荒川洋治「外灯」(「現代詩手帖」2012年12月号)
荒川洋治「外灯」(初出「榛名団」1、2011年11月発行)について語るのは、とてもやっかいだ。この詩は一見谷川俊太郎の詩とは反対のもののようにみえる。そこに書かれている「意味」はとてもわかりやすい。もちろん「わかりやすい」といっても、そのわかったと思ったことは私の「誤読」かかもしれないのだが……。
荒川は東日本大震災以後、あっというまにつかわれるようになった「絆」ということばに対して異議をとなえている。
それは、途中を省略して、次の部分を読むとさらにはっきりする。
きのう読んだ谷川の詩では君の「いのち」から「生きる」ということが誘い出されていた。読者が自然に「いのち」の強さを感じるように書かれていた。「絶望」と「いのち」の関係を追っているうちに「生きる」ことを見出すように書かれていた。そこに「意味」があった。
「絶望」と「いのち」は断絶しながらつながっている。その「つながり」を、さて、何と呼ぶべきか。
絆?
ちょっと違うが、ほんとうに違うかどうかはよくわからない。
東日本大震災後、しきりに語られるようになった「絆」は、たぶん、ひとりで絶望しないで、人と人はつながっている。助け合って生きていこう、というような「意味」でつかわれていると思う。
ここにも「つながり」がある。
そして、その「つながり」には、やはり「絶望」と「いのち」がどこかで行き交っている。だから、谷川の詩と荒川の詩は「似通っている」ということもできるのだけれど、谷川の詩が、人が寄り添うこと、寄り添うことで生きる力につながる何かを引き出すことに「意味」を見出しているのに対して、荒川は「つながり(絆)」を拒否している。「結びつけてはならない」と主張している。
つまり、正反対のことを書いているようにみえる。
でも、そうなのかなあ。
私は、かなり不安になるのである。「絆」を否定するとき、荒川はでは何を肯定しているのか。
こういうことは、考えはじめるととてもややこしくなる。
で、別な考え方をする。
この詩で好きなところはどこ? なぜ私は荒川のこの詩について感想を書いてみようと思ったのか。感想を書くことで自分のことばを試してみようと思ったのか。荒川に対してどんなふうに近づいてけると思ったのか……。ややこしくなった。もとに戻そう。
どこが好き?
ここが好き。「西日本の両手」とは何か。わからない。「西日本」は「東日本」とは反対(?)の方向をさしているということはわかるが、こんなことは「頭」で「わかったつもり」になることであって、ほんとうはわかならいことである。そういうことは、私は「保留」しておく。何も考えずにほうっておく。
そうしてわからないことをほうりだして、何が私の「肉体」に迫ってきたかというと……。
自転車に乗って両手を離して走る。それは「草の屈託のようで/手がつけられない」--この「手がつけられない」がとても気に入ったのだ。よくわかったのだ。両手を離して自転車にるの。風を切る。気持ちがいい。何にも「つながっていない」。これは気持ちがよくて、なおかつ、
ああ、いいなあ。「手がつけられない」それが「普通である」。
で、「手がつけられない」って何だろう。何に手がつけられないのだろう。
たぶん、「両手を離して自転車に乗る」というようなこと。できないことをしてしまうこと。できとなかったことをしてしまうこと。そして、そのときに感じる「よろこび」。これは「手がつけられない」。夢中になる。その何か、新しいこと、自分がいままでしなかったようなことをしてしまい、夢中になるということは「手がつけられない」と同時に、「普通のこと」である。
手がつけられない何か--それが人間を「つないでいる」「結びつけている」。もし、人と人をつなぐものがあるとしたは、それは「手がつけられない」何かなのだ。
で、この「手がつけられない何か」とは何かということを考えはじめると、私はなぜか、谷川俊太郎の書いていた、
を思い出してしまうのだ。
絶望が終点ではないと知っている「いのち」、その「いのち」の力には「手がつけられない」。自分のなかにあるのに、自分を超越している。それがふいにあらわれてくる。
そして(と書いても、これは「論理的」な「そして」ではなく、飛躍した「そして」であるのだが……)、たしかに私が「東日本大震災」で何かを感じたとすれば、「手のつけられないいのち」に共感したのである。ふるえたのである。大災害のなかで「生きている」。そればかりかだれかに「感謝している」。その「いのち」、あるいは「感謝のこころ」を動かしているものは「手がつけられない」。いいかえると、全体的な「ちから」である。
