吉田文憲「不在」(「午前」2、2012年12月05日発行)
吉田文憲「不在」もまた田中清光のように「(西洋の)頭」で書かれたことばだろうか。少しそんな気がしないでもない。
でも、「西洋の頭」というのとは違うなあ。どちらかというと昭和の「新感覚派」の文体。「新感覚派」の文体は、私には、はじめて翻訳を試みた学生の日本語のようにも見えるから、そこに「西洋の頭」の影響を感じるのかもしれないが--新感覚派ついでにいうと、この書き出しは川端康成の「雪国」である。手元に本がないのであいまいだが、「トンネルをぬけると雪国だった。夜の底が白くなった」。「そこだけが/発光しているようにみえる」はこの感覚に非常に似ている。「夜の底」と「そこ」は違うことばなのだが、「白くなった」と「発光している」がまったく同じである。夜の雪は昼の白銀のように太陽の光を反射して輝くのではなく、それ自体内部から発光しているようにして静かに白を浮かび上がらせる。
そして、その「新感覚派」に通じることなのだけれど、その文体には「西洋のことば」がそのままでは入り込まない。田中の書いていたような「金貨」のような異質なものが入り込まず、あくまで「日本」にあるもの、「日本語」が動いていく。
「発光」と「悲鳴」にはたぶん「西洋」がまぎれこんでいる。けれど吉田は田中のように「精神」ということばをつかわずに、「発光(する)」という、動詞派生のことばを「悲鳴」に重ね合わせることで、「悲鳴」のなかから悲鳴を「あげる」ではなく、「悲鳴する(?)」というような「動詞」を引き出している。「悲鳴」は「名詞」だが、「発光する」と重なるとき、そこに何か不思議な「動詞」の要素が加わってくる。「発光する」と「悲鳴」を重ねることで、「西洋の頭」を「肉体」に還元している。「肉体」というのは、たぶん、「西洋」「日本」の区別はない。ヨーロッパのどこの国かわからない人が日本の道端でうずくまり腹を抱えてうめいていたら、あ、彼は腹が痛いのだと日本人にもわかる。自分の腹の痛みではないのに、その姿勢やうめき声で痛みがわかる。それは「痛む」という動詞、そのときの「肉体」の動き(動いていること)がわかるということである。
「(わたし)を残して」の(わたし)は、もしかすると「精神」かもしれない。「自己」の言い換えかもしれない。けれど、そういう「強いことば」ではなく、単なる「一人称」の呼び名としての「わたし」ということばの響きが、なんとなく、身近に響いてくる。まあ、これは私の「感覚の意見」だから、ほかのひとは「精神」ということばよりも(わたし)という表記の方に「西洋」を感じるかもしれないけれど。
うまく言えないが、田中のことばに比べると、吉田のことばは私の「肉体」になじみやすい。つかまえやすい、というだけのことかもしれないのだけれど。
「不在」ということば「西洋の頭」を強く感じさせる。詩のタイトルにもなっているが、うーん、不在か。このことばだけが、詩のなかでなにか違っている。でも、その「違い」を強引に押し通していくのではなく、「頭」が「不在」を回避して、ちゃんと「日本語の肉体」を動いていく。「水面の揺らぎをみていた」という具体的な対象、しかもありふれた対象が「みていた」という動詞のなかでしっかり定着している。そのことに私は安心する。
「河岸」と「キシキシ」の組み合わせには、漢字と読み方の不思議な交錯もある。「かし」は「岸」という漢字を含み、「岸」は「きし」でもある。そういうあたりまえのこと--日本語で生きてきた人間にはあたりまえのことが「音」という「肉体」に作用し、そこから「鳴き声」「聞く」という「音」につながる「肉体」と動詞が引き寄せられる。
とても自然である。
そして、その後のことばの「転調」が、また、とても自然である。「発光してみえる」(見る、という動詞)と「悲鳴をあげる」(声を出す、という動詞)の交錯はすでに最初からあったのだが、それが「揺らぎをみていた(見る)」「鳴き声を聞いていた(声を出すから、声を聞くに動詞が変わっている)」と動いていくと、なにかしら「肉体」全体に動詞が影響しあい、変化が起きる。
「見る」--その「目」が「濁る」。これは「鳴き声(声を出す)=喉」、それを「聞く=耳」という「肉体」の融合に「目」も引きずられ、融合・一体化したために起きる「濁る」であろう。「目」は「目」だけで働いているわけではないのだ。それが証拠(?)に、風景が「ささくれ」る。「ささくれる」はもちろん目でも確認できるが、いちばん確実なのは「触覚」である。手で触って「ささくれ」を私たちは実感する。
こんなふうに「肉体」が自然に融合し、「肉体」の「個別の器官」の境目をなくしていくとどうなるか。
「肉体」から何かが「さまよい出す」。それは「わたしではない」。「わたしではない」けれど「わたしである」。「わたしの肉体」から出ていったものであるから。この離脱が幸福な場合、私たちはそれをエクスタシーと呼びならわしているけれど、それがのぞんだものではない場合--うーん、それが「不在」なのか。
でも、どっちが? さまよい出した「わたし」が不在? 「わたし」を失った「わたし」が不在?
