渡辺正也「花」、北川朱実「影のはなし」ほか(「石の詩」83、2012年09月20日発行)
同人誌に詩を書くというのは意外とむずかしいものだと私は思っている。どうしても同人の作品が影響し合う。その「影響」の受け止め方、投げ返し方がむずかしい。「石の詩」は渡辺正也のことばの動かし方が静かに同人のあいだで受け止められているように感じた。
「花」という作品の3連目である。「季節をはずすことなく」の「はずすことなく」ということば、それが一冊の同人誌を読み終わると静かに落ち着く。強引に対象を押し開くのではなく、ただ「対象」をはずさないようにことばを動かす。そうすると、そこに自然にことばの花が開く。「大輪」「おごそか」は「感覚の意見」の問題である。はずさなければ、どんな小さな花でも大きく見える。
谷本州子の「四月」はその「はずすことなく」がしっかり書かれた作品である。
「大正生まれ」の詩であって、現代詩ではない、かもしれない。しかし大正と平成の違いなど実はない。「いま」から自分の人生を振り返れば、きのうと50年前はすぐとなりあわせにやってきて、何かを思う意識のなかに「時差」はない。きのうより50年前の方が近かったりする。だから、書かれている対象、あるいはことばの動かし方が古いから(別のことばでいえばなじんでしまっているから)、これは古いと言ってもしようがないのである。
谷本は「よく見える」ものを「はずすことなく」ことばを動かす。
この谷本のことばと北川朱実「影のはなし」のことばへの距離は「はずすことなく」を中心に置くと、すぐとなりにくっついている。
描く対象は「風」から「影」にかわっているが、風が何と交渉し「風景」をつくるか、つまり花を咲かせるかということが、影が何と交渉し風景の花を咲かせるかということばの運動の「照準」は同じである。そして、ふたりとも「照準」をはずすことなくことばを動かしているのがわかる。こういう正確さは読んでいてとても気持ちがいい。
北川と谷本の違いは、その次にあらわれる。
北川のことばは他人とであって、そこで一瞬乱れる。自分ひとりで何かを見つめ、その対象を「はずすことなく」書いているときは、ことばは気がすむまで自由に動くことができる。ところが他人が出てくると、そういう具合にはいかない。他人というのは自分とは違った「照準」へむけてことばを動かしているものである。言い換えると、他人と私の「意識」は違うのである。どうしたって「射程(照準)」も違ってくる。
ここからがほんとうはことばの勝負のしどころである。ことばはなんといっても他人と向き合うための方法なのだから。
で、北川の最初にしたこと。
あ、この正直。これはいいなあ。突然「照準」を変えられてしまった。すぐにはことばを発することができない。態勢をととのえる。肉体をととのえる。生身の肉体もそうだがことばの肉体もととのえないと動けない。それを「黙った」と正直に書く。呼吸をととのえる「間合い」を沈黙として「はずすことなく」書く。
それまでの前半のことばにも北川の「時間」がしみこんでいるが、「黙った」あと再び語りはじめるときは、もっと北川の「内面」へとことばが向かっていく。「風景」は「現実」の風景ではなく「心象風景」になる。だれにも見えない風景、北川にしか見えない風景になる。北川にしか見えないのだけれど、ことばにすると、それがこころに刻まれる。これを「抒情」という。
ここは「黙った」あとの動きはじめなので、どうしても「流通言語」の影響が出てしまっている。それはそれで、まあ、しようがないことだと私は思う。そういう一種の「流通言語」で舌ならし(?)をしたあと、北川はほんとうの「影」へ入っていく。
「影」は「光」でもある。「月影」というときの「影」がそうであるように、こころに投影された「影」は「光」でもある。真夏のあるときの、ふいに肉体を襲ってくる激情は「影」であったかもしれないが、いまは「光」のように強く北川を射抜いている。父も生きているときは北川に「影」であったかもしれないけれど、いまは「光」である。すべてを「光」として受け入れている北川が、ここにいる。
