江夏名枝『海は近い』(6)(思潮社、2011年08月31日発行)
「海は近い」の「6」の書き出し。
「はぐれやすくても」の「ても」は不思議なつかい方である。ふつうは、「はぐれやすいので、とどめておくことはできない。」あるいは「はぐれやすいから、とどめておくことはできない。」と「理由」を明示することばをつかうと思う。
なぜ、「ても」なのか。はぐれやすい「なら」、ピンを外さず、とどめておけばいい。江夏は何を書きたいのか。
江夏の書きたいことを理解するには、ことばを補う必要がある。
「わかっていても」あるいは「知っていても」の「ても」だけが、「はぐれやすい」に結びついてことばを動かしている。
作者は、作者本人にはわかっていること、知っていることを省略してしまいがちである。そして、その省略のために、その文章が読者にはわかりにくくなっていることがある。
「わかっている」「知っている」ということばが省略されていると判断した上で(想定した上で)、最初の文章を読み直してみる。そうすると「はぐれやすい心をとめたピンを外す」の「心」がくっきりと見えてくる。
「わかる」「知る」という「認識」の動く「肉体の場」はどこか。「頭」で「わかる」。「頭」で「知る」。
「心」は「頭」とは別なものである。
江夏は、「心」と「頭」を明確に区別して考えている。(感じている。)
そこで、「1」に戻ってみる。
江夏は「心の複製」と書いている。「頭の複製」ではなかった。あるいは「言葉の複製」でもなかった。
「くちびるの声がくちびるを濡らし」という書き出しを思うと、「頭の複製」はともかくとして、「言葉の複製」ではなぜいけないのか、という疑問も起きるが。
その疑問を手がかりにして考え直すと、「言葉」というのものが、江夏にとっては「頭」で処理するものではなく、「心」で処理するものだからということにならないか。「言葉」を江夏は「心」で動かす。「心」で「複製」する。
つまり、「反復」する。--「複製」とは「反復」のことである。
は、
さらに、書き出しに戻ってみる。
ほんとうは、そういうことなのだと思う。
私がことばを補足した文ではあまりにもことばが重複する。そして、その重複する部分というのは、江夏にはわかりきっている。だから、そのわかりきった部分を無意識的に省略して、江夏は、
という形にしてしまう。
わかりきったことば、知っていることがらは、いつでも省略されてしまう。
その省略された部分--私は、それを「肉体となっていることば」と呼ぶのだが、その「肉体」に触れると、その詩がおもしろくなる。
「肉体」に触れると、その「肉体」が動くのがわかる。--これは、まあ、私の錯覚かもしれないが、その「肉体」の動きがわかって楽しくなる。
そのときから、詩を読むことは、セックスと同じになる。
「肉体」にさわる。「肉体」が動く。「肉体」はいやがって動いているかもしれないが、これを、まあ、私は「快楽」で動いていると錯覚する。
詩に、戻る。
「消えてしまう……消えてしまうのではなく」という言い直し、その反復の形に、江夏の「頭」と「心」の明確な区別を読みとることができる。
歓喜すら消えてしまうと「心」は感じるが、「頭」はそれを消えてしまうのではなく、わたしはまたそこ(歓喜)から離れていく--と、言いなおす。反復する。複製する。
あるいは、
歓喜すら消えてしまうと「頭」は認識する(知る、わかる)が、「心」はそれを消えてしまうのではなく、わたしはまたそこ(歓喜)から離れていく--と、言いなおす。反復する。複製する。
--ふたつの文を考えることができるが、「頭」ではなく「心」でことばを動かすのが江夏の方法だから、この場合は、後者が、江夏の感じていることに近いはずである。
それを証明するように、いまの文章は次のようにつづいていく。
「だから」ということばは「頭」で動かす論理的な接続詞にも見えるが、最後の「願っている」の「主語」は「頭」ではなく「心」である。ひとは「頭」では願わない。「心」で願う。「心」から願う。
「心」が「言葉」を「複製(反復)」する。そうして、「心」は増えていく。
うーん、
君恋ふる心はちぢにくだくれどひとつも失せぬ物にぞありける
和泉式部を思い出してしまう。
「心」は「複製」され、増幅し、「いま」「ここ」がどうにもならないくらい「濃密」になっていく。
「海は近い」の「6」の書き出し。
はぐれやすい心をとめたピンを外す。はぐれやすくても、とどめておくことはできない。
「はぐれやすくても」の「ても」は不思議なつかい方である。ふつうは、「はぐれやすいので、とどめておくことはできない。」あるいは「はぐれやすいから、とどめておくことはできない。」と「理由」を明示することばをつかうと思う。
なぜ、「ても」なのか。はぐれやすい「なら」、ピンを外さず、とどめておけばいい。江夏は何を書きたいのか。
江夏の書きたいことを理解するには、ことばを補う必要がある。
