樫田祐一郎「残暑」(「Dionysos」33、2011年08月06日発行)
樫田祐一郎「残暑」のことばには何かしら古いひびきがある。
樫田の書いていることばは、「いま」を呼吸していない、「いま」を拒んでいると言った方がいいのかもしれない。
「いま」を拒んでいるけれど、「いま」書かれている。--これは矛盾なのだけれど、その矛盾のなかに、私は美しいものを感じてしまう。
「笛を吹く死んだ子供になった」は、そのとき子供のままである、というくらいの「意味」だろうが、その「死んだ子供」のなかに「喉をやみ」の「病気」とつながる「肉体」がある。そして、その「喉」は「笛」の形で「生きている」。「死(やむ、病気)」が「喉」と「笛」をつないで、「長く静かな息」として、そのあいだを往復している。そのリズムが、文体全体のリズムととてもよくひびきあっている。
また、「あしの茎のひとつを折って草笛を作り」は、「いっぽんの植物になった」母を思わせる。母が植物になったのは、庭をながめながらなので、川辺の葦になっているのは「論理的」ではないけれど、この「論理」を超えた、ゆったりと静かな変化を、どこか「遠い力」で動かすものがある。「妹」と「うまれたばかりの赤ん坊」も静かで遠い超論理で呼びあっている。「おんな」と「母」も呼びあっている。
「母」が「おんな」であり、同時に「あし(葦)」であるというのは、一種の矛盾というか、混乱だが、その矛盾は矛盾であることによって、「真実」になる。矛盾をむすびつける静かなことばのリズムが、すべてを受け入れるのである。「意味」を超えて、「音楽」にしてしまうのである。
こういう長く静かな息のリズムは、むかし(?)の小説にはあるかもしれないけれど、最近は見ない。(と、思う)
そして、「長い」文体だけがもつ「ねじれ」というか、「ずれ」が、世界をゆっくり動かす部分が、この詩の、私のもっとも好きな部分である。
「カナブン」が、まあ、私の唯一好みとは違う部分だけれど(音が苦手だ)、「西へ」という不思議な音(いったいどこから「にし」というひびきをもってくるきになってきたのだろう)をはさんで、音がすばやく動いて、「羽音からわたしはかすかな水音をききわけ」がともかく美しい。「かすかな」がこんなに美しいことばだと想像したことがなかった。「それから家々のうらての川辺へとくだったのだった」も美しい。「くだったのだった」が何度も何度も読み返したくなるひびきをもっている。
「音」のなかに、「遠い音」を聞くことができる耳をもっているのかもしれない、樫田は。
同じ号に発表されている「小景」も「音」というか、「声」について書かれた部分にとても魅力を感じた。
「よそよそしい知らせ」の「知らせ」は、私には「調べ」にも聞こえる。
「わたしのうまれた土地では、山はずっとむこうにあって、青い色をしていた」は、樫田がまた、とても美しい視力をもっていることを教えてくれる。
耳と目がしっかりことばのなかで結び合っている。
それが、次の美しい行になる。
これはほんとうに待っているのではない。「訊かれる」ことによって、ふいに、目が刺激されて、そこにはいないひとを「いま」へ呼び出してしまうのだ。その、ふいの「見えない人」のために「待っている」ということばが、自然な「息」として出てくる。
樫田祐一郎「残暑」のことばには何かしら古いひびきがある。
樫田の書いていることばは、「いま」を呼吸していない、「いま」を拒んでいると言った方がいいのかもしれない。
「いま」を拒んでいるけれど、「いま」書かれている。--これは矛盾なのだけれど、その矛盾のなかに、私は美しいものを感じてしまう。
