詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

三宅節子『砦にて』

2011-09-09 23:59:59 | 詩集
三宅節子『砦にて』(思潮社、2011年07月31日発行)

 三宅節子『砦にて』は独自のことばで動いている。そのために、ぐい、と引き込まれる瞬間がある。
 「過去への旅」のなかほど。

夜行列車の車窓をよぎるどの面影も
記憶の中のもっとも優しげな笑顔を見せ
早く昔の川をさがしに行こうと誘いかけてくる
ふるさとの駅に降り立つと
過去は過去で独自に進化していたことがわかった
コスモスがゆれていた風の平原には
銀行や商店のビルがびっしりと蝟集して
獰猛な息づかいでうずくまっていた
川は未来へ向かって荒れ狂う濁流だった
山裾の墓地はあちこちの山へ増殖をはじめ
濡れた樹々が必要以上にゆっくりと
息を吸ったり吐いたりしていた
気がつくと私もまた
同じリズムで息をしているのだった

 「過去は過去で独自に進化していたことがわかった」に私は引き込まれた。
 ふるさとを出てから何年にもなるのだろう。もどってみると、「私(三宅)」が変わったようにふるさとも変わっていた。その「ふるさと」を「ふるさと」という「場」を指すことばではなく「過去」という時間をあらわすことばで指し示しているところに三宅の「哲学(思想、肉体)」が出ている。
 どのような「場」も「場」だけがあるのではない。そこには「時間」もある。「場」と「時間」がからみあって「ふるさと」がある。「かわった」のは「場」ではなく、「時間」である。いや、その「場」を構成するものがかわったのだけれど、その変化は「時間」がもたらしたものである。コスモスの平原から銀行や商店のビルへの変化は、「時間」がもたらしたものである。
 このことを、三宅は「わかった」と書いている。そして、この「わかった」こそ、三宅の「哲学」の核心であると思った。
 「知った」と比較してみるとわかりやすくなるかもしれない。
 ふるさとが変化している(進化している)。それは、たとえば誰かから聞いて「知る」ということがある。また写真を見て「知る」ということもある。三宅は、そういうふうに「知った」のではない。「他人」を媒介にして、情報を得ることで「知った」のではない。直接、そこへ行って、自分の目で見て「進化」を「知った」。そして、それが直接三宅の「肉体」を通っているから、それは「知った」ではなく「わかった」なのである。
 「知った」と「わかった」の違いは--「知った」こと(他人から情報を得たことがら)は、それを「繰り返す」ことで誰か別のひとに伝えることができるが、そのときの「情報」はあくまで「繰り返し」である。「情報」に「変化」を加えてはいけない。加えると間違える」可能性があるだ。
 「わかった」は違う。三宅自身で「自在」につくりかえることができる。加工することができる。たとえば、銀行や商店がビルになっている。ビルがたくさん立っている。そのことを、

蝟集して

 と書く。私はこのことばをはじめて知ったが(辞書をひいて調べた)、「はりねずみの毛のように、多く集まるのをいう」(「漢語林」大修館書店)。あ、はりねずみって、日本にもいた?(中国にもいる?) と、一瞬驚くのだが、三宅はそのことばを知っている。わかっている。だから、だれもつかわないような(つかっているひとがいるかもしれないが、少ないだろう)ことばで、ビルの立っている様子を描写できる。
 さらに、その「はりねずみ」から、

獰猛な息づかいでうずくまっていた

 が力強く動いている。「蝟集」→はりねずみ→獣→「獰猛」→獣→息づかい(野生、荒々しさ)→うずくまる→はりねずみが毛を逆立てて丸くなっている→「蝟集」、というような、ことばの動きが感じ取れる。ことばが、緊密に呼応しているのが感じられる。
 さらには、そのことばの奥には「進化(論)」が隠れている。動物から人間へ、野生から文明へ。そういうことを「進化」と呼びがちだが、そういう運動とは別のものもあるかもしれない。「過去」へ旅するように、文明を破壊し野蛮へもどるという運動もあるかもしれない。
 そういうことも三宅は考えているかもしれない。
 三宅のことばには、つまり、いろいろなものがつまっている。そのいろいろなものを、関連させる形で、宮家流に動かしている。つかいこなしている。
 こんなふうにことばを動かすことができるのは、三宅が、「ふるさと」を、その「時間」の進化を三宅自身の「肉体」で見ているからである。そこに「肉体」が参加しているからである。「肉体」が、現実を、そしてことばをわかっているからである。
 「蝟集」も「獰猛」も、三宅は「知っている」のではなく、「わかっている」。だから、そのことばにあわせて「濁流」とか「増殖」というような「漢語」を同時に制御できる(つかいこなせる)のだ。
 
 三宅の「肉体」をさらに感じさせるのは、

気がつくと私もまた
同じリズムで息をしているのだった

 である。
 ふるさとにある木々。その木々が呼吸している。その呼吸と「同じリズム」で三宅も呼吸する(息をする)。息をするリズム--これは「肉体」そのもののリズムである。「頭」で考えるのではなく、「肉体」が「ふるさと」と反応し、呼応している。
 「肉体」でつかみ取ったものを「肉体」をとおしてはきだす--息を声にし、声をことばにする。その強さが「わかった」ということである。

