中井久夫訳カヴァフィスを読む(66)
「灰色の」は「感覚のよろこびに」と同じように追憶の詩。
二行目は「倒置法」。「倒置法」はレトリックであるけれど、レトリックは単なる技術ではない。そこには「肉体」の動きがかかわっている。何を書きたくて、「倒置法」を選ぶのか--というほとんど無意識の「肉体」の動きがある。
「美しい双眼」よりも「思い出す」という「肉体」の動きを、カヴァフィスは書きたかった。「思い出す」は「肉体」ではなく「精神(こころ)」の動きではないかという指摘を受けそうだが、私は「肉体」と感じている。
一行目に「見る」という「動詞」が出てくる。これは「目で」見る。肉体の器官を特定できる。「思い出す」は、「見る」のように肉体の器官を特定できないので、肉体とは別の「精神」とか「こころ」という「仮のことば」に頼ってしまうのだが、名づけることのできない「肉体」が思い出すと考えた方がいいと私は思っている。「見る」というとき、一般に「眼で」見るのだが、ときには「手で(触覚)でみる」「舌(味覚)で見る」という表現があるし、ある音を聞いて、その音を出しているものが「見える」ということもある。「耳(聴覚)」が見る。「動詞」は肉体のなかで複数の器官と融合しながら動いている。複数の感覚を動かしている。そうならば「思い出す」も「肉体」のどこかが思い出している。
カヴァフィスは、別れた男のこと(対象)を思い出しているよりも、自分の「肉体」がおぼえていること、自分の「肉体のなかにのこっていること」、つまり自分自身を思い出し、その思いを「他人(灰色の双眼)」によって明確にしている。
主役はあくまでカヴァフィスの肉体。カヴァフィスの「主観」。
だから、好きだった男のことを思いながらも、最後はその男に向けてではなく、自分自身の「肉体」に向けて呼び掛ける。
昔の男が、昔のままの美しい眼を保っていてほしいとはカヴァフィスは言わない。男がどうなっていようと関係がない。自分が思い出せることが重要だ。男がどうなってもいいというのは最終行の「何でもいいから」にくっきりとあらわれている。昔を思い出せるなら、あの愛を思い出せるなら、灰色の双眼ではなく、手でも足でも髪でも耳でも爪でもいいのである。カヴァフィスは男よりも自分自身の「感覚」を愛している。
ナルシスである。
「灰色の」は「感覚のよろこびに」と同じように追憶の詩。
灰色がかったオパールを見ると
私は思い出す、美しい灰色の双眼を--。
見たのは、そう、二十年のむかし。
二行目は「倒置法」。「倒置法」はレトリックであるけれど、レトリックは単なる技術ではない。そこには「肉体」の動きがかかわっている。何を書きたくて、「倒置法」を選ぶのか--というほとんど無意識の「肉体」の動きがある。
「美しい双眼」よりも「思い出す」という「肉体」の動きを、カヴァフィスは書きたかった。「思い出す」は「肉体」ではなく「精神(こころ)」の動きではないかという指摘を受けそうだが、私は「肉体」と感じている。
一行目に「見る」という「動詞」が出てくる。これは「目で」見る。肉体の器官を特定できる