橋場仁奈「洗う」ほか(「まどえふ」17、2011年08月31日発行)
橋場仁奈「洗う」は、たぶん、東日本大震災後に書かれた詩である。その冒頭。
ここにはひとつのことばが省略されている。「思う」である。「想像する」である。
そうして、その「思う」がつみかさなって、
という1行が動く。最初に「思う」を補った行は、「私」と「他者」が離れている。けれど、思っている内に、その他人が「自分の身内」になる。自分の「肉体」とつながっている「いのち」になる。
「きれいにしてあげたい」と思うとき、もうそのひとは「私」そのものである。「きれい」な状態を、自分の状態として感じている。
この自然なことばの動きが美しい。
「もどってくるまで洗いつづける」ということばがあるが、このことばの前で、私は立ち止まってしまう。「もどってくる」とは、どういうことだろうか。服を洗っているとき、その服を着ていたひとはいない。遺体になっている。でも、「思う」気持ちのなかには、そのひとは「もどってくる」のである。
「もどってきたからだ」は、橋場の「からだ」に、そのままなってしまう。
道端で倒れ、苦しんでいるひとを見たら、私たちはその苦痛が自分のものではないにもかかわらず、苦痛そのものを理解する。肉体が感じてしまう。
同じことが、ここでは亡くなったひとに対して起きている。それも亡くなったひとなのに、生きているときの感覚で起きている。
もし生きていたら、砂が服と肌のあいだに入り込み、かゆい。
「首のうしろや足の裏」という具体的な場所がリアルである。橋場は、そのかゆみを知っている。覚えている。その「覚えている」ことのなかに、他人が、その「いのち」が甦ってくる。
「もどってくる」。
このとき、大震災で亡くなったひとは、たしかに「甦る」のである。
このあと、ことばはさらに「生きて」動いていく。「生」を強く思いながら動いていく。
*
斎藤貢「詩の非礼」(「交野が原」71、2011年09月20日発行)は、和合亮一の「詩の礫」を批判している。
「放射能」ではなく「放射性物質」である、という批判はたしかにその通りである。和合にも言い分はあると思う。詩が、どこまで「正確」であるべきかというのはむずかしい問題だが、その問題に向き合わないといけないことは事実である。
福島第一原発で何が起きたのか--そのことを点検するように、そのとき、詩は(ことばは)、どんなふうに動いたか、それも点検しなくてはならないという指摘は、真剣に受け止めなければならない。
--と、書くと、まるでひとごとみたいになってしまうが……。
「詩の礫」について、いろいろ書いてきた私は、ひとつだけ「弁解」しておきたい。私は、多くのひとが取り上げたけれども、取り上げなかったことばがある。スローガンのように繰り返されることばが、私には信じられない。
けれど、和合のことばが「ありがとう」からはじまっていることには、私はやはり衝撃を受けるのである。他の報道でも被災者の多くが何度も「ありがとう」と繰り返しているのを読んだ。それを読む度に、私はとても不思議な気持ちになった。被災者は助けられて当然だし、なぜもっと早く助けにこないんだと怒ってあたりまえの状況のなかで、「ありがとう」ということばが動く--そのことばの側に、なんとかしてたどりつきたい、そのことばを動かしているものに、なんとかして触れたいという気持ちがある。
斎藤の書いていることばはわかる。その怒りはわかる。けれど、私には和合を初め、多くのひとが「ありがとう」から始めたときのことばが、実はわからない。わからないから、知りたい。
橋場仁奈「洗う」は、たぶん、東日本大震災後に書かれた詩である。その冒頭。
砂がたまっているんです
たらいの底にたまっているんですよ
洗いながら年寄りだなとか若いんだなとか
娘や息子とおなじくらいかなとか
なんども洗うんですよ遺体の服を洗うんです
なるべくきれいにしてあげたいから
いちまいいちまい洗うんです
ここにはひとつのことばが省略されている。「思う」である。「想像する」である。
洗いながら年寄りだなとか若いんだなとか「思う(思うんです)」
娘や息子とおなじくらいかなとか「思う(思うんです)」
そうして、その「思う」がつみかさなって、
なるべくきれいにしてあげたい「と思う」から
という1行が動く。最初に「思う」を補った行は、「私」と「他者」が離れている。けれど、思っている内に、その他人が「自分の身内」になる。自分の「肉体」とつながっている「いのち」になる。
