詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎「髪」

2014-05-04 09:40:46 | 詩集
谷川俊太郎「髪」(「谷川俊太郎のポエメール デジタル」25、2014年05月02日発行)

 谷川俊太郎「髪」の前半部分。

髪は揺れる
風にそよぐ葉のように
髪は流れる
海へ向かう渓流のように
髪は乱れる
悩む心とともに
髪は匂う
獣の遠い記憶に

 最初の2行は、いわゆる直喩。自然に髪と比喩として描かれた自然の風景が思い浮かぶ--といいたいけれど、私の場合は少し違った。風に揺れる木の葉、風に揺れる草の葉は、揺れる髪と重ならなかった。髪と揺れる葉(そよぐ葉)のイメージが重なる前に、ことばがすーっと通りすぎていく。「揺れる」「そよぐ」ということばは重なり合うのだけれど、髪と葉がうまく重ならない。情景よりも前に、「揺れる」は「そよぐ」ともいうなあ、ということばの記憶が動いてしまう。実際に、髪のように揺れる(そよぐ)木の葉、草の葉を思い浮かべるようとすると、ちょっとややこしい。私の家の近くにはケヤキや楠木、いまだとつつじなんかが目につくが、その葉はどんなにゆれても髪とは重ならないし、空き地の雑草も逞しすぎて美人の(?)髪とは結びつかない。コマーシャルに出てくるシャンプー美人の髪なら、柳? うーん、「揺れる」「そよぐ」のことばの関係は納得できるが、髪と葉の関係は「常套句」のなかの世界であって、現実とは違うみたい。この直喩は髪を見て思いついた比喩ではないみたい。
 次の2行はどうか。同じ感じ。「髪は流れる」と言っても、実際に川を流れる様子を描いたのではないね。きっと「風に流れる」感じを想像し、「流れる」と言っていると思う。そうすると最初の「髪は揺れる」とあまり変わらない。さらさらの髪(きっと長い)が風に揺れて、風のなかを流れている。きらきら太陽を反射させたりして。このきらきら流れるから、「渓流のように」という直喩が生まれてきたのだと思う。「流れる」ではなく「光る」という動詞を私は補って、髪の流れと渓流の流れを結びつけいている。で、その流れが「光る」で重なり合う比喩は納得できるのだけれど、「海へ向かう渓流のように」になってしまうと、私の場合、違和感の方が強くなる。変だと、私は思う。渓流というのは山の中だね。そこでは水はきれいだ。透明だ。だから風になびく髪が、その渓流の様子に似てはいるんだけれど「海へ向かう」が私には何かひっかかる。山の中の渓流から海まで、とても遠い。その距離を思うと、髪が一瞬、風に流れた感じとはあわない。一瞬、瞬間的という感じが消える。渓流そのものには「時間(距離)」の長さはないけれど、「海へ向かう」がなんとなくあわない。ことばを読んだときは、さらっと、わかった気持ちになるが、読み返し、実際に風景を思い浮かべると「直喩」が何か、変。実際に髪の動きを見てことばが動いているというよりも、ことばが先に動いて、むりやり髪と直喩を結びつけている感じ。いわば、「頭で書いている」という印象がある。実際の風景とははなれたところで、ことば(動詞)はことば(動詞)と交感して動いている感じ。そこに交感があるから、すっと比喩(名詞)を受け入れてしまうのだと思う。(私は意地悪なので、比喩につまずいてみせるのだけれど。)
 5行目から、すこし様子が変わってくる。ただ、「髪は乱れる/悩む心とともに」は、驚くということはない。それまでのように、「悩む心のように」にすると「直喩」になってしまう。なぜ、谷川は直喩にしなかったのかなあ。同じ感じがいやだから? 詩は「起承転結」。ここで、ちょっと調子を変えるべきだと考えたのかな? そうかもしれない。--ということは別にして……。この「悩む心とともに」は、前のふたつの「直喩」よりは自然な感じがする。変な感じがしない。悩んでいるとき、髪をかきむしる。(ありきたりだけれど。)そうすると髪が乱れる。ぴったり重なるものがあるなあ、と自分の肉体で確かめることができる。最初の4行は、実際体験(記憶)とはずれる部分がある。ことばではわかっても、あれっ、この比喩はほんとうに正しいの?と疑問が残る。けれど、「悩む心」の例(比喩ではない、ね)は、そうだなあと思う。「のように」ではなく「とともに」がしんみりしていて納得できる。肉体にぴったりあう。
 そして、

