詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ監督「最強のふたり」(★★★)

2012-09-02 11:59:06 | 映画
エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ監督「最強のふたり」(★★★)

監督 エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ 出演 フランソワ・クリュゼ、オマール・シー、アンヌ・ル・ニ

 冒頭、二人が車で暴走するシーンがある。そのときのオマール・シーの目(横顔)がとてもいい。純粋である。ひさびさに「透明な目」を見た、という感じがした。隣に乗っているのは彼の雇用主であり、彼は首から下が付随である。それは知っているが、つまり彼の身体については十分に知っていて配慮もしているが、それ以上はしない--というと変な言い方になるが、ごく自然に助手席に人が乗っているという感じで、自分にとってここちよい運転をする。自分にとって楽しい運転をする。その自分の楽しみ、という感じが美しい。
 この自分の楽しみを楽しむ、という姿勢は随所に描かれている。首から下の感覚がないということを聞いているけれど、それがどんなことかわからない。間違ってお湯を足にこぼした。「熱い」と言わない。あ、ほんとうに感じないのだ。わざとかけてみても同じかな? そして実際にかけてみる。これは一種の「虐待」になるかもしれないが、オマール・シーにとっては「事実」を確認していることなのだ。事実を知るのは楽しい。だから、,それをやめることができない。
 絵を見ていて、フランソワ・クリュゼが「チョコレートがほしい」という。それに対して、「だめ。これは健常者用のチョコレートだ」と拒む。障害者用の何かというのはあるが、健常者用のというものは、まあ、ない。そのことをオマール・シーは突然発見する。「事実」の発見。それが楽しくて、何度も何度も繰り返す。また、そのとき見た抽象画がだれにでも描けそうなものなので、自分でも描いてみる。描いてみると楽しい。変なもの--というと、これも変な言い方になるのだが、まあ、描けてしまうのだ。そういう「事実」が楽しい。自分の中にある可能性の発見というと変だけれど、やはり「事実」を知るのである。それが実際に売れる--というのは、まあ、余祿だ。
 モーツァルトのオペラを見る。木が歌っている。しかもドイツ語だ。これはおかしい。こんなことがあっていいはずがない。フランスなのだからドイツ語で歌うなんてばかげている。しかもそれが4時間つづく。そのことを知って、上演中にもかかわらずオマール・シーは笑い転げる。世の中には変なことばかりがある。
 そして、この世にあるのは「事実」だけなのだ。この世にあるかぎり、すべては「事実」である。
 母親はたくさんの子どもをかかえて朝から晩まで働いている。それも「事実」。弟が不良グループに足を突っ込んでいる。そして、そこで問題を起こす。それも「事実」。パラグライダーは怖い。それも「事実」だし、むりやり空に飛ばされてみれば、知らなかった楽しみもある。あ、こんな世界があったのかと知る。それも「事実」。
 フランソワ・クリュゼが髭がぼうぼうになって、それを剃ることになる。ただ剃るだけではおもしろくない。髭の形をあれこれ楽しみながら剃っていく。どこかの宗教の神父(?)になったり、自分のおじいさんになったり、ヒットラーになったり。髭ひとつで、人の顔は変わるし、その髭からだれかを思い出す、その思い出し方には共通項がある(ヒトラーの髭)というのも「事実」。
 そんな見かけは、そのひと自身とは関係ないのに、そう見えてしまう。そうだとすれば、見かけからある人間を、この人はこういう人というふうに見てしまうということもあるかもしれない。それは「事実」かもしれない。たとえば、首から下が動かない大金持ち。フランソワ・クリュゼは人生に悲観し、絶望的になっている。そして人格的にいやあな感じの人間、わがままな人間になっている。介護はたいへんだ……。そういう「見方」があるかもしれない。
 でも人間の「事実」はそんな単純ではない。実際に「事実」を確かめてみないことにはなにもわからない。
 それはスラムに育って、服役したこともあるオマール・シーも同じである。人間の「事実(人格の事実)」は、想像するだけではわからない。「略歴」を聞くだけではわからない。そんな人間に介護をまかせれば、たいへんなことが起きる。財産をくすねる、というより財産そのものを略奪されることもあるかもしれない。(そんな心配を友人がするし、実際に語りもする。)だが、ほんとうはどうなのか。実際に、直に触れてみないとわからない。「事実」には人の数だけ「事実」がある。人と人の触れ合いの数だけ「事実」がある。
 まあ、こんなことを書いてしまっては説教臭くなるけれど、この映画は「事実」を発見し、それを伝えることを真剣でやっている。その「事実」を、オマール・シーはとても楽しいこととして演じている。純粋に、真剣に向き合っている。
 実話、だそうです。

 この映画「天神東宝シネマ1」で見たが、相変わらず途中で「ブオーン」という雑音が入る。映写機の問題かスピーカーの問題かわからないが、何年間も放置しておくのはあまりにも観客をバカにしている。何度でも苦情を書いておく。
                     (天神東宝シネマ1、2012年09月01日)


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