常木みや子『星の降る夜』(思潮社、2014年03月31日発行)
常木みや子『星の降る夜』は最初に短い詩がある。「壁画」あたりから詩が長くなっている。その長い詩がおもしろい。
「壁画」。
一連目は簡単な素描。わからないことばはない。「黒く太い眉を持つ」という特徴だけが「個性」として浮かび上がる。
二連目は「彼女の絵」(彼女の描いた絵)についての説明だが、非常に抽象的である。「時間」ということばと「宙吊り」ということばが交錯する。それは「彼女の描いた絵」というよりも、常木には「彼女自身の絵(自画像)」に見えたので、そこに描かれているものと彼女を結びつけようとして、抽象的になったし待ったのだろう。「絵」は女を描いていない。けれど、常木はそこにサーミア・ハラビーという女の姿を見てしまう。「絵」の形(色)と常木の認識が、そのままではつながらない。
何を見ているのか。何が見えるのか。そう問いかけたとき、常木にはサーミア・ハラビーの「時間(歴史)」が見えたということだろう。「時間」がサーミア・ハラビーの「自画像」なのだ。
その時間の「起点」は遠くである。ニューヨークではなくエルサレムである。エルサレムとニューヨークを「空間」ではなく「時間」がつなぐ。いや、サーミア・ハラビーがニューヨークとエルサレムを「時間」としてつなごうとしている、と言うべきなのか。
遠く離れたもの、しかもその遠いは一般的には「距離」なのだが、それを「時間(歴史)」としてつなごうとしている。そのとき、まだどこにも属さないサーミア・ハラビーの肉体の内部の時間が「はみ出し動き回る」。その「動き」そのものとして、常木はサーミア・ハラビーの絵を見たのだ。
絵は固定していない。絵の内部で時間が動いている。そして、その動く時間がサーミア・ハラビーの「自画像」なのだ。
絵は動く。
ここまで読んで来て、絵に「オリーヴ」が描かれていることがわかる。そのオリーブの気を見て、常木は、そのオリーブがサーミア・ハラビーに見えたということだ。
オリーブがサーミア・ハラビーはわかったとき、絵は、もう一度変化する。絵ではなく、詩(声)になる。音楽かもしれない。常木は見ていない。聞いている。見ること(視覚)が耳を刺戟して、聴覚が目覚めたのである。
サーミアの声はしだいに「人々の声」に変わる。ひとりの声ではなく複数の人間の声。それも「特定の短い時間」の、つまりある時代に限定した「人々」ではなく、長い時間、「歴史の中の」、延々とつながる人々の声、民族の声である。
オリーブの生える大地で、星の降る大地で生きてきた人々。サーミア・ハラビーは、その人々の声を引き受けて、いま、自分の声として語っているのである。
2連目で書こうとしていた宙吊りの時間」というものが、ここで言いなおされている。土地を奪われ、放浪するパレスチナ人。土地を奪われ、追放されても、魂は故国を忘れない。「場所」としてつながるのではなく「時間」としてつなぐ。「歴史」を語るとき、そこに「祈り」が動き出す。パレスチナ人の祈り、故国に対する思いがあふれ出す。
その声に触れたとき、やっと、絵は絵になる。つまり、そこに描かれているものが静かに見えてくる。
この「いつか」がいい。「いつか」は常木には言うことができない。絵を見ていたら、知らず知らず、絵が訴えている「時間(歴史)」とそのなかで動いている人々の声が聞こえ、何が描いてあるのか一瞬忘れる。聴覚に神経が集中してしまう。そして、その声を聞きとったとき、聴覚が一休みし、視覚がまた動き出す。「いつ」という時間を特定はできない。一秒もかからない瞬間かもしれないし、三時間かもしれない。その「時間」には「長さ」がない。「いつ」であるかは、特定できない。--その特定できない時間の長さのなかに、常木の感じたすべてがある。
絵のなかにある月--それはきょうの月かもしれない。サーミア・ハラビーがエルサレムを終われた一九四八年の月かもしれない。いや、もっと昔、神といっしょに生きていた時代の月かもしれない。どの「時代」の月であろうと、月が照らすのは「いま」である。すべての「歴史(過去)」は、「いま」となってつきに照らされている。
そのことを常木は、こんなふうに書く。
「時間の裂け目」とは「いま」と「歴史」を結びつける「視点」である。
あとは、私の余分なことばいらないだろう。
常木みや子『星の降る夜』は最初に短い詩がある。「壁画」あたりから詩が長くなっている。その長い詩がおもしろい。
「壁画」。
サーミア・ハラビー 一九三六年生まれ
あなたは ニューヨーク在住の美術家
黒く太い眉を持つ アメリカ国籍のパレスチナ人
一九四八年まで 家族は代々エルサレムに住んでいた
彼女の絵は 吊るされている壁画
時間の彼方の一点に 堅く留められている
まっすぐに強靱な糸 意図と化した時間が
彼女の意思の重さを
今 に向かって
吊り下げる
留められつつ宙吊りの不透明なその絵は
吊られて在る時間の内部をはみ出して動き回る
一連目は簡単な素描。わからないことばはない。「黒く太い眉を持つ」という特徴だけが「個性」として浮かび上がる。