えっ、何を書いている?
わからないね。そして、このわからない混乱のなかにこそ、私は詩があるのだと感じる。わからない瞬間、私が頼ることができるのは、そこにことばがあって、それが動いているということだけだ。
こういう「領域」へ動いてくことばというのは、いいものだと思う。いい作品だと思う。(私には西洋化ぶれのミーハーなところがあり、こういうことばの動きはほんとうはとても好きなのだ。)
さらにことばは動いていく。
あ、「鏡」が唐突だなあ。ちょっと「肉体」から離れて「頭」が自己主張しはじめているかなあ。
この「そのいない小さなもの=不在」をもう一度言いなおす詩の後半(このあともまだ詩はつづいている)は、私にはかなりつまらない。けれど、前半はおもしろい。だから後半のおもしろくはない部分は省略して、前半だけについて思ったことを書いてみた。「悪口」を書きはじめると、それがとまらない悪い癖があるので。
吉田文憲「不在」もまた田中清光のように「(西洋の)頭」で書かれたことばだろうか。少しそんな気がしないでもない。
手紙が置いてある
そこだけが
発光しているようにみえる
でも、「西洋の頭」というのとは違うなあ。どちらかというと昭和の「新感覚派」の文体。「新感覚派」の文体は、私には、はじめて翻訳を試みた学生の日本語のようにも見えるから、そこに「西洋の頭」の影響を感じるのかもしれないが--新感覚派ついでにいうと、この書き出しは川端康成の「雪国」である。手元に本がないのであいまいだが、「トンネルをぬけると雪国だった。夜の底が白くなった」。「そこだけが/発光しているようにみえる」はこの感覚に非常に似ている。「夜の底」と「そこ」は違うことばなのだが、「白くなった」と「発光している」がまったく同じである。夜の雪は昼の白銀のように太陽の光を反射して輝くのではなく、それ自体内部から発光しているようにして静かに白を浮かび上がらせる。
そして、その「新感覚派」に通じることなのだけれど、その文体には「西洋のことば」がそのままでは入り込まない。田中の書いていたような「金貨」のような異質なものが入り込まず、あくまで「日本」にあるもの、「日本語」が動いていく。
悲鳴をあげているようにみえる
崩れてゆく人影が
発光している文字が
(わたし)を残して
いつまでも
悲鳴をあげているようにみえる
「発光」と「悲鳴」にはたぶん「西洋」がまぎれこんでいる。けれど吉田は田中のように「精神」ということばをつかわずに、「発光(する)」という、動詞派生のことばを「悲鳴」に重ね合わせることで、「悲鳴」のなかから悲鳴を「あげる」ではなく、「悲鳴する(?)」というような「動詞」を引き出している。「悲鳴」は「名詞」だが、「発光する」と重なるとき、そこに何か不思議な「動詞」の要素が加わってくる。「発光する」と「悲鳴」を重ねることで、「西洋の頭」を「肉体」に還元している。「肉体」というのは、たぶん、「西洋」「日本」の区別はない。ヨーロッパのどこの国かわからない人が日本の道端でうずくまり腹を抱えてうめいていたら、あ、彼は腹が痛いのだと日本人にもわかる。自分の腹の痛みではないのに、その姿勢やうめき声で痛みがわかる。それは「痛む」という動詞、そのときの「肉体」の動き(動いていること)がわかるということである。
「(わたし)を残して」の(わたし)は、もしかすると「精神」かもしれない。「自己」の言い換えかもしれない。けれど、そういう「強いことば」ではなく、単なる「一人称」の呼び名としての「わたし」ということばの響きが、なんとなく、身近に響いてくる。まあ、これは私の「感覚の意見」だから、ほかのひとは「精神」ということばよりも(わたし)という表記の方に「西洋」を感じるかもしれないけれど。
うまく言えないが、田中のことばに比べると、吉田のことばは私の「肉体」になじみやすい。つかまえやすい、というだけのことかもしれないのだけれど。
