城戸朱理「詩の遠景・近景」ほか(「毎日新聞」2012年04月19日夕刊)
私は好き嫌いが非常に激しい人間である。嫌いな人間に対しては我慢がならない。いや、いくらか我慢している。かなり我慢している。でも、我慢できなくなる。
城戸朱理「詩の遠景・近景」は04月19日の毎日新聞夕刊に掲載されたものである。きょうまで我慢して書かなかったのだが、やっぱり批判を書いてしまう。
吉本隆明が死んだことから書きはじめている。その2段落目。
「海外の思想の影響からではなく」とはどういう意味だろう。どういうつもりで城戸はこういうことばを差し挟んでいるのだろうか。
私は吉本隆明のことも城戸のこともよく知らないから誤解しているのかもしれないが、私は吉本隆明は日本人だと思っている。城戸も日本人だろう。日本人が自分の思想を作り上げていくとき、なぜ「海外の思想」を気にしなくてはいけないのか。なぜ、その「影響から」出発しなくてはいけないのか。「海外の思想の影響から」出発する方が奇妙ではないだろうか。
だいたい海外って、どこ? 韓国? 中国? ミャンマー? ブラジル? ロシア?(城戸の学生時代は「ソ連」と呼ばれていたかな?)どこの国であれ、そこに長く住んでいた、そこの国のことばを話し、暮らしていたのならともかく、日本に住んでいて、日本語を話しているのなら、日本と日本語から思想を作り上げるしかないのではないだろうか。なぜ「海外の思想」の影響を受けないといけないのか。
これが、私にはさっぱりわからない。--を、通り越して、頭に来る。「思想」というのは、どこにでもある。「思想」をもたずに生きている人間は存在しない。
それに、「海外」という自分とは直接接触のない場、自分の話さないことば(理解できないことば)で語られる「思想」の影響を、ひとは、どうやって受ければいいというのだろうか。城戸って何か国語を話せるのかな? そして、吉本は?
まあ、吉本はともかくとして、城戸は「海外の思想の影響から」出発して作り上げていく「思想」を尊重しているのかもしれない。城戸のことばは「海外の思想の影響から」出発して、それを日本語に翻訳して動かしているのかもしれない。
しかし、「海外」って、そんなふうに「思想」にとって「絶対」のものなのか。「海外」の「思想」を踏まえないと、日本語で日本にある思想(いま、ここに生きているひとの思想)は語れないものなのか。あるいは、城戸にとっては、いま、ここに生きているひと、日本語で考え、日本語を話すひとは「思想」とは縁のないひとなのか。
どんなひとでも、そのひとが暮らしてきた「世界」を背負ってことばを動かしているからおもしろい。そこに、それぞれの「思想」がある。逆を考えてみるといい。海外のどこかの国のひと、たとえばアフガニスタンのひとが、日本語で「寅さんの、それをいっちゃあおしめえよ、には日本人の思想が凝縮している。私は、その思想の影響から自分の思想を作り上げた」と言ったら、そういうのを聞いたら、その人のことを「すばらしい思想家」と思う? まず、びっくりして、このひといったい何、と思うんじゃない?
城戸の「思想」の「定義」が私とはまったく違うのかもしれないけれどね。城戸にとっては、活字になって流通している難解なことばで世界について語ってものが思想なのかもしれないけれどね。
*
城戸に限らず、「海外」指向の強い詩人は多いかもしれない。海外指向などないと思っているひとでも、意外と、どこかで「海外」に頼っているかもしれない。
宮田修『雀/いかにもわたしは』(新世紀詩歌文庫、ジャプラン、2011年11月05日発行)に「雀/シンメトリー」という作品がある。
ここに書かれている「思想」、--それについては、私は何かいいかいという気持ちにはならない。私は最終連の「シンメトリー」(タイトルにもつかわれているが)ということばを信じることができない。
なぜ、ここで外国語? 海外のことば?