「他者のちから」。ぜったい自分のものではない「いのち」。それを私はたしかにあらゆる瞬間に感じた。被災した人の語ることば。(それを私は直接聞いたわけではなく、新聞で読んだのだが……。)そこには何かしら私には絶対にたどりつけない「ちから」があった。それは悲しみ、絶望であっても、何か「手のつけられない」純粋なちからにあふれていた。絶望や、悲しみさえも。
それは「絆」によって、私がその悲しみや絶望をささえる、というものではなく、逆である。私がふれた絶望、悲しみ(と、私に思えるもの)によって、逆に私が何かしらささえられているような感じがするものである。
で、これは。と、ここでまた私はとんでもない「飛躍」をしてしまうのだが。
それは私が牛やイヌに感じるものとも似ている。(私は馬や鷹を飼ったことがないというか、馬といっしょに暮らした時間がないので、荒川が書いている馬と鷹についてはふれることができないのだが……。)牛をロープでつないで歩くとき、イヌをリードでつないであるいているとき、そのロープやリードは「形式」であり、それとは別の「絆」を感じて歩くのである。ロープ、リードでつなぎながら、それは「いらないなあ」と感じるとき、そこに「絆」がある。見えない何かをみるために「絆(ロープ、リード)」がある、といえばいいのかなあ。
そんなことを考えると、あ、たしかに「絆」というのは、何かちがうなあ、と思うのだ。人間と人間を結びつけるとき「絆」ということばで結びつけると何か違う感じがするのだ。
人間と人間を結びつけるなら、「絆」ではなく、逆の何か--たとえば自転車を手離しで乗る、そのよろこびのようなもの、その「手のつけられない」何かであってほしいなあ、と思う。「遊ぶ」よろこびのようなものであってほしいと思う。
この「手のつけられないいのちの力」というのは、谷川の書いた「いのち」とは違うところにあるのかなあ。それとも同じものなのかなあ。--同じではないのだけれど、同じだと感じるのである。
矛盾した言い方だが、同じではないから、同じだと思う。
きっと、この矛盾のなかに詩があるのだと思う。
荒川洋治「外灯」(初出「榛名団」1、2011年11月発行)について語るのは、とてもやっかいだ。この詩は一見谷川俊太郎の詩とは反対のもののようにみえる。そこに書かれている「意味」はとてもわかりやすい。もちろん「わかりやすい」といっても、そのわかったと思ったことは私の「誤読」かかもしれないのだが……。
四日目
川のある「わが会社」からの帰り道
ひとりの青年が
西日本の両手を離したまま
自転車に乗り
川沿いの道をかけていく
草の屈託のようで
手がつけられない
それは普通のことであり
ひるのひなかを
矢のように流れ
絆とは 牛やイヌや鷹をつなぐものである
わが社会では
荒川は東日本大震災以後、あっというまにつかわれるようになった「絆」ということばに対して異議をとなえている。
それは、途中を省略して、次の部分を読むとさらにはっきりする。
絆とは
馬やイヌや鷹をつなぐものであり
わが社会では
つかってはならない
人と人を結びつけてはならない
きのう読んだ谷川の詩では君の「いのち」から「生きる」ということが誘い出されていた。読者が自然に「いのち」の強さを感じるように書かれていた。「絶望」と「いのち」の関係を追っているうちに「生きる」ことを見出すように書かれていた。そこに「意味」があった。
「絶望」と「いのち」は断絶しながらつながっている。その「つながり」を、さて、何と呼ぶべきか。
絆?
ちょっと違うが、ほんとうに違うかどうかはよくわからない。
東日本大震災後、しきりに語られるようになった「絆」は、たぶん、ひとりで絶望しないで、人と人はつながっている。助け合って生きていこう、というような「意味」でつかわれていると思う。
ここにも「つながり」がある。
そして、その「つながり」には、やはり「絶望」と「いのち」がどこかで行き交っている。だから、谷川の詩と荒川の詩は「似通っている」ということもできるのだけれど、谷川の詩が、人が寄り添うこと、寄り添うことで生きる力につながる何かを引き出すことに「意味」を見出しているのに対して、荒川は「つながり(絆)」を拒否している。「結びつけてはならない」と主張している。
つまり、正反対のことを書いているようにみえる。
でも、そうなのかなあ。
私は、かなり不安になるのである。「絆」を否定するとき、荒川はでは何を肯定しているのか。
こういうことは、考えはじめるととてもややこしくなる。
で、別な考え方をする。
この詩で好きなところはどこ? なぜ私は荒川のこの詩について感想を書いてみようと思ったのか。感想を書くことで自分のことばを試してみようと思ったのか。荒川に対してどんなふうに近づいてけると思ったのか……。ややこしくなった。もとに戻そう。
どこが好き?