「人」が北川を「人間」に返す。視線を「風景」から「人間」へと向き直らせる。その瞬間の沈黙を超えてことばが再び動きだすとき、照準は人間になる。そうすると、そこにあらわれる「影」は「影」でありながら、同時に「光」である。
この一種の矛盾(?)を「はずすことなく」北川のことばは動く。北川の詩にはいつも人間の、いのちに対する包容力のようなものがある。
この北川と谷本の詩のあいだに濱條智里「コンテナルーム」を置くと、「石の詩」のことばの動きを要約できるかもしれない。要約なんかしなくてもいいのだが。道路の脇にコンテナを収納スペースとして貸し出しているという看板をみたときのことを書いている。
濱條がほんとうに「麦踏み」をしたことがあるのかどうか「ちょうどよい長さだった」という過去形をつかった修飾節を読むと疑問に感じるのだが、まあ、いいか。私の言いたいのは、濱條のことばにも「対象」から「自己」へのベクトルの変化がある、ということ。
ことばのベクトルを自己の外へ投げかけるだけではなく、自己の内部へとむけるとき、そしてそのきっかけに現代風の「対象」を利用するとき、詩は「大正のもの」から「平成のもの」になるけれど、こういう部分は、まあ、飾りだ。ことばの運動の「基本」はかわりはない。
同人誌に詩を書くというのは意外とむずかしいものだと私は思っている。どうしても同人の作品が影響し合う。その「影響」の受け止め方、投げ返し方がむずかしい。「石の詩」は渡辺正也のことばの動かし方が静かに同人のあいだで受け止められているように感じた。
むずかしい日々だったが
季節をはずすことなく
大輪がいくつか
おごそかに開いた
「花」という作品の3連目である。「季節をはずすことなく」の「はずすことなく」ということば、それが一冊の同人誌を読み終わると静かに落ち着く。強引に対象を押し開くのではなく、ただ「対象」をはずさないようにことばを動かす。そうすると、そこに自然にことばの花が開く。「大輪」「おごそか」は「感覚の意見」の問題である。はずさなければ、どんな小さな花でも大きく見える。
谷本州子の「四月」はその「はずすことなく」がしっかり書かれた作品である。
風の姿がよく見える 四月
風はベールに覆われた南の空から
下りてきて
各駅停車の電車に乗り
一駅一駅 無人駅にも立ち寄り
各地の花便りの貼り紙に
赤丸のシールを増やしていく
菜の花が小刻みに
揺れつづけているのは
羽化したばかりの風の子供達が
戯れているのだろう
代掻きを終えたばかりの広い田んぼを
滑り回っているのは
この日を待ち兼ねていた風達
燕の形の風も
庇の奥に落ち着いた
キブシの咲く庭に莚を広げ
大正生まれの風の夫婦は
まどろんでいる
ほどほどの風に導かれ
あちらでもこちらでも
夏野菜の苗達が
指定席に納まった
「大正生まれ」の詩であって、現代詩ではない、かもしれない。しかし大正と平成の違いなど実はない。「いま」から自分の人生を振り返れば、きのうと50年前はすぐとなりあわせにやってきて、何かを思う意識のなかに「時差」はない。きのうより50年前の方が近かったりする。だから、書かれている対象、あるいはことばの動かし方が古いから(別のことばでいえばなじんでしまっているから)、これは古いと言ってもしようがないのである。
谷本は「よく見える」ものを「はずすことなく」ことばを動かす。
この谷本のことばと北川朱実「影のはなし」のことばへの距離は「はずすことなく」を中心に置くと、すぐとなりにくっついている。
観覧車が見える川沿いの
市営住宅で暮らしたことがある
夕陽が沈むころ
きまってゴンドラが
濃い影になって川に落ち
帰りたがらない子供のように
いつまでも水遊びをした
鳥が ざぶんと飛び込んで
かき崩していった
描く対象は「風」から「影」にかわっているが、風が何と交渉し「風景」をつくるか、つまり花を咲かせるかということが、影が何と交渉し風景の花を咲かせるかということばの運動の「照準」は同じである。そして、ふたりとも「照準」をはずすことなくことばを動かしているのがわかる。こういう正確さは読んでいてとても気持ちがいい。
北川と谷本の違いは、その次にあらわれる。
--あなたはどんな影をつくったの?