髪は匂う
獣の遠い記憶に

 ここで、私はとても悩む。
 書いてあることは、すぐに「わかる」。うーん、いいなあ。こんな具合にことばが書けたらどんなにうれしいだろうと思う。自分と比較してもはじまらないけれど、谷川は詩人だなあ。悔しいなあ、と思う。
 で、ひとしきり悔しがったあと、このことばを読み返すと、どう説明していいか、わからない。「わかる」、「わかっている」と感じたことが錯覚のようにして、するりと手の中から逃げていく。でも、すぐそこにある。はっきり、そこにあるのに、どう書いていいのかわからない。
 髪は匂う。これは長い間、洗わなかったから匂うのではないな。激しく動いて、汗をかいて、そのために匂う。セックスのあとだったりすると「髪が匂う」というよりも「毛が匂う」という感じにもなるかもしれない。それが「獣」と通い合う。
 獣は匂う。それはたいてい「毛」の匂いだ。
 私の想像には、獣の匂いを会だ記憶が影響しているかもしれない。
 「髪は匂う」と谷川は書いているのだが、「獣」がでてきたとたん、それは私の意識のなかでは「毛」にかわってしまう。「獣」は「毛もの(毛の多い生き物)」。そして毛に触ったときの、なめらかさ、荒々しさがいっしょに肉体の奥から蘇る。触ったときの感じが蘇る。「匂う」(嗅覚)なのに、嗅覚以外の触覚、それから獣を見たときの「視覚」も蘇る。こわいけれど、引きつけられる「力」を感じる。そして、それは「匂い」のように、「獣」をはみだして、その周辺にただよっている。
 その匂いを嗅いでいるとき、私はたぶん「獣」になりたいという欲望を生きている。人間じゃなくなっている。心底、獣になりたいというのではないかもしれないが、獣になったらあれるできる、これもできる、と感じている。私は山の中でこども時代を過ごしたので、たとえばイノシシのように山の中を自在に走り回る、サルのように木の枝から枝へ飛びまわる、鳥になって空を飛ぶ(鳥は「獣」ではないかもしれないが……)、というようなことを思い描く。
 大人になってからは、「獣」のようなセックスをしたいという欲望も知った。理性(あるとしてだけれど)を捨てて、獣になって、セックスをむさぼる。激しく匂う。
 そういう夢は肉体のなかに、記憶としてひそんでいる。それが谷川の2行によって、ふいに噴出してきた。

髪は匂う
獣の遠い記憶に

 これは、最初の4行のように直喩で

髪は匂う
獣の匂いのように

 の方がすっきりするのかかもしれない。あるいは「獣の記憶のように」ならすっきりするのかもしれない。けれど、「獣の遠い記憶に」と書かれることで、獣であった自分の遠い記憶をひっぱりだされてしまう感じがするのだ。
 そして、このとき。
 「比喩」が「比喩」ではなくなる。「比喩」というのは、たぶん、自分の「外」(自分以外のもの)を借りてきて表現することだが、自分の「記憶」をさぐって何かを言うときは、「比喩」にはならない。
 で、ここまで感想を書いてきて、最初の4行のなかにある直喩--あれも比喩ではなく、「遠い記憶」だったのだと思う。
 次のように書き直してみる。

髪は揺れる
風にそよぐ葉の「遠い記憶に」
髪は流れる
海へ向かう渓流の「遠い記憶に」
髪は乱れる
悩む心とともに
髪は匂う
獣の遠い記憶に


 「髪」はふつう主体的には動かない。つまり人間のような形では「主語」にはならない。けれども、髪を主語にして、髪が何かを思い出す、思い出してそれをことばにしている--という感じにして詩を読み直すと、
 あ、これは、わかる、
 という感じになる。
 これは、まあ、私の「誤読」なのだけれど、そういうふうに「誤読」したい。「髪」を描いているのではなく、「髪」に私を託している。「髪」こそが「比喩」なのだ。「葉のように」「渓流のように」という「直喩」が出てきているために、「髪」と「私」の関係が隠れてしまって、何か変だったのだ。

 私は、最終的に、次のように「誤読」し、あ、この詩はいいなあ、と思う。

(私が)髪(だったとき、私)は揺れる
風にそよぐ葉の「遠い記憶に」
(私が)髪(だったとき、私)は流れる
海へ向かう渓流の「遠い記憶に」
(私が)髪(だったとき、私)は乱れる
悩む心とともに
(私が)髪(だったとき、私)は匂う
獣の遠い記憶に

 ひとには、だれでも「遠い記憶」がある。肉体がおぼえている何かがある。(谷川の場合「宇宙」がその大本かもしれない。)その肉体がおぼえていることは、たいてい「動詞(肉体で再現できる何事かを含む)」。そして、その「動詞」を思い出し、その肉体の動きを再現するとき、「いま」と「遠い記憶(過去)」が直結し、そこに「永遠」という時間が瞬間的に噴出する。
 人間になる前、遠い昔のDNAは獣だった。獣としてセックスして、獣として匂いを放った。そのとき風が吹き、木々は葉を戦(そよ)がせてうごめいた。(そよぐ、は「戦ぐ」と書くのだ。)山の水はあふれだし、海へ走った。野生の、原始の、世界(宇宙)の記憶が肉体のなかでうごめく。
 何かに悩むと、その悩みを突き破って、暴れる記憶がある。野生の、原始の記憶がある。それが、悩んでいる私を救ってくれる。