西日本の両手を離したまま
自転車に乗り
川沿いの道をかけていく
草の屈託のようで
手がつけられない
それは普通のことであり
ここが好き。「西日本の両手」とは何か。わからない。「西日本」は「東日本」とは反対(?)の方向をさしているということはわかるが、こんなことは「頭」で「わかったつもり」になることであって、ほんとうはわかならいことである。そういうことは、私は「保留」しておく。何も考えずにほうっておく。
そうしてわからないことをほうりだして、何が私の「肉体」に迫ってきたかというと……。
自転車に乗って両手を離して走る。それは「草の屈託のようで/手がつけられない」--この「手がつけられない」がとても気に入ったのだ。よくわかったのだ。両手を離して自転車にるの。風を切る。気持ちがいい。何にも「つながっていない」。これは気持ちがよくて、なおかつ、
それは普通のことであり
ああ、いいなあ。「手がつけられない」それが「普通である」。
で、「手がつけられない」って何だろう。何に手がつけられないのだろう。
たぶん、「両手を離して自転車に乗る」というようなこと。できないことをしてしまうこと。できとなかったことをしてしまうこと。そして、そのときに感じる「よろこび」。これは「手がつけられない」。夢中になる。その何か、新しいこと、自分がいままでしなかったようなことをしてしまい、夢中になるということは「手がつけられない」と同時に、「普通のこと」である。
手がつけられない何か--それが人間を「つないでいる」「結びつけている」。もし、人と人をつなぐものがあるとしたは、それは「手がつけられない」何かなのだ。
で、この「手がつけられない何か」とは何かということを考えはじめると、私はなぜか、谷川俊太郎の書いていた、
絶望が終点ではないと
君のいのちは知っているから
を思い出してしまうのだ。
絶望が終点ではないと知っている「いのち」、その「いのち」の力には「手がつけられない」。自分のなかにあるのに、自分を超越している。それがふいにあらわれてくる。
そして(と書いても、これは「論理的」な「そして」ではなく、飛躍した「そして」であるのだが……)、たしかに私が「東日本大震災」で何かを感じたとすれば、「手のつけられないいのち」に共感したのである。ふるえたのである。大災害のなかで「生きている」。そればかりかだれかに「感謝している」。その「いのち」、あるいは「感謝のこころ」を動かしているものは「手がつけられない」。いいかえると、全体的な「ちから」である。
「他者のちから」。ぜったい自分のものではない「いのち」。それを私はたしかにあらゆる瞬間に感じた。被災した人の語ることば。(それを私は直接聞いたわけではなく、新聞で読んだのだが……。)そこには何かしら私には絶対にたどりつけない「ちから」があった。それは悲しみ、絶望であっても、何か「手のつけられない」純粋なちからにあふれていた。絶望や、悲しみさえも。
それは「絆」によって、私がその悲しみや絶望をささえる、というものではなく、逆である。私がふれた絶望、悲しみ(と、私に思えるもの)によって、逆に私が何かしらささえられているような感じがするものである。
で、これは。と、ここでまた私はとんでもない「飛躍」をしてしまうのだが。
それは私が牛やイヌに感じるものとも似ている。(私は馬や鷹を飼ったことがないというか、馬といっしょに暮らした時間がないので、荒川が書いている馬と鷹についてはふれることができないのだが……。)牛をロープでつないで歩くとき、イヌをリードでつないであるいているとき、そのロープやリードは「形式」であり、それとは別の「絆」を感じて歩くのである。ロープ、リードでつなぎながら、それは「いらないなあ」と感じるとき、そこに「絆」がある。見えない何かをみるために「絆(ロープ、リード)」がある、といえばいいのかなあ。
そんなことを考えると、あ、たしかに「絆」というのは、何かちがうなあ、と思うのだ。人間と人間を結びつけるとき「絆」ということばで結びつけると何か違う感じがするのだ。
人間と人間を結びつけるなら、「絆」ではなく、逆の何か--たとえば自転車を手離しで乗る、そのよろこびのようなもの、その「手のつけられない」何かであってほしいなあ、と思う。「遊ぶ」よろこびのようなものであってほしいと思う。
この「手のつけられないいのちの力」というのは、谷川の書いた「いのち」とは違うところにあるのかなあ。それとも同じものなのかなあ。--同じではないのだけれど、同じだと感じるのである。
矛盾した言い方だが、同じではないから、同じだと思う。
きっと、この矛盾のなかに詩があるのだと思う。
詩とことば (岩波現代文庫) | |
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