人に聞かれて黙った
北川のことばは他人とであって、そこで一瞬乱れる。自分ひとりで何かを見つめ、その対象を「はずすことなく」書いているときは、ことばは気がすむまで自由に動くことができる。ところが他人が出てくると、そういう具合にはいかない。他人というのは自分とは違った「照準」へむけてことばを動かしているものである。言い換えると、他人と私の「意識」は違うのである。どうしたって「射程(照準)」も違ってくる。
ここからがほんとうはことばの勝負のしどころである。ことばはなんといっても他人と向き合うための方法なのだから。
で、北川の最初にしたこと。
人に聞かれて黙った
あ、この正直。これはいいなあ。突然「照準」を変えられてしまった。すぐにはことばを発することができない。態勢をととのえる。肉体をととのえる。生身の肉体もそうだがことばの肉体もととのえないと動けない。それを「黙った」と正直に書く。呼吸をととのえる「間合い」を沈黙として「はずすことなく」書く。
それまでの前半のことばにも北川の「時間」がしみこんでいるが、「黙った」あと再び語りはじめるときは、もっと北川の「内面」へとことばが向かっていく。「風景」は「現実」の風景ではなく「心象風景」になる。だれにも見えない風景、北川にしか見えない風景になる。北川にしか見えないのだけれど、ことばにすると、それがこころに刻まれる。これを「抒情」という。
バーの角瓶のようだった
三階建の住宅は
夕暮れには
みんな川に向かって傾いたが
琥珀色の時間はこぼれなかった
ここは「黙った」あとの動きはじめなので、どうしても「流通言語」の影響が出てしまっている。それはそれで、まあ、しようがないことだと私は思う。そういう一種の「流通言語」で舌ならし(?)をしたあと、北川はほんとうの「影」へ入っていく。
真夏の川原で
力まかせにラムネの壜を割って
微細な酸素の
爆発について考えた
まだ度の途中なのか
こわれやすい生きものだった父が
墓石の横で
腐爛したまま
空をスクリーンに
カタカタと映写機を回している
「影」は「光」でもある。「月影」というときの「影」がそうであるように、こころに投影された「影」は「光」でもある。真夏のあるときの、ふいに肉体を襲ってくる激情は「影」であったかもしれないが、いまは「光」のように強く北川を射抜いている。父も生きているときは北川に「影」であったかもしれないけれど、いまは「光」である。すべてを「光」として受け入れている北川が、ここにいる。
人に聞かれて黙った
「人」が北川を「人間」に返す。視線を「風景」から「人間」へと向き直らせる。その瞬間の沈黙を超えてことばが再び動きだすとき、照準は人間になる。そうすると、そこにあらわれる「影」は「影」でありながら、同時に「光」である。
この一種の矛盾(?)を「はずすことなく」北川のことばは動く。北川の詩にはいつも人間の、いのちに対する包容力のようなものがある。
この北川と谷本の詩のあいだに濱條智里「コンテナルーム」を置くと、「石の詩」のことばの動きを要約できるかもしれない。要約なんかしなくてもいいのだが。道路の脇にコンテナを収納スペースとして貸し出しているという看板をみたときのことを書いている。
しまっておきたい思い出があるはずだったが 取り出してみると色が変わっている わたしは しばらくでいいから 忘れたいことを預けたいのだと気がついた 隣では踏むにはちょうどよい長さだった麦が まぶしく波立っている
濱條がほんとうに「麦踏み」をしたことがあるのかどうか「ちょうどよい長さだった」という過去形をつかった修飾節を読むと疑問に感じるのだが、まあ、いいか。私の言いたいのは、濱條のことばにも「対象」から「自己」へのベクトルの変化がある、ということ。
ことばのベクトルを自己の外へ投げかけるだけではなく、自己の内部へとむけるとき、そしてそのきっかけに現代風の「対象」を利用するとき、詩は「大正のもの」から「平成のもの」になるけれど、こういう部分は、まあ、飾りだ。ことばの運動の「基本」はかわりはない。
電話ボックスに降る雨 | |
北川 朱美 | |
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