監督 スティーブン・スピルバーグ 出演 茶色の馬、黒い馬
主役の茶色い馬(サラブレット)の目がとても美しい。その美しさは「聡明」ということと関係があるかもしれない。いま起きていることを理解する、いまいっしょにいるひとの考えていること、感じていることを理解する--その理解する能力が高い。
まあ、映画なんだから、そう描いているだけなのかもしれないけれど。でも、あ、聡明でしっかりしていなあ、この聡明さが肉体のすみずみにまでいきとどいて、あの美しい姿になるのだ、と感じさせてくれる。
この主役の馬と、ライバル(?)の黒い馬との友情が、またとてもいい。互いの能力(速く走れる)を認め合って親密になっていく。黒い馬の方は走ることしか知らない。そのともに向かって、「働く(働かされる)」ことを理解させる。「大丈夫だよ、こうするんだよ」と教え、常に見守っている。人間との関係よりも、この黒い馬との関係が、主役の馬の「いのち」を支えている。ライバルのために生きる。ライバルを支えて生きる。
だから。
そのライバルが倒れて死んでしまう。そのあと、主役の馬は「戦場」から脱走しようとする。ここで生きる必然性はない。助けるべき友はいない。自分の「いのち」を生きる。それからの主役の馬の動きがすばらしい。それこそ「戦火」のなかを走るのだが、生きたい、という意志が全身にみなぎり、筋肉のすべてを輝かせる。有刺鉄線にぶつかっても「痛い」ともいわない。痛みにひるまない。風を切るように走る。決して死なない--そういう輝きのなかで動いている。
このシーンは、とても美しい。この戦場を、自由に--つまり、だれに命じられるからでもなくという意味だが、ひとりで走りつづけるシーンは、もう一度見にゆきたいくらいである。
でも、戦場を走りつづける、草原のように走るということはやはりむりで、最後には有刺鉄線にがんじがらめになって倒れるのだが、その瞬間でさえ、いったん自由を知ったかぎりは死なないという非常に強い輝きのようなものがスクリーンからあふれてくる。自由だけが死なない--もし、映画にメッセージがあるとすれば、そういうことかもしれない。
そのあとは、スピルバーグらしいひとと馬との関係にストーリーはまとまっていくのだが、このエピソードのなかにも主役の馬の聡明さがきらきらと輝いている。
馬は最初の飼い主である少年と病院で出合う。馬も少年も傷ついている。少年は馬を助けたいと願う。そのとき馬は、やはり少年が傷ついていることを少年のいままでとはちがった態度で知るのだろう、とても優しい目で少年を見る。
その瞬間。
馬が、いま、ここを生き抜けば、少年もきっと生き続ける--いっしょに生きて行くことができる、そう信じている感じなのだ。そして、少年のために生きようと決意している感じなのだ。
この馬の気持ちは、ライバルの黒い馬に対する愛情や別れの哀しみのようにはっきりとは見えにくい(明確に特徴化されてはいない)のだが、「私はここにいるよ」とじっと少年を見つめるその目の深い静かさが、とてもいい。おだやかなやすらぎがそこにある。それがとてもいい。
主役の茶色い馬(サラブレット)の目がとても美しい。その美しさは「聡明」ということと関係があるかもしれない。いま起きていることを理解する、いまいっしょにいるひとの考えていること、感じていることを理解する--その理解する能力が高い。
まあ、映画なんだから、そう描いているだけなのかもしれないけれど。でも、あ、聡明でしっかりしていなあ、この聡明さが肉体のすみずみにまでいきとどいて、あの美しい姿になるのだ、と感じさせてくれる。
この主役の馬と、ライバル(?)の黒い馬との友情が、またとてもいい。互いの能力(速く走れる)を認め合って親密になっていく。黒い馬の方は走ることしか知らない。そのともに向かって、「働く(働かされる)」ことを理解させる。「大丈夫だよ、こうするんだよ」と教え、常に見守っている。人間との関係よりも、この黒い馬との関係が、主役の馬の「いのち」を支えている。ライバルのために生きる。ライバルを支えて生きる。
だから。
そのライバルが倒れて死んでしまう。そのあと、主役の馬は「戦場」から脱走しようとする。ここで生きる必然性はない。助けるべき友はいない。自分の「いのち」を生きる。それからの主役の馬の動きがすばらしい。それこそ「戦火」のなかを走るのだが、生きたい、という意志が全身にみなぎり、筋肉のすべてを輝かせる。有刺鉄線にぶつかっても「痛い」ともいわない。痛みにひるまない。風を切るように走る。決して死なない--そういう輝きのなかで動いている。
このシーンは、とても美しい。この戦場を、自由に--つまり、だれに命じられるからでもなくという意味だが、ひとりで走りつづけるシーンは、もう一度見にゆきたいくらいである。
でも、戦場を走りつづける、草原のように走るということはやはりむりで、最後には有刺鉄線にがんじがらめになって倒れるのだが、その瞬間でさえ、いったん自由を知ったかぎりは死なないという非常に強い輝きのようなものがスクリーンからあふれてくる。自由だけが死なない--もし、映画にメッセージがあるとすれば、そういうことかもしれない。
そのあとは、スピルバーグらしいひとと馬との関係にストーリーはまとまっていくのだが、このエピソードのなかにも主役の馬の聡明さがきらきらと輝いている。
馬は最初の飼い主である少年と病院で出合う。馬も少年も傷ついている。少年は馬を助けたいと願う。そのとき馬は、やはり少年が傷ついていることを少年のいままでとはちがった態度で知るのだろう、とても優しい目で少年を見る。
その瞬間。
馬が、いま、ここを生き抜けば、少年もきっと生き続ける--いっしょに生きて行くことができる、そう信じている感じなのだ。そして、少年のために生きようと決意している感じなのだ。
この馬の気持ちは、ライバルの黒い馬に対する愛情や別れの哀しみのようにはっきりとは見えにくい(明確に特徴化されてはいない)のだが、「私はここにいるよ」とじっと少年を見つめるその目の深い静かさが、とてもいい。おだやかなやすらぎがそこにある。それがとてもいい。
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