詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中神瑛子『群青のうた』

2014-05-17 12:29:23 | 詩集
中神瑛子『群青のうた』(思潮社、2014年05月01日発行)

 中神瑛子『群青のうた』は、物語のような詩が多い。そして、長い。中神が書きたいことは、その詩群のなかにあるのかもしれないけれど、私がひかれたのは「顛末」。

そのとき、どうしても伝えておかなければならないことがあった
しかし、相手はそこには不在だった
いつ会いに行っても不在だった
不在の相手の影を
私は私のどれだけの現実で埋めたことか
そのとき、どうしても伝えておかなければならないことがあった
しかし、相手はそこには不在だった
だから私は一転、きりもむようにかたちを変えた
どうしても伝えておかなければならないこと
柘榴のように赤く凝って……

 ここには「どうしても伝えておかなければならないこと」が具体的には何かが書いてない。だから、わからない。わからないけれど、この伝えたいものがあるのに伝える相手がいない、そのために伝えたいことが「どうしても」にかわる感覚は、わかる。
 同じ行が1行目と6行目に繰り返されるが、繰り返されることで「どうしても」というどうにもならない感じが強くなる。「どうしても」はさらに9行目にも出てくる。
 中神は「どうしても」が書きたかったんだな、とわかる。

 で、この「どうしても」。私は詩の講座でときどき意地悪な質問を受講生にする。この詩がテキストだったら、たぶん、

<質問> 3回出てくる「どうしても」を、もし言い換えるとするとどうなる?
     自分のことばで言いなおしてみて。

 きっと誰も答えられない。質問した私にも答えられないのだけれど。「どうしても」ということばがわからないわけではない。「どうしても」をつかって、「どうしてもわからない」というような文だってつくれる。どういうときにつかうかもわかっている。それなのに、中神の「どうして」をどう言い換えていいのか、わからない。
 これは、しかしどう言い換えていいのかわからないのであって、何もわからないというのとは違う。
 もしかすると、言い換える必要がないくらい「どうしても」がわかっている。わかりすぎていて、そんなことを言いなおす必要がないのだ。
 これはどういうことかというと。
 同じ経験をしたことがある、それをおぼえている、ということだ。
 言いたくて言いたくてしようがない。言わないと気がすまない。それは怒りか、不満か、よろこびか、そのときによって違うが、たぶん「どうしても伝えておかなければならないこと」というのは、「怒り」の類だろうなあ。我慢して言わなかったこと、言わないためにこころのなかでどんどんふくらんで行って抑えきれなくなって……。それをついに言ってしまおうとして相手を探す、しかし、その人がいない。(あるいは、その人がいたとしても、ほかの人もいっしょにいるので、言えない。)
 そういうことが、きっと誰にでもあって、それを思い出してしまうために「どうしても」ということばを説明しきれない。「どうしても」のなかに「自分」がまるごと入ってきて、「どうしても」の意味を邪魔する。「どうしても」を正確に言おうとすると、あのときの「怒り」のようなものがまじってきて、「どうしても」の説明にはならない。「怒り」の説明になってしまう。

 言いたいのに言えない、伝える相手がいない。そうするとき、ひとはどうするのだろう。

私は私のどれだけの現実で埋めたことか

 この1行は、……うーん。難しい。
 「どうしても」に比べると、まだ言い換えがききそうだが、やっぱり難しい。
 「私の現実」というのは「怒り」だね。その「怒り」を反芻する。自分のなかで繰り返す。怒りが生まれた瞬間のことを思い出し、ことばにしてみる。自分の「主張」をくりかえしてみる。「現実」というより「主張/主観」だね。「私の現実」であって、「相手の現実」ではない、ね。
 そういうものがたまりすぎると、とても苦しい。
 そういうとき、どうするのだろう。
 中神は、とても変わっている。
 自分自身を「柘榴」に変身させてしまう。
 「怒り」によって変身してしまうのだが、これを「怒り」による作用ではなく、あくまで「私は」を主語にする。つまり「怒り(主語)」が私を柘榴に変えたのではなく、

私(主語)は一転、きりもむように「怒りの」かたちを「柘榴に」変えた

 「怒り」を、そういう具合に別のもの(比喩?)にしてしまう。そのとき「主観」が「客観」にかわる。(まあ、これはこんなに簡単には言えないのかもしれないけれど、言ってしまってはいけないのかもしれないけれど、そんな感じがする。)客観にかわるから、それをもちこたえることができる。もちつづけることができる。

半年が経ち、一年が経ち、五年……
そのとき、どうしても伝えておかなければならないことが、あった
不在に

 この12行目にあらわれた突然の読点「、」は「伝えておかなければならないこと」が「あった」から独立して「もの(比喩のようなもの)」にかわったことを意味している。

 で、こうやって、伝えたいこと(怒り)が「もの」に変わってしまうと、何か「世界」全体も変わってしまう。1連目の「どうしても」は2連目になると、希薄になる。2連目にも一回「どうしても伝えておかなければならなかったこと」ということばが出てくるが、よく見ると、それは「ならなかったこと」であって「ならないこと」ではない。「過去」になってしまっている。「現在」ではなくなっている。
 1連目では、何度会いに行っても相手は不在で「伝えておかなければならないこと」は、そのたびに「いま(現在)」として噴出していたのに、「もの(比喩)」にしたとたんに、「過去」になってしまう。
 「いま」というのは、これから先、どうなるかわからないもの。予測のつかないものである。
 それに対して「過去」は、もうかわらない。起きてしまったこと。「主観」ではなく「客観」になってしまう。

 これはこれでおもしろいのかもしれないけれど、私は、あまり関心がもてない。人の「過去」なんか、どうでもいい。起きてしまったことではなく、これからどうするかがスリルに満ちていておもしろいのだ。
 「どうしても伝えたいこと」も、伝えることによってどうなるかが楽しみなのであって、「過去」になってしまうと、わくわくしない。

 たぶん、このことと関係がある。
 私は中神の「物語詩」に引きつけられなかったのは、書かれていることが「客観」になっている。「物語」のなかにおさまって、「過去」として結晶はするけれど、「いま」を突き破って「未来」を動かしていくという感じがしないからだと思う。
 「どうしても」はずーっと「どうしても」であるからおもしろいのに、それが「柘榴」にかわってしまうと、何と言えばいいのだろう、なんだ比喩かと昔なじみの詩を読んでいるような気持ち、「現代詩」という感じがしなくなる。



詩を読む詩をつかむ
谷内 修三
思潮社
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中井久夫訳カヴァフィスを読む(56)

2014-05-17 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(56)          

 「セレウキデスの不機嫌」も態度と声、衣裳と声がテーマだといえる。

デメトリオス・セレウキデスはいたくご不快。
イタリアに着いたプトレマイオス家の者が
とてもむさくるしいなりで、しかも徒歩だという知らせ。
お伴の奴隷も三人か四人。これじゃ
奴の王朝 早晩なめられ、
ローマの笑いものとなり果てようぞ。

 このセレウキデスのことばは「なめられ」という肉体と直接むすびつく口語があって、主観の強さがあるが、それはあくまでセレウキデスのこと。その口調のままの、なれ親しい感じで、王にふさわしい身なりを、……「せめて身なりなりとも--。/どこか威厳が欲しいじゃないか。」と衣裳や王冠、馬をおくろうとする。「わしらもまだ王。/まだ(あし!)王という名だけはあるんだぞ。」と「主観」を繰り返すが、もう一方の登場人物、プトレマイオス家の者は……。

話を聞いてことごとく辞退。
そういう贅沢な品はこれっぽっちも要らない。
ぼろを着て、みすぼらしい様子でローマに行って
二流の職人の店で身なりを整え、
不運な貧相な奴だと元老院に思ってもらわなくちゃ、
嘆願の効果を一層大にするためには。

 ここで衣裳、身なりが、やはり「声」だということがはっきりする。
 一方に、権力、地位が高いことを象徴する衣裳、好運な人間をあらわす衣裳があり、他方に不運を象徴する衣裳がある。この衣裳の「声」とことばと同様に「意味」をつたえる。「意味」だけではなく、口語の口調のようなものもつたえる。「二流」というのは衣裳における「口語」である。「眼(肉体)」で直接感じ取ることができる。
 鷹揚な口調は、嘆願にはふさわしくない。つつましい口調は嘆願にふさわしい。同様に、豪華な衣裳は嘆願にはふさわしくない。つましい衣服は嘆願にふさわしい。「嘆願」は「意味(内容)」をつたえるだけではなく、嘆願しないことには生きていけないという「気持ち」(こころの調子)が必要。あわれみを引き出さなければならない。
 「嘆願の効果を一層大にする」とカヴァフィスは明確に書いている。「効果」を生み出す力が、話す「声」にあるのと同様、身なりにもある。豪華なものでは「あわれみ」を引き出すことができない。「意味」ではなく「主観(感情/あわれみ)」を引き出せるかどうかが、嘆願が通じるかどうかの境目なのだ。
 カヴァフィスはそれをはっきりと意識している。
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