く盛り上がった花弁がポロポロと剥げ落ちる。夏は包帯を巻いて通学した。長じてそれが放射線によるケロイドだと知らされた。赤ん坊の私の腕にあった赤い痣。内地で治しておこうと両親は満州に渡る前に生後三ヶ月の私を東京の国際病院へ連れて行った。一回の照射でこうなってしまったと打ち明けたとき、母は肩を落とした。「小さい頃貴女は遊ぶ代わりに枕を抱いて部屋の中をゴロゴロしていた」とも。二十四歳のとき、薬品にかぶれて病院に行った。七分袖の夏服から覗くひきつれに医師は不審を抱いた。「このままだと癌になってしまうよ」お腹の肉を移植した。「ドラスティックに取りましょう。放射線ですから」薔薇は消えて大判となった。深くえぐられた腕は肉をついでも力が入らない。七十二年間不自由のまま生きてきた。原子力に託した夢の縮図。繰り返される無知ゆえの過信。この体験を話すことが私の祈りだ。
渡邉は「祈り」と書いている。
渡邉はこれまでも何度も何度も「告発」してきただろう。けれど、その告発は相手に届かない。渡邉に治療した医師にも届かないし、そういう「技術」を開発した人にも届かない。「技術」の基盤を支える「科学」そのものにも届かない。
「科学」というのは、ある運動については、とてもうまく説明ができる。合理的に考えることができる。そして、その対象の運動内においては「成果」を収めることができるものなのだろう。
けれど、その運動が他の存在にどんな影響を与えるかということはよくわからない。「科学的な治療」というのは一種の「仮定」である。だからこそ、「治験」というものがあるのかもしれないが、その「治験」にしろ、すべての状況に適応するとはかぎらないだろう。
渡邉は、そういうことを彼女自身の「肉体」で経験してきている。
加害者は、渡邉の「告発」を「例外」と判断するかもしれない。
しかし、医療(科学)にとって「例外」であっても、それは個人にとっては「例外」ではない。個人にとっては、どんなことであれ、「それだけ」なのである。「個別」であることが「すべて」なのである。渡邉の肉体に起きたことがらを「例外」として受け入れることは絶対にできない。
渡邉は、渡邉の個人的経験をひとりでも多くの人に知ってもらい、それを聞いた人たちが「放射能(放射線)」の影響について、考えてもらいたいのだ。
もし放射能(放射線)が自分の肉体に降り注いだとき、その肉体はどんなふうにそれに耐えるのか。どんな影響を受けながら生きていくのか。
いま、渡邉は、放射能(放射線)について何も考えて来なかった人々に対して、この「肉体」を見ることで考えてほしいと、「祈る」。
*
少し論理が飛躍するかもしれない。渡邉の詩の感想から離れてしまうことになるかもしれないが……。
私は、この渡邉の詩を読みながら、また、季村敏夫の『日々の、すみか』を思い出したのだ。
出来事は遅れてあらわれる
渡邉の放射能(放射線)による「肉体」の変化。それは、渡邉にとっては「遅れてあらわれ」てきたものではない。彼女にとって、「遅れてあらわれる」とは無縁のものだけれど、私から見ると、やはり「遅れてあらわれた」もののひとつに見える。
もし、東日本大震災が起きなくて、そして福島第一原発の事故が起きなければ、渡邉のこの詩は、こんなふうには書かれなかったに違いない。違うことばで書かれたに違いない。「祈り」ではなくもっと違う「告発」の形をとっていたと思う。
「祈り」の気持ちは、昔から渡邉の肉体のなかに、こころのなかに、あったのはまちがいがない。しかし、それをあらわす「機会」、それがあらわれる「機会」がなかった。--というより、私たちは、もし渡邉がそういう詩を何度も何度も書いてきていたとしても(そして読んでいたとしても)、渡邉には申し訳ないが、それは渡邉の「個別」の問題としてしか理解できなかったと思う。
いま、私たちは、ようやく渡邉の「声」を理解できるところにたっている。渡邉の「祈り」に共感できるところにいる。
「出来事」ではなく、私たちが「おくれて/渡邉の前に/あらわれた」ということなのだ。福島第一原発の事故があって、私たちははじめて真剣に渡邉の「祈り」を聞くことができるようになった。
「出来事」--「いま/ここ」で何が起きているか、何が起きたのか--それがわかるのは、いつでも「遅れて」からなのだ。それが起きているときは、何もわからない。それが起きてしまって、あ、そういえば、こういうことがあった。放射能(放射線)による被害がこういう形でもあったということを、私たちは「過去」から学ぶのである。
「過去」だけが、「いま」を突き破って、「未来」へ進むことができる。「未来」へ進んでいく「過去」のことを「出来事」と呼ぶことができるのだ。
渡邉の体験した「放射線治療」の結果--その過去。その過去が語る放射能(放射線)の影響力が、「いま」の私たちを突き破って「未来」へと突き進む。渡邉の肉体の体験は、渡邉にとっては「過去」であるけれど、私たちにとっては「未来」なのだ。
「未来」だからこそ、「祈る」のである。
渡邉が大震災によってどういう被害を受けたのかわからないまま書くのだが(あまり大きな被害を受けなかったと仮定して書いているのだが……)、大震災の被害を直接受けなかった人にも、たしかに「出来事は遅れてあらわれる」。その遅れてあらわれた出来事を、いま、起きている出来事と重ね合わせる--そういうことばの運動が、「詩の礫」の現場とは違った場所で、確実に動きはじめている。
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