喉をやみ暮らした夏にわたしは十歳で、もうじき死ぬのだと思っていた。ひとびとの顔もあらかた失せた八月の夕ぐれ、母親はむしあがる方形の庭をながめながらいっぽんの植物になった。日の射さない部屋のひんやりした床のうえで妹はまだ幼く、四肢をなげだしてうつ伏せしていたのを覚えている。子供が死ぬ夏のあらゆるものの皮膚は白くやんでいて、さわるだけでおだやかに発疹した。玄関のとびらを開けたときカナブンがいっせいに西へ飛んだ。遠ざかってゆく羽音からわたしはかすかな水音をききわけ、それから家々のうらての川辺へとくだったのだった。向こう岸ではおんながうまれたばかりの赤ん坊をあらっていた。わたしは生い茂るあしの茎のひとつを折って草笛を作り、立ちすくみいつまでも笛を吹く死んだ子供になった。
「笛を吹く死んだ子供になった」は、そのとき子供のままである、というくらいの「意味」だろうが、その「死んだ子供」のなかに「喉をやみ」の「病気」とつながる「肉体」がある。そして、その「喉」は「笛」の形で「生きている」。「死(やむ、病気)」が「喉」と「笛」をつないで、「長く静かな息」として、そのあいだを往復している。そのリズムが、文体全体のリズムととてもよくひびきあっている。
また、「あしの茎のひとつを折って草笛を作り」は、「いっぽんの植物になった」母を思わせる。母が植物になったのは、庭をながめながらなので、川辺の葦になっているのは「論理的」ではないけれど、この「論理」を超えた、ゆったりと静かな変化を、どこか「遠い力」で動かすものがある。「妹」と「うまれたばかりの赤ん坊」も静かで遠い超論理で呼びあっている。「おんな」と「母」も呼びあっている。
「母」が「おんな」であり、同時に「あし(葦)」であるというのは、一種の矛盾というか、混乱だが、その矛盾は矛盾であることによって、「真実」になる。矛盾をむすびつける静かなことばのリズムが、すべてを受け入れるのである。「意味」を超えて、「音楽」にしてしまうのである。
こういう長く静かな息のリズムは、むかし(?)の小説にはあるかもしれないけれど、最近は見ない。(と、思う)
そして、「長い」文体だけがもつ「ねじれ」というか、「ずれ」が、世界をゆっくり動かす部分が、この詩の、私のもっとも好きな部分である。
玄関のとびらを開けたときカナブンがいっせいに西へ飛んだ。遠ざかってゆく羽音からわたしはかすかな水音をききわけ、それから家々のうらての川辺へとくだったのだった。
「カナブン」が、まあ、私の唯一好みとは違う部分だけれど(音が苦手だ)、「西へ」という不思議な音(いったいどこから「にし」というひびきをもってくるきになってきたのだろう)をはさんで、音がすばやく動いて、「羽音からわたしはかすかな水音をききわけ」がともかく美しい。「かすかな」がこんなに美しいことばだと想像したことがなかった。「それから家々のうらての川辺へとくだったのだった」も美しい。「くだったのだった」が何度も何度も読み返したくなるひびきをもっている。
「音」のなかに、「遠い音」を聞くことができる耳をもっているのかもしれない、樫田は。
同じ号に発表されている「小景」も「音」というか、「声」について書かれた部分にとても魅力を感じた。
わたしは傘をもたないほうの手を振る。ところが、声をかけることはできない。
わたしは呼ぶことができない。きのうのおとこの叫びをまねることが。わたしの口からこぼれるのは、貧弱な、よそよそしい知らせばかりだ。
おとこは家並のさきの山にむかって読んでいたのか。わたしのうまれた土地では、山はずっとむこうにあって、青い色をしていた。
「よそよそしい知らせ」の「知らせ」は、私には「調べ」にも聞こえる。
「わたしのうまれた土地では、山はずっとむこうにあって、青い色をしていた」は、樫田がまた、とても美しい視力をもっていることを教えてくれる。
耳と目がしっかりことばのなかで結び合っている。
それが、次の美しい行になる。
ときおり何をしているのかと訊かれる。ひとを待っていると答える。
これはほんとうに待っているのではない。「訊かれる」ことによって、ふいに、目が刺激されて、そこにはいないひとを「いま」へ呼び出してしまうのだ。その、ふいの「見えない人」のために「待っている」ということばが、自然な「息」として出てくる。