詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

辺見庸「海を泳ぐ蒼い牛」

2012-12-06 10:19:21 | 詩集
辺見庸「海を泳ぐ蒼い牛」(「現代詩手帖」2012年12月号)

 辺見庸「海を泳ぐ蒼い牛」(初出『眼の海』2011年11月発行)は東日本大震災のことを描いている。それは描写ではなく、ことばが必然的に動いていくということを、そのまま記録したものである。

あのあと、
きみのからだは、
海をながされ、
波に洗われ、
引き潮にはこばれて、
皮をはがれ、
肉をはがれ、
声をはがれ、
肩甲骨を白くむきだし、
ゆっくり死なされて、
うつぶせてどこまでも沈み、
死につつ、だんだん、
藍青色の大きな牛になっていった。

 「きみ」とはだれか。名前で呼ぶと、そこにはあまりにも強い「絆」が生まれる。「絆」をこえた「絆」が生まれる。そうして、そうなってしまうと、そこに起きていることは「自分自身」の「肉体」そのものになる。もちろん、そうやって動くことばもあるのだが、自分がその「肉体」になってしまうと、とてもことばを動かしている余裕はない。「生きる」ということに懸命になる。その「懸命」さのなかで、動かしえなかったことば--そのことばを引き受けて書きはじめるには「きみ」と呼ぶしかなかったのだろう。「きみ」と呼ぶことで、その「いのち」を「自分の肉体」だけで受け止めるのではなく、「いま/ここ」にいるすべての人間とともに受け止めよう、すべての人間といっしょに、そのときの、ことば以前のことばを生きてみようとしている。「ことば」として「きみ」を「共有」するといえばいいのだろうか。「共有」という表現は冷たくて、適切ではないと思うが……。
 「きみ」に起きたこと。それは辺見の「肉体」に起きたことではないから、ことばはとても慎重に動く。ゆっくりと、ことばを探している。「ながされ」「洗われ」「はこばれ」「はがれ」--すべて「受け身」である。「きみ」に起きたことは、君が能動的に起こしたことではなく、あくまで受動的に起きたことである。
 でも、そのあとの、

肩甲骨を白くむきだし

 この「むきだし」はどうだろうか。受け身ではない。だが、それは、それでは「きみ」が自発的におこなったことか。そうでもない。皮をはがれ、肉をはがれ、その結果、肩甲骨が剥き出しの状態にされたのである。けれど、それを「むきだし」と言うとき、そこに不思議な何かが動く。能動であることば--それが、不思議な「意志」のようなものを感じさせる。
 それは「ゆっくりと死なされ」が「死につつ」ということばにかわるところにも感じられる。「死につつ」--死を自分で選んで死んでいくのではないが「死につつ」というとき、そこに「自分で選んだ何か」というような印象が生まれる。それは「死なされる」のではなく、自分で「生きる」という方法として「死」を選ぶという感じ。
 「死なされて」たまるか。
 この「……されてたまるか」をすべての行に補うと、この詩のことばが、ぐっと印象が変わる。

海をながされ「てたまるか」、
波に洗われ「てたまるか」、
引き潮にはこばれて「たまるか」、
皮をはがれ「てたまるか」、
肉をはがれ「てたまるか」、
声をはがれ「てたまるか」、
「だから、そのことに抗議して」
肩甲骨を白くむきだし、
ゆっくり死なされて「たまるか、それに抗議して」、
うつぶせてどこまでも沈み、
死につつ、だんだん、
藍青色の大きな牛になっていった。

 この「なっていった」と「された」のではない。自分で選んで「なった」のである。「声」をはがれたので、「声」ではなく、「声」よりもはっきりした「もの」になって、何かを訴える。剥き出しの肩甲骨も抗議であり、牛も抗議なのだ。
 ここから、ことばはさらに動いていく。「意味」ではなく、「怒り」そのものを「怒っている」というのではなく、どんなふうに「こころ」が「もの」になって--「もの」になってというのは変だが、ようするに「具体的」な動きになって「自分の肉体」を獲得していくか、「肉体」に何が起きたかを、伝えることばに「なっていく」。

