詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

エリック・ヴァレット監督「プレイ(獲物)」(★★)

2012-09-06 11:40:32 | 映画
監督 エリック・ヴァレット 出演 アルベール・デュポンテル、アリス・タグリオーニ、ステファン・デバク

 手の込んだ脚本、というよりも。ご都合主義ですねえ。そこがフランスっぽい。映画だからリアリティーなんてなくてもまったくかまわないのだけれど、もうちょっと丁寧に描かないと。
 たとえばアルベール・デュポンテルが銃で撃たれながら逃走する。主人公が不死身なのはかまわないけれど、そして自分で傷の手当てをするのはかまわないけれど、ほら、傷の手当てをするならちゃんと銃弾くらいは体から取り出して。そのままにしておいて、傷口をガーゼとテープでふさいだだけなんて許せないなあ。そのくせ逃げる途中で傷口の出血と痛みを気にするんだからいやになってしまう。
 おもしろいのは冒頭のセックスシーン。描写そのものは特に変わっているわけではないのだが、そうか、フランスの刑務所は「個室」もあって、そこで面会できるのか。セックスできるようになっているのか。さすがだねえ。刑務所には入ったことがないので日本ではどうなっているかわからない。アメリカ映画にもそういうシーンはみかけないから、アメリカにもないだろうなあ。
 で、やっぱりフランス、と思うのは。やっぱりみんなわがまま放題と思うのは。
 連続暴行殺人犯を追いかけていくとき、主人公以外に、そして警察以外に、個人がかってに追いかけていくということ。ひとりは「犯人はこいつだ」と思って追いかけていく。もうひとりは「犯人は誰だ」と思いながら追いかけていく。そういう「個人」の行動をきちんと(?)描いていること。「個人」の思い(恨み)が大事なんですねえ。
 これはこの映画のストーリーの核になっている男アルベール・デュポンテルの描き方も同じ。娘がいて、愛人がいて、というのは、まあ、いいんだけれど。この男の行動を支配しているのは娘への愛、娘かわいさ。 400万ユーローを盗んで隠している、ということはぜんぜん追及されない。それを追及するのは、刑務所に入っている仲間だけ。「どこに隠しているんだ」と、こちらはこちらで「個人主義」丸出しで、自分の利害にしか目が行っていない。
 「個人」の思いが大事--というのは、まあ、個人的な恨みを晴らすために連続殺人犯を追いかけている二人のほかにも(まあ、これはスパイスのようなもの)、たとえば次のシーンにあらわれる。
アルベール・デュポンテルを女刑事が追いかける。その女刑事と男が逃走の途中でぶつかり、女刑事は男を取り逃がしてしまう。で、そのとき取り逃がしてしまった理由を説明するのに、「私を撃てたのに撃たなかった。だからあの男は殺人犯ではない」云々というようなことをいうね。上司は「女のカンか」と冷たい目でにらむのだが。逃がした理由に、「犯人には思えない」という個人的な感想を持ちだす。ここが激しく「個人主義」だねえ。わがままだねえ。
 いや、ほかのご都合主義の映画でも、刑事が「あいつは犯人ではないと思う」と言ってあれこれ調べ、真相をつきとめるというストーリーはあるんだけれど、ここへ美人の色っぽい刑事をもってきて、そういわせるところが「個人主義」。そんなことを言わせなくたって、観客はアルベール・デュポンテルが犯人ではないと知っている。それをわざわざ「犯人ではないと思う」と言わせないと気がすまないところがフランスっぽいなあ。「個人」であることを強調している。「女のカンか」は、その念押しみたいなもの。「男の論理」と「女のカン」は完全に分離している。つまり、手をつなぐ要素がない。この断絶を断絶としてぱっと存在させてしまう。そこからフランスの「個人主義」は始まる。あんたはあんた、私は私、関係ありません。そのくせ、そこで「女のカン」のように自己主張しないと、フランスでは人間として認めてもらえない。つまりわだままを言わない人間は人間ではない。意思をもっていない。だから、無視していい--という論理があると思うなあ、フランスには。
 で、そういうとき(といっても、無視されたときではなく、わがままはわがままとして認めるけれど相手にされないときのことだけれど)、どうするか。反省しません。わがままを押し通します。女刑事は、自分の思い描いたストーリーに合うよう、「事件」の「過去」を探して行く。「原因があって結論がある」ではなくて、「結論があって原因がある」という感じだね。フランスの個人主義は、みんな、これ。ある事実を踏まえていくと結論がこうなるという形をとらない。私はこういう結論を思い描いている。だから、それにあわせて原因を探してみました、という感じ。
 連続殺人犯を追っている憲兵出身の男も「犯人はこいつ」とにらんで、それから「証拠」を探している。証拠を積み重ねて犯人はこいつ、と言っているわけではないね。
 で、こういう逆な発想が大好き、これぞ個人主義の醍醐味(?)というのは、おもしろいシーンにつながることもある。アルベール・デュポンテルが警察の追ってから逃げる最初のシーン。そのなかに走ってくる車と対向する形で逃げるシーンがある。逆走だね。これは危ない。同じ方向に走るならぶつかる心配はない。でも逆走はぶつかる危険だらけ。それでも逆走する。これが、まあ、おもしろい。アメリカ映画のようにCGを駆使してつくるのではなく、一生懸命「生の肉体」で走って逃げて、そこへ車がつっこんできて、という、けっこうのろのろした感じがとってもうれしい。フランス映画もやるじゃないか、と思わず笑ってしまうねえ。
 ということで、まあ、これはフランス個人主義とは何かを考える「サブ読本」みたいな映画でした。テキトウに見ようね。
                      (2012年09月05日、KBCシネマ1)




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