三日間の不在だった
水面の揺らぎをみていた
河岸にキシキシという水鳥の鳴き声を聞いていた
「不在」ということば「西洋の頭」を強く感じさせる。詩のタイトルにもなっているが、うーん、不在か。このことばだけが、詩のなかでなにか違っている。でも、その「違い」を強引に押し通していくのではなく、「頭」が「不在」を回避して、ちゃんと「日本語の肉体」を動いていく。「水面の揺らぎをみていた」という具体的な対象、しかもありふれた対象が「みていた」という動詞のなかでしっかり定着している。そのことに私は安心する。
「河岸」と「キシキシ」の組み合わせには、漢字と読み方の不思議な交錯もある。「かし」は「岸」という漢字を含み、「岸」は「きし」でもある。そういうあたりまえのこと--日本語で生きてきた人間にはあたりまえのことが「音」という「肉体」に作用し、そこから「鳴き声」「聞く」という「音」につながる「肉体」と動詞が引き寄せられる。
とても自然である。
そして、その後のことばの「転調」が、また、とても自然である。「発光してみえる」(見る、という動詞)と「悲鳴をあげる」(声を出す、という動詞)の交錯はすでに最初からあったのだが、それが「揺らぎをみていた(見る)」「鳴き声を聞いていた(声を出すから、声を聞くに動詞が変わっている)」と動いていくと、なにかしら「肉体」全体に動詞が影響しあい、変化が起きる。
濁る目に
風景がささくれていた
「見る」--その「目」が「濁る」。これは「鳴き声(声を出す)=喉」、それを「聞く=耳」という「肉体」の融合に「目」も引きずられ、融合・一体化したために起きる「濁る」であろう。「目」は「目」だけで働いているわけではないのだ。それが証拠(?)に、風景が「ささくれ」る。「ささくれる」はもちろん目でも確認できるが、いちばん確実なのは「触覚」である。手で触って「ささくれ」を私たちは実感する。
こんなふうに「肉体」が自然に融合し、「肉体」の「個別の器官」の境目をなくしていくとどうなるか。
その遠い目の下から
さまよい出すものがあって
わたしではない影が
黒い木立の下で
悶えていた
泣いていた
「肉体」から何かが「さまよい出す」。それは「わたしではない」。「わたしではない」けれど「わたしである」。「わたしの肉体」から出ていったものであるから。この離脱が幸福な場合、私たちはそれをエクスタシーと呼びならわしているけれど、それがのぞんだものではない場合--うーん、それが「不在」なのか。
でも、どっちが? さまよい出した「わたし」が不在? 「わたし」を失った「わたし」が不在?
えっ、何を書いている?
わからないね。そして、このわからない混乱のなかにこそ、私は詩があるのだと感じる。わからない瞬間、私が頼ることができるのは、そこにことばがあって、それが動いているということだけだ。
こういう「領域」へ動いてくことばというのは、いいものだと思う。いい作品だと思う。(私には西洋化ぶれのミーハーなところがあり、こういうことばの動きはほんとうはとても好きなのだ。)
さらにことばは動いていく。
そのいない小さなものが呼吸するたびに
ほんのわずかずつ空が上下に揺れた
遠い鏡のなかでは
犬がほえ
霰や雹が降っている
あ、「鏡」が唐突だなあ。ちょっと「肉体」から離れて「頭」が自己主張しはじめているかなあ。
この「そのいない小さなもの=不在」をもう一度言いなおす詩の後半(このあともまだ詩はつづいている)は、私にはかなりつまらない。けれど、前半はおもしろい。だから後半のおもしろくはない部分は省略して、前半だけについて思ったことを書いてみた。「悪口」を書きはじめると、それがとまらない悪い癖があるので。
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