「きれいにしてあげたい」と思うとき、もうそのひとは「私」そのものである。「きれい」な状態を、自分の状態として感じている。
この自然なことばの動きが美しい。
ふり洗いするんです
ふりふりのついたちいさな服もあります
ちいさなてあし、つめ、ぽんほこりんのおなか、ぬれた髪の毛いっぽんいっぽんかるがるとぬけでて服だけになってからだここになくないからだふり洗うもどってくるまで洗いつづけるときどき首のうしろや足の裏がかゆいあそこもここもかゆいかゆい砂がはさまってけれども洗うんです洗いつづけるんです
「もどってくるまで洗いつづける」ということばがあるが、このことばの前で、私は立ち止まってしまう。「もどってくる」とは、どういうことだろうか。服を洗っているとき、その服を着ていたひとはいない。遺体になっている。でも、「思う」気持ちのなかには、そのひとは「もどってくる」のである。
「もどってきたからだ」は、橋場の「からだ」に、そのままなってしまう。
道端で倒れ、苦しんでいるひとを見たら、私たちはその苦痛が自分のものではないにもかかわらず、苦痛そのものを理解する。肉体が感じてしまう。
同じことが、ここでは亡くなったひとに対して起きている。それも亡くなったひとなのに、生きているときの感覚で起きている。
首のうしろや足の裏がかゆいあそこもここもかゆいかゆい砂がはさまって
もし生きていたら、砂が服と肌のあいだに入り込み、かゆい。
「首のうしろや足の裏」という具体的な場所がリアルである。橋場は、そのかゆみを知っている。覚えている。その「覚えている」ことのなかに、他人が、その「いのち」が甦ってくる。
「もどってくる」。
このとき、大震災で亡くなったひとは、たしかに「甦る」のである。
このあと、ことばはさらに「生きて」動いていく。「生」を強く思いながら動いていく。
生きていたときみたく悪態もつけず皿やまくらもなげつけれんのがくやしくもどかしいです髪の毛からも砂がこぼれあしの指と指のあいだみずむしだった爪と爪のあいだに砂がざらざらあたまざらざらざら砂がたまってゆく
*
斎藤貢「詩の非礼」(「交野が原」71、2011年09月20日発行)は、和合亮一の「詩の礫」を批判している。
放射能が降っている、と。
無責任な言葉をまき散らして、ふるさとから逃げ出したのだから。
その言葉の軽さに、あなたは恥じなければならない。
軽はずみな言葉は、ひとをも土地をも、傷つける。
無責任で、根拠なしに放たれた言葉が、魂の叫びだなんて。
放射能は降らない。
むしろ、被災者からの礫が、あなたに向けられるだろう。
無言の。怒りの。なみだの。つぶてが。
(略)
放射能は降らないが、
放射性物質の。ヨウ素やセシウムは、風に飛び散ったろう。
だが、
ほんとのふくしまの空に降り注いだのは、
放射性物質ではなかった。
ヨウ素やセシウムのような、揮発性の高い数多(あまた)の言説。
軽くて。無責任な。嘘偽りの。罪悪な。まやかしの。偽善者の。
言葉の放射能。
「放射能」ではなく「放射性物質」である、という批判はたしかにその通りである。和合にも言い分はあると思う。詩が、どこまで「正確」であるべきかというのはむずかしい問題だが、その問題に向き合わないといけないことは事実である。
福島第一原発で何が起きたのか--そのことを点検するように、そのとき、詩は(ことばは)、どんなふうに動いたか、それも点検しなくてはならないという指摘は、真剣に受け止めなければならない。
--と、書くと、まるでひとごとみたいになってしまうが……。
「詩の礫」について、いろいろ書いてきた私は、ひとつだけ「弁解」しておきたい。私は、多くのひとが取り上げたけれども、取り上げなかったことばがある。スローガンのように繰り返されることばが、私には信じられない。
けれど、和合のことばが「ありがとう」からはじまっていることには、私はやはり衝撃を受けるのである。他の報道でも被災者の多くが何度も「ありがとう」と繰り返しているのを読んだ。それを読む度に、私はとても不思議な気持ちになった。被災者は助けられて当然だし、なぜもっと早く助けにこないんだと怒ってあたりまえの状況のなかで、「ありがとう」ということばが動く--そのことばの側に、なんとかしてたどりつきたい、そのことばを動かしているものに、なんとかして触れたいという気持ちがある。
斎藤の書いていることばはわかる。その怒りはわかる。けれど、私には和合を初め、多くのひとが「ありがとう」から始めたときのことばが、実はわからない。わからないから、知りたい。