 この「わかった」は「知」ではない。「知る」とは無関係のものである。つまり、「間違っている」可能性がある。「流通言語」として「世間」には「流通」しえないものを含んでいるかもしれない。だが、だからこそ、「わかった」なのである。
 「知っている」ではなく「わかっている」。「知っている」ことは「知ったことそのまま」に繰り返すしかないが、「わかっていること」は何度でもことばを変えながら、声にだしつづけることができる。
 三宅は、この詩集では「知っていること」ではなく、「わかっていること」を繰り返し繰り返し、ことばをかえて語る。ことばを、そんなふうにつかいこなしている。
 言い換えると、何度も何度も三宅の「肉体」の中へ中へと「旅」して、彼女自身の「肉体」の奥から「息」をはき出し、声にしている。「息」はこのとき「生き(る)」であるかもしれない。

シャワールームの鏡を通り抜けると
海辺の街は不思議な変身をとげていた
鱗のある太古の木が遊歩道を歩きまわり
瀟洒な洋館がゆらゆらと漂っていた
                               (「海辺の街」)

 これは、「精神(頭)」が見た「まぼろし」ではない。三宅の「肉体」の力が、その呼吸が、まわりにあるものを変身させるのである。
 「過去への旅」では木々に呼吸をあわせたのは三宅だったが、「海辺の街」では古木が三宅の呼吸にあわせて「同じリズム」を生きる。そのとき「洋館」というもの、いきものではないものさえ、動きはじめるのである。




砦にて
三宅 節子
思潮社
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誰も書かなかった西脇順三郎(230 )

2011-09-09 10:14:09 | 誰も書かなかった西脇順三郎
 『壌歌』のつづき。「Ⅲ」の部分。
 西脇のことばと音楽について考えるとき、次の部分はとてもおもしろい。

さてさて農夫の仕事はつらいものだ
夏など洗濯する衣が沢山ある
雲の上からは声がきこえなくなつた
柿の木の下で長い夜をひとりでねむるとは
ヤマノベの細道からフジをみるとは
おく山で鹿の鳴くのをきくとかなしくなる

 これは「百人一首」である。
 「さてさて農夫の仕事はつらいものだ」は「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」、「夏など洗濯する衣が沢山ある」は「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」。
 少し前に「結局買ったのは中学生の使つた百人一首の/註釈本」ということばがあるが、これはほんとうのことだったのかしらねえ。(笑い)その註釈本をぱらぱらめくりながら、「現代語」で書き流している。50行くらいつづく。なかには「君に差上げようと野原に出て/若菜をつんでいると淡雪が降つて来て/私のそでにふりかかつた」というていねいな(?)「現代語訳」もあるが、たいていは一部を叩き切るようにしてほうりだしてある。
 私は、そのなかでも「夏など洗濯する衣が沢山ある」がとてもおもしろいと思う。持統天皇の歌は、とても絵画的である。白くはためく衣が印象的である。初夏の透明な光がみえる。「衣ほすてふ」の「てふ」から、蝶々のひらめきも見えてくる。そういう「視覚」の世界が消えて、かわりに「洗濯」「沢山」という「音」のおかしさが楽しい。
 「沢山」はたぶん、前の行の「農夫の仕事はつらい」の「つらい」がひっぱりだしたことばで、「沢山」という「音」が「衣」を「洗濯」という音を引っぱりだしたのだろう。 こういう操作は西脇の本能のようなものかもしれない。
 西脇は、日本語(日本人)が知らずに身につけてきたことばをリズム、音のつながりを、断ち切って「音楽」をつくろうとしているように感じる。
 「万葉」から「古今」にかわったとき(?)、日本語の「音」のひびきは劇的に変わった、口語が文語に変わったという印象が私にはあるのだけれど、その文語をもう一度口語にひっくりかえすような変化を西脇のことばに感じる。
 こういうことは、まあ、印象に過ぎないので、うまく説明できない。
 でも、私の「西脇論」は印象、ここが好き、ここが嫌いということを書いているだけなので、説明できないくてもいいのだと思っている。

柿の木の下で長い夜をひとりでねむるとは
ヤマノベの細道からフジをみるとは

 この2行というか、2首の口語訳というか……。笑いだしてしまうなあ。
 「柿の木の下」って、百人一首に柿の木が出てくる? 思い出せない。「洗濯(もの)」が「衣」なら「柿の木」は何を「現代語」にしたもの?
 あ、そうじゃないんですねえ。
 柿本人麻呂。あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む。
 「ヤマノベの細道からフジをみるとは」も似たような感じの「訳」である。
 山部赤人。田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士のたかねに雪は降りつつ。
 フジは「藤」。「柿の木」を引き継いでいる。「富士(山)」でもいいのだろうけれど、「ヤマフジ」を思うと、山の中をさまよう感じがして、次の、

おく山で鹿の鳴くのをきくとかなしくなる

 が自然に感じられる。
 西脇は、ただ百人一首を「現代語訳」しているのではなく、百人一首をつないで長い長い1篇の詩にしようとしている。
 そのとき、たとえば「柿の木」から「フジ」への変化(移行?)が何によるものか--「肉体」のどの部分が反応してそういうことばが出てくるかを考えたとき、私には「視覚」ではなく「聴覚」が反応しているように思えるのである。
 私が読んでいるように「藤」ではなく「富士(山)」なら「視覚」だろうけれど、「藤」なら「聴覚」と思うのである。「柿本柿本人麻呂」→「山部赤人」→「富士」までは「肉体」は動かない。「富士」が「フジ」という「音」を媒介にして「藤」にかわるとき、そこに「耳」の「誤読」が入ってくる。
 どの「肉体」の器官をつかって「誤読」するか--その「誤読」の器官が、その詩人の本質(本能)のようなものだと、私は思っている。





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西脇 順三郎
日本図書センター
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