生前、牛になるのをのぞんでいたからでも、
さりとて、死後、牛になる罰でもなく、
ただ、ゆくりなく大きな蒼い牛になって、
月の夜、
沖の海の底から
ごぼごぼごぼと、
タールのように黒い水面に浮き上がり、
首を戦艦の舳先のようにもちあげ、
両の眼の輝板(タペタム)を
眩しい金色の探照灯にして、
ふたすじの金色の光を遠くに射ながら、
ものも言わずに、
海原をまっすぐに渚へと泳いだ。
塩水に濡れたふたつの角がぬめった。
岸は太古であった。
岸は轟(どよへい)いていた。

 なぜ、しかし、牛なのか。

生前、牛になるのをのぞんでいたからでも、
さりとて、死後、牛になる罰でもなく、

 わからない。それはこの詩を書いている辺見にもきっとわからない。それはどこからともなくやってくる「必然」なのである。「きみ」という死者を「牛」と呼ぶことは非礼かもしれない。しかし、それが非礼であっても、そうするしかない。
 ここには辺見と牛とのあいだの、それこそ「絆」があるのだ。荒川洋治が「絆とは 牛やイヌや鷹をつなぐものである」と書いていたが、どこか、それにつながる「絆」がある。ロープでもリードでもない何かがある。そして「牛になる」ことではじめて、その牛といっしょに動くことばがある。それは「牛になる」こと以外には動かせないことばである。--「牛」には「させられる」(受動)ではなく、あくまで「なる(能動)」であり、それがことばを動かす。
 同じ行をまた引用してしまうが、

沖の海の底から
ごぼごぼごぼと、
タールのように黒い水面に浮き上がり、
首を戦艦の舳先のようにもちあげ、
両の眼の輝板を
眩しい金色の探照灯にして、
ふたすじの金色の光を遠くに射ながら、
ものも言わずに、
海原をまっすぐに渚へと泳いだ。

 これは、すごい。「牛」はもう「牛」ではない。「戦艦」という「比喩」が出てくるが、私はこういう「牛」を見たことがない。そこには私の知らない「牛」がいて、そのとき私が知らないのは「牛」ではなく、「牛」のなかにある「いのち」なのだとわかる。

海をながされ「てたまるか」、
波に洗われ「てたまるか」、
引き潮にはこばれて「たまるか」、
皮をはがれ「てたまるか」、
肉をはがれ「てたまるか」、
声をはがれ「てたまるか」、

 「ものも言わずに」、つまり「……されてたまるか」とも言わずに、それを「肉体」そのもので抗議するとき、その「声」は「牛」になり、同時に「戦艦」になる。首は舳先になる。眼は探照灯になる。「舳先」も「探照灯」も「比喩」ではない。それは「なる」という「運動」そのものの「軌跡」なのだ。
 「きみ」が「牛」に「なる」。牛が「戦艦」に「なる」。牛の首が「舳先」に「なる」。両の目が「探照灯」に「なる」。この「なる」という運動のなかにあるエネルギーが、岸を「太古」にする。
 辺見は「岸は太古であった」と客観的(?)に書いているが、それは「ある」ということばで書かれているけれど、牛がいなければ太古ではありえないのだから、岸は牛によって太古に「なった」。そして太古として「ある」ということなのだ。
 あるいは、牛は岸を太古に「する」のである。そう言い換えた方がいいだろう。岸は太古に「なる」と言うと、そこには岸の「意志」が働いているように感じられるが、そうではない。岸に意志があるのではなく、あくまで牛の意志が岸を突き動かし、その結果、岸が太古に「なる」。
 それは牛が「……されて」という受動からはじまったように、太古に「された」のである。太古に「した」のは牛である。牛が岸を太古に「する」。

 「きみのからだは、/海をながされ」とはじまった「きみ」の「受動」は、「牛」に「なる(自発)」をへて、岸を太古に「する」という強烈な「能動」にかわる。そこに「いのち」の「いかり」が噴出している。いのちの爆発が、そのまま他者に作用する、その作用としての「能動」が、ここに生々しく書かれている。
 「きみのからだは、/海をながされ」と書くとき、たぶん、辺見は悲しみを生きていた。その悲しみが、書いているうちに、ことばを違ったものにしていく。ことばは悲しみだけを生きていることはできない。悲しみが怒りになって動きはじめる。それは必然的なことである。その必然を、辺見は「論理」ではなく、論理以前の、混沌とした「いのちのエネルギーの爆発」そのものとして存在させている。




眼の海
辺見 庸
毎日新聞社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする