中井久夫訳カヴァフィスを読む(62) 2014年05月23日(金曜日)
「詩人アンモネス、六一〇年、享年二十九歳に」はアレクサンドリアがペルシャ人によって陥落し、アラブ人の攻略を受ける寸前の時代を舞台にしている。ギリシャ文化が風前の灯火である--と中井久夫は注釈で書いている。しかし「話者らにはわかっていない」と。カヴァフィスは、そういう「話者(集団)」の「声」を書いている。
ことばは共有されて文化になる。詩は読まれて詩になる。美男子は美男子と語られることによって美男子になるのだろう。集団の声が「文化」をつくる。詩はつづく。
詩人を、その詩を「わしら」は愛していたが、それは詩の力なのか「美男」の力なのか、わからない。それは区別ができない。「わしら」という複数が、その区別できなさに輪をかける。ほんとうに書いてほしいのはアンモネスのことではない。「わしら/集団」のことだ。
ことばで直接書くのではなく、「行間」で書く。
その「行間」は、「わしら」とアンモネスの関係に似ているだろう。直接アンモネスと男色関係にあった人はいるのかいないのか、わからない。ただ、みんながアンモネスは美男子だと思っていた。恋人の理想だと思っていた。その、アンモネスのまわりに漂う空気--それが詩の行間である。
そして、「行間」とは「リズム」である。ことばが近づいたり離れたりする。音が近づいたり離れたりしながら、音楽(和音)になる。まるでアンモネスの周辺で交錯する視線のリズムのように。
「詩人アンモネス、六一〇年、享年二十九歳に」はアレクサンドリアがペルシャ人によって陥落し、アラブ人の攻略を受ける寸前の時代を舞台にしている。ギリシャ文化が風前の灯火である--と中井久夫は注釈で書いている。しかし「話者らにはわかっていない」と。カヴァフィスは、そういう「話者(集団)」の「声」を書いている。
ラファエルよ、依頼だよ、きみに、
詩人アンモネスの墓碑銘に詩を数行。
趣味のよい磨きのかかったのを頼む。
きみならやれる。きみは、詩人アンモネス、
わしらのアンモネスに相応しい詩が書ける唯一人だ。
ことばは共有されて文化になる。詩は読まれて詩になる。美男子は美男子と語られることによって美男子になるのだろう。集団の声が「文化」をつくる。詩はつづく。
むろん、詩人の詩を語ってくれ。
だが美男だったことも頼む。
あの繊細な美をわしらは愛していた。
詩人を、その詩を「わしら」は愛していたが、それは詩の力なのか「美男」の力なのか、わからない。それは区別ができない。「わしら」という複数が、その区別できなさに輪をかける。ほんとうに書いてほしいのはアンモネスのことではない。「わしら/集団」のことだ。
ラファエルよ、わかってるな、詩を書く時に
わしらの生活を行間に籠めてくれ。
ことばで直接書くのではなく、「行間」で書く。
その「行間」は、「わしら」とアンモネスの関係に似ているだろう。直接アンモネスと男色関係にあった人はいるのかいないのか、わからない。ただ、みんながアンモネスは美男子だと思っていた。恋人の理想だと思っていた。その、アンモネスのまわりに漂う空気--それが詩の行間である。
詩のリズムも、一句一句も、はっきりわかるようにな、
アレクサンドリア人の書いたアレクサンドリア人についての詩だと。
そして、「行間」とは「リズム」である。ことばが近づいたり離れたりする。音が近づいたり離れたりしながら、音楽(和音)になる。まるでアンモネスの周辺で交錯する視線のリズムのように。