はぐれやすい「とわかってい」ても、とどめておくことはできない。
「わかっていても」あるいは「知っていても」の「ても」だけが、「はぐれやすい」に結びついてことばを動かしている。
作者は、作者本人にはわかっていること、知っていることを省略してしまいがちである。そして、その省略のために、その文章が読者にはわかりにくくなっていることがある。
「わかっている」「知っている」ということばが省略されていると判断した上で(想定した上で)、最初の文章を読み直してみる。そうすると「はぐれやすい心をとめたピンを外す」の「心」がくっきりと見えてくる。
「わかる」「知る」という「認識」の動く「肉体の場」はどこか。「頭」で「わかる」。「頭」で「知る」。
「心」は「頭」とは別なものである。
江夏は、「心」と「頭」を明確に区別して考えている。(感じている。)
そこで、「1」に戻ってみる。
波打ち際にたどりついて、ここに現れるのは、あらゆる心の複製である。
江夏は「心の複製」と書いている。「頭の複製」ではなかった。あるいは「言葉の複製」でもなかった。
「くちびるの声がくちびるを濡らし」という書き出しを思うと、「頭の複製」はともかくとして、「言葉の複製」ではなぜいけないのか、という疑問も起きるが。
その疑問を手がかりにして考え直すと、「言葉」というのものが、江夏にとっては「頭」で処理するものではなく、「心」で処理するものだからということにならないか。「言葉」を江夏は「心」で動かす。「心」で「複製」する。
つまり、「反復」する。--「複製」とは「反復」のことである。
波打ち際にたどりついて、ここに現れるのは、あらゆる心の複製である。
は、
波打ち際にたどりついて、心はあらゆることを複製する。つまり、心はあらゆることを反復する。そして、反復するとき、ここに現れるのは、あらゆる心の複製である。
さらに、書き出しに戻ってみる。
くちびるを心が反復しくちびるというとき、その声は反復することでここにあらわれたくちびるの複製を濡らし、そのくちびるを反復し複製する心の、いま、ここに、同じように心が反復し複製した青の記憶があらわれ、それはいま、ここで、また反復され、複製され、鮮やかになる。
ほんとうは、そういうことなのだと思う。
私がことばを補足した文ではあまりにもことばが重複する。そして、その重複する部分というのは、江夏にはわかりきっている。だから、そのわかりきった部分を無意識的に省略して、江夏は、
くちびるの声がくちびるを濡らし、青はまた鮮やかになる。
という形にしてしまう。
わかりきったことば、知っていることがらは、いつでも省略されてしまう。
その省略された部分--私は、それを「肉体となっていることば」と呼ぶのだが、その「肉体」に触れると、その詩がおもしろくなる。
「肉体」に触れると、その「肉体」が動くのがわかる。--これは、まあ、私の錯覚かもしれないが、その「肉体」の動きがわかって楽しくなる。
そのときから、詩を読むことは、セックスと同じになる。
「肉体」にさわる。「肉体」が動く。「肉体」はいやがって動いているかもしれないが、これを、まあ、私は「快楽」で動いていると錯覚する。
詩に、戻る。
受け止めるものが、すぐに燃えさかってしまう。歓喜と呼ばれるものですら消えてしまう……消えてしまうのではなく、わたしはまたそこから離れてゆく。
「消えてしまう……消えてしまうのではなく」という言い直し、その反復の形に、江夏の「頭」と「心」の明確な区別を読みとることができる。
歓喜すら消えてしまうと「心」は感じるが、「頭」はそれを消えてしまうのではなく、わたしはまたそこ(歓喜)から離れていく--と、言いなおす。反復する。複製する。
あるいは、
歓喜すら消えてしまうと「頭」は認識する(知る、わかる)が、「心」はそれを消えてしまうのではなく、わたしはまたそこ(歓喜)から離れていく--と、言いなおす。反復する。複製する。
--ふたつの文を考えることができるが、「頭」ではなく「心」でことばを動かすのが江夏の方法だから、この場合は、後者が、江夏の感じていることに近いはずである。
それを証明するように、いまの文章は次のようにつづいていく。
だから、わたしはいつもあなたに見つめられていなければ、と願っている。
「だから」ということばは「頭」で動かす論理的な接続詞にも見えるが、最後の「願っている」の「主語」は「頭」ではなく「心」である。ひとは「頭」では願わない。「心」で願う。「心」から願う。
「心」が「言葉」を「複製(反復)」する。そうして、「心」は増えていく。
うーん、
君恋ふる心はちぢにくだくれどひとつも失せぬ物にぞありける
和泉式部を思い出してしまう。
「心」は「複製」され、増幅し、「いま」「ここ」がどうにもならないくらい「濃密」になっていく。
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