詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

江夏名枝「あわいつみ」、大江麻衣「大入道の首」

2012-04-01 09:31:07 | 詩(雑誌・同人誌)
江夏名枝「あわいつみ」、大江麻衣「大入道の首」(「現代詩手帖」2012年04月号)

 江夏名枝「あわいつみ」。江夏のことばは不思議な「正確さ」を持っている。どこかしら歪んでいる(曲がっている?)のだが、その彎曲の仕方がまっすぐに見える。奇妙な言い方しかできないが、巨大な円の円周、という感じ。巨大な円周を、目の前だけを見て歩いているとき、きっと「直線」しか見えない。「直線」なのに歩き終わると出発点に戻っているという印象。歩きとおして、私は「直線」を歩いたのか、あるいは「曲線」をあるいたのか、わからなくなる。

 小鳥たちは細い夜をくわえてまた戻ってくる
 昨夜、それはいつでもない夜のことであるから、かなたから詠まれ
圧搾された月は夜を詠む

 「戻ってくる」のなかにある円環。あるいは「かなたから詠まれ圧搾された月は夜を詠む」のなかにある「詠む」から「読む」への円環。「直線」なのに「閉じる」。これは、巨大な円を想定しないことには成立しない世界である。
 そして、そう気がついたとき。
 あ、歩いたのは「線」の上ではなく(ことばの上ではなく)、何かのまわりだったのだということに気がつく。
 「直線(曲線)」が取り囲んでいる対象。
 それに触れたのだと気がつく。
 そのとき、「直線」と「曲線」は、ある何かとの「距離」として「同じもの」になる。「直線」であるか、「曲線」であるかは問題ではなく、「距離」が問題になる。「ことば」と「対象」の「距離」。
 この「距離」が、江夏の場合、とても「正確」である。

 では、その「正確」とは何か。
 この定義は難しいなあ。矛盾しているかもしれないが、そのとき「距離」は「距離」ではないのである。

 袂を傍らに感じているに、また遠くにある。

 「傍ら」と「遠く」が同居する。「矛盾」が同居する。このとき「正確」が強くなる。世界はきっと「矛盾」から成り立っている。その「矛盾」を、静かに「円環」のなかに閉じ込める、囲い込む、あるいは「円環」のなかで育てるということかもしれないが、ことばが「矛盾」したものに同時にふれるとき、「正確」が生まれる。
 別な言い方をしたほうがいいのかもしれない。
 「円周(巨大な彎曲する直線)」の輪郭と、その「円周」に囲まれたものが、巨大であると同時に「一点」に凝縮するのである。「中心」から「円周」までの「距離」は、あると同時にない。「遠心」と「求心」が、「遠心」「求心」という運動のなかで「ひとつ」になる。

 江夏のことばは「運動」なのだ。「運動」のリズムに乱れがないから、その描き出したものが「正確」になる--というふうにとらえなおした方がいいのかもしれない。

 ことばを読むとき、私たちはついつい「内容(意味)」に引っ張られるけれど、そこにあるのはほんとうは「運動」であり、「内容」は「運動」のなかに溶け込んでいる。
 「内容(意味)」が正確なのではなく、「運動」のリズム、あるいは力(エネルギー)が一定であることが「正確」を生み出すのだ。

 あなたの眼のなかに、ちぎれた蝶がまっている、求心力のある傷、
原色に発光し、あなたのなかに降る、いつでもない夜へ、不慮の身を
屈めて琥珀の屑へ、わたしたちは脊椎を残す

 おびただしく打たれた読点「、」はことばを切断しているのか、あるいは新しい接続のための呼吸をととのえているのか。どちらとも受け取ることができる。それは切断しながら接続するという点では、やはり「遠心・求心」の凝縮したものである。
 「遠心・求心」という矛盾した運動をことばの内部に抱えて動くので、江夏のことばは直線を目指しても、どうしても巨大な曲線(巨大な円)になってしまうということなのだろう。



 大江麻衣「大入道の首」の「ことばの肉体」は、私には荒川洋治の「肉体」に似ているように感じられる。

昔は諏訪が中心で、市役所あたりに色があった
今は歩いているうちに景色が消えていく道である
JR付近は色が無い
ひとつの町が、少しずつかたまりになって、離れて消えていった

 江夏のことばが、何かしら「前へ」進むのに対して(直線を描きながら円周へ進むのに対して)、大江のことばは、「いま/ここ」で、「時間(過去)」へ沈み込む。沈み込みながら、「いま」を浮かび上がらせる。
 たとえば、「いま/ここ」が「池」のようなものだとする。そこにことばという「重い石」を落とす。そうすると「石」は沈む。そして、その沈む運動のなかで、石をのみこんだ水が、その石の「体積(あるいは重さかもしれない)」の分だけ、水を浮かび上がらせる。まわりに押し広げるようにして、石のあった場所を埋めようとしてのぼってくる--そいうう感じがする。
 そして、そのときの浮かび上がらせる「石のかわりの水」に相当することばが、たとえば「色」とか「うちに」とか「景色」とか--なんとなく荒川っぽい。まあ、これは私の単なる印象だけれど。
 でも、リズムと、静かな「暮らし」のにおい、その呼吸が、まあ、私は好きだなあ。

「四日市々」
と書いている若い人をもう見ない
「四日市々」と書いた時代
四日市とおなじなのだから、市は々…
と大手を振って歩いていた
津なんて遠いと、偉そうに

やがて、市の価値を感じましょうと
「四日市市」(負けた…)
ありがたみを感じる時期になっている
図書館までの道を舐めるように歩きなさいと市が強要する
それまで、四日市、のあとに繋がる単語は
市ではなく
ぜんそく だった

 好きなんだけれど。
 「「四日市々」/と書いている若い人をもう見ない」って、大江はほんとうに「四日市々」と書いている若い人を見たことがあるの?
 荒川洋治の年代(私もそれに近い)は、なんとか「四日市々」という表記の方法があるのを見てきた年代だと思う。しかし、それはそういう表記があるというのを見てきただけで、実際に「若い人」が書いているのを私は見たことがない。(私より30歳以上上のひとが、ときどき書いているのを見たことがある。)
 「時間」へ沈み込むのはとても重要なことだと思うけれど、その「時間」が大江自身の「肉体」を越えるのは、どうかな? 大江自身の時間以前の「歴史」にまでもぐりこんでしまうのはどうかな?
 おもしろいのだけれど、疑問も感じる。



海は近い
江夏 名枝
思潮社
コメント (2)
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