シンメトリーはもう日本語として定着しているかもしれない。けれど、阿弥陀とか嬰児ということばとは違うところから出てくることばだと思う。そんな「海外」のものに頼らずに、というか、そういうものを振り捨てて阿弥陀と嬰児ということばをいっしょに動いていけば、そこに自然に日本語の、日本の「思想」が動きはじめるのに、と私は思うのである。
さらにいえば、「阿弥陀」ということばに頼らずに(この詩集には、輪廻、というようなことばも動いているが)、もっと雀とともにあることば、雀を肉眼で見たときのことばで書けば違ったものが生まれてくるのに、と思うのである。
私は好き嫌いが非常に激しい人間である。嫌いな人間に対しては我慢がならない。いや、いくらか我慢している。かなり我慢している。でも、我慢できなくなる。
城戸朱理「詩の遠景・近景」は04月19日の毎日新聞夕刊に掲載されたものである。きょうまで我慢して書かなかったのだが、やっぱり批判を書いてしまう。
吉本隆明が死んだことから書きはじめている。その2段落目。
私が初めて氏の著作に触れたのは、学生時代のこと。文庫化された『言語にとって美とは何か』と『共同幻想論』だったが、海外の思想の影響からではなく、素手で日本と日本語に固有の思考の体系を作り上げていく、その姿勢には、やはり驚嘆を禁じえなかったことを思い出す。
「海外の思想の影響からではなく」とはどういう意味だろう。どういうつもりで城戸はこういうことばを差し挟んでいるのだろうか。
私は吉本隆明のことも城戸のこともよく知らないから誤解しているのかもしれないが、私は吉本隆明は日本人だと思っている。城戸も日本人だろう。日本人が自分の思想を作り上げていくとき、なぜ「海外の思想」を気にしなくてはいけないのか。なぜ、その「影響から」出発しなくてはいけないのか。「海外の思想の影響から」出発する方が奇妙ではないだろうか。
だいたい海外って、どこ? 韓国? 中国? ミャンマー? ブラジル? ロシア?(城戸の学生時代は「ソ連」と呼ばれていたかな?)どこの国であれ、そこに長く住んでいた、そこの国のことばを話し、暮らしていたのならともかく、日本に住んでいて、日本語を話しているのなら、日本と日本語から思想を作り上げるしかないのではないだろうか。なぜ「海外の思想」の影響を受けないといけないのか。
これが、私にはさっぱりわからない。--を、通り越して、頭に来る。「思想」というのは、どこにでもある。「思想」をもたずに生きている人間は存在しない。
それに、「海外」という自分とは直接接触のない場、自分の話さないことば(理解できないことば)で語られる「思想」の影響を、ひとは、どうやって受ければいいというのだろうか。城戸って何か国語を話せるのかな? そして、吉本は?
まあ、吉本はともかくとして、城戸は「海外の思想の影響から」出発して作り上げていく「思想」を尊重しているのかもしれない。城戸のことばは「海外の思想の影響から」出発して、それを日本語に翻訳して動かしているのかもしれない。
しかし、「海外」って、そんなふうに「思想」にとって「絶対」のものなのか。「海外」の「思想」を踏まえないと、日本語で日本にある思想(いま、ここに生きているひとの思想)は語れないものなのか。あるいは、城戸にとっては、いま、ここに生きているひと、日本語で考え、日本語を話すひとは「思想」とは縁のないひとなのか。
どんなひとでも、そのひとが暮らしてきた「世界」を背負ってことばを動かしているからおもしろい。そこに、それぞれの「思想」がある。逆を考えてみるといい。海外のどこかの国のひと、たとえばアフガニスタンのひとが、日本語で「寅さんの、それをいっちゃあおしめえよ、には日本人の思想が凝縮している。私は、その思想の影響から自分の思想を作り上げた」と言ったら、そういうのを聞いたら、その人のことを「すばらしい思想家」と思う? まず、びっくりして、このひといったい何、と思うんじゃない?
城戸の「思想」の「定義」が私とはまったく違うのかもしれないけれどね。城戸にとっては、活字になって流通している難解なことばで世界について語ってものが思想なのかもしれないけれどね。
*
城戸に限らず、「海外」指向の強い詩人は多いかもしれない。海外指向などないと思っているひとでも、意外と、どこかで「海外」に頼っているかもしれない。
宮田修『雀/いかにもわたしは』(新世紀詩歌文庫、ジャプラン、2011年11月05日発行)に「雀/シンメトリー」という作品がある。
阿弥陀は
誰もが見初めるように
嬰児(みどりご)を可憐に仕上げた
われら雀の好む
植物の新芽 小動物
喰らわぬように
ありたいが
ヒトは喰らわず
為して
いるか
われら諸動物
喰らうものとして
万物のめくるめくシンメトリーの
世界に
ある
ここに書かれている「思想」、--それについては、私は何かいいかいという気持ちにはならない。私は最終連の「シンメトリー」(タイトルにもつかわれているが)ということばを信じることができない。
なぜ、ここで外国語? 海外のことば?
シンメトリーはもう日本語として定着しているかもしれない。けれど、阿弥陀とか嬰児ということばとは違うところから出てくることばだと思う。そんな「海外」のものに頼らずに、というか、そういうものを振り捨てて阿弥陀と嬰児ということばをいっしょに動いていけば、そこに自然に日本語の、日本の「思想」が動きはじめるのに、と私は思うのである。
さらにいえば、「阿弥陀」ということばに頼らずに(この詩集には、輪廻、というようなことばも動いているが)、もっと雀とともにあることば、雀を肉眼で見たときのことばで書けば違ったものが生まれてくるのに、と思うのである。
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