二連目は「彼女の絵」(彼女の描いた絵)についての説明だが、非常に抽象的である。「時間」ということばと「宙吊り」ということばが交錯する。それは「彼女の描いた絵」というよりも、常木には「彼女自身の絵(自画像)」に見えたので、そこに描かれているものと彼女を結びつけようとして、抽象的になったし待ったのだろう。「絵」は女を描いていない。けれど、常木はそこにサーミア・ハラビーという女の姿を見てしまう。「絵」の形(色)と常木の認識が、そのままではつながらない。
何を見ているのか。何が見えるのか。そう問いかけたとき、常木にはサーミア・ハラビーの「時間(歴史)」が見えたということだろう。「時間」がサーミア・ハラビーの「自画像」なのだ。
その時間の「起点」は遠くである。ニューヨークではなくエルサレムである。エルサレムとニューヨークを「空間」ではなく「時間」がつなぐ。いや、サーミア・ハラビーがニューヨークとエルサレムを「時間」としてつなごうとしている、と言うべきなのか。
遠く離れたもの、しかもその遠いは一般的には「距離」なのだが、それを「時間(歴史)」としてつなごうとしている。そのとき、まだどこにも属さないサーミア・ハラビーの肉体の内部の時間が「はみ出し動き回る」。その「動き」そのものとして、常木はサーミア・ハラビーの絵を見たのだ。
絵は固定していない。絵の内部で時間が動いている。そして、その動く時間がサーミア・ハラビーの「自画像」なのだ。
絵は動く。
やがて絵は起き上がり
混ざり合った油絵具から
一本の パレスチナの
オリーヴの巨木が
姿を表す
ここまで読んで来て、絵に「オリーヴ」が描かれていることがわかる。そのオリーブの気を見て、常木は、そのオリーブがサーミア・ハラビーに見えたということだ。
私は オリーヴの
深く捩じれた太い幹と静かに向き合い
サーミアのうたう詩を聞く
オリーブがサーミア・ハラビーはわかったとき、絵は、もう一度変化する。絵ではなく、詩(声)になる。音楽かもしれない。常木は見ていない。聞いている。見ること(視覚)が耳を刺戟して、聴覚が目覚めたのである。
オリーヴの樹の縦糸 サーミアの紡ぐ横糸
この豊穰の大地に
神より前に人は住み
降る星の下 人は睦み合った
うねる歴史の中の 人々の声が聞こえる
人々の魂に 深い皺となって刻まれる歳月と祈りを
サーミアは紡ぎ出す
サーミアの声はしだいに「人々の声」に変わる。ひとりの声ではなく複数の人間の声。それも「特定の短い時間」の、つまりある時代に限定した「人々」ではなく、長い時間、「歴史の中の」、延々とつながる人々の声、民族の声である。
オリーブの生える大地で、星の降る大地で生きてきた人々。サーミア・ハラビーは、その人々の声を引き受けて、いま、自分の声として語っているのである。
2連目で書こうとしていた宙吊りの時間」というものが、ここで言いなおされている。土地を奪われ、放浪するパレスチナ人。土地を奪われ、追放されても、魂は故国を忘れない。「場所」としてつながるのではなく「時間」としてつなぐ。「歴史」を語るとき、そこに「祈り」が動き出す。パレスチナ人の祈り、故国に対する思いがあふれ出す。
その声に触れたとき、やっと、絵は絵になる。つまり、そこに描かれているものが静かに見えてくる。
絵には いつか
月が懸かっている
この「いつか」がいい。「いつか」は常木には言うことができない。絵を見ていたら、知らず知らず、絵が訴えている「時間(歴史)」とそのなかで動いている人々の声が聞こえ、何が描いてあるのか一瞬忘れる。聴覚に神経が集中してしまう。そして、その声を聞きとったとき、聴覚が一休みし、視覚がまた動き出す。「いつ」という時間を特定はできない。一秒もかからない瞬間かもしれないし、三時間かもしれない。その「時間」には「長さ」がない。「いつ」であるかは、特定できない。--その特定できない時間の長さのなかに、常木の感じたすべてがある。
絵のなかにある月--それはきょうの月かもしれない。サーミア・ハラビーがエルサレムを終われた一九四八年の月かもしれない。いや、もっと昔、神といっしょに生きていた時代の月かもしれない。どの「時代」の月であろうと、月が照らすのは「いま」である。すべての「歴史(過去)」は、「いま」となってつきに照らされている。
そのことを常木は、こんなふうに書く。
月光が
オリーヴの畑を照らしている
見よ
時間の裂け目が
オリーヴ畑一面に
亀裂となって走っている
「時間の裂け目」とは「いま」と「歴史」を結びつける「視点」である。
あとは、私の余分なことばいらないだろう。
月は
一本のオリーヴを
時間の裂け目に落とされた
一人一人を
浩々と照らし出す
占領
根こそぎにされるオリーヴ樹
破壊され、消される村
うばわれるいのち
月は
浩々と歳月を照らし出す
奪われた人々が繋がっていく
オリーヴ樹の太い幹の内側で
人々は忘れない鍵を持つ
生まれた土地に帰還すること
吊るされたまま
至上の願いたずさえ
サーミアは 描き続ける
一途に
蘇生する
パレスチナの時間を
![]() | 星の降る夜 |
常木 みや子 | |
思潮社 |