 と、書いてあるかのかどうか、私の知ったことではないのだが(と書くと乱暴すぎるが)、私はそこまで暴走する。
 そして、最初は「変」と書いていたのに、いまは、この詩に感動している。最後の2行の強さに、とても感動している。


 付録。「ポエメール」には質問コーナーの付録(?)がついている。今回は、コーヒーが好きか、どれくらい飲むかというような質問だった。その答えで、私は笑いだしてしまった。次の部分。

 コーヒーは好きです。週にすると12杯くらいでしょうか。

 週に12杯って……一日2杯、ただし週に一回は飲まないってこと? 何か律儀だなあ。禁欲的だなあ。「一日1杯か2杯、週に10杯から15杯くらいかな」という答えと比較してみると、「週にすると12杯」という答え方のなかに谷川が見えてくる。


■谷川俊太郎公式ホームページ『谷川俊太郎.com』:http://www.tanikawashuntaro.com/







自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)
谷川 俊太郎
岩波書店
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中井久夫訳カヴァフィスを読む(43)

2014-05-04 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(43)          

 「エウリオンの墓」は「墓碑銘」をそのまま写し取ったという形をとっている。「美しかりしエウリオンここに眠る。」ということばからはじまる。ただし、

美しかりしエウリオンここに眠る。シエナの一枚岩から切り出した優雅な意匠の墓石のもとに、おびただしいすみれと百合に埋もれて。

 ということばがそれに続くので、墓に刻まれた文字がそのまま再現されているのではなく、墓碑銘を読む人が彼の感性でことばを選択して読んでいるのかな、と想像することもできる。「シエナ」以下は墓碑銘を読む人の感性、カヴァフィスの主観(感想)と読むこともできる。
 その場合、こそにカヴァフィスが再現していることばは主観による要約、脚色と言ってもいい。この主観の配合が絶妙におもしろい。

二十五歳。父方をたどればマケドニアの名家。母方をさぐれば長官輩出の家柄。アリストクレイトスに哲学を、パロスに弁論を学び、エジプト神聖文字の文書をテーベにて教えられ、『アルシノエ県史』を執筆。この書のあるいは後の世に残らむも、われらが失いしものは再び得がたし。

 家系を父方、母方とたどり、客観的事実だけを淡々と要約し、『アルシノエ県史』を執筆と付け加える。業績をほめたたえるふりをして、それに続けるのは次のことば。

まことアポロンの神の御写し絵たりし彼の姿。

 『アルシノエ県史』など、問題ではないのだ。エウリオンが歴史に名を残しているのは、その業績ゆえなのだろうけれど、カヴァフィスが焦点をあてるのは彼の美貌。ほんとうに惜しんでいるのは失われた美貌の方なのだ。それはすみれや百合が似合う美貌だ。冒頭の「美しかりし」というのは死者をほめたたえる「常套句」ではなく、本音なのだ。
 そして「常套句」だから、ひとの口にのぼって広がってゆきもする。

 カヴァフィスの詩が中井久夫が訳出している形、散文形式であったかどうか、私は知らない。中井久夫は、リッツォスの「カヴァフィスにささげる十二詩」(みすず、359号)では行分け詩を散文形式に訳出しているが、この作品も、そうなのかもしれない。この散文形式は、墓に刻まれたことばをそのまま連想させておもしろい。カヴァフィスは「主観」を書いているのに、あたかも、それが昔だれかによって書かれた客観という印象を与える。
 カヴァフィスは主観を客観とみせる手法、客観のなかに主観を紛れ込ませ、冷たい客観を熱い現実に変える魔法を知っている。中井はその魔法を日本語に移しかえる文体を持っている。
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私の街の、ビルの三階にある部屋は

2014-05-04 00:07:29 | 
私の街の、ビルの三階にある部屋は

私の街の、ビルの三階にある部屋は散らかし放題。
ベッドの上に靴下が片方、もう片方はリビングの椅子にかけてあり
毛布は半分落ちている。髪の毛がからまっている。
シーツはきのう洗って干したので太陽の匂いがするけれど。

私の街の、ビルの三階にある部屋は散らかし放題。
ベッドの上は書斎兼キッチン、
読みかけの本の主人公がサンドイッチをつくったときの、
卵の殻が砕けて散らばっている。

私の街の、ビルの三階にある部屋は散らかし放題。
写真に撮るためにバラの造花を買ってきて放り投げる。
落ちたところが夕暮れの海。ワイン色に染まる。

私の街の、ビルの三階にある部屋は散らかし放題。
次のことばをメモするための鉛筆は、
窓から見える金星のように遠い。

*

詩はfacebook 象形文字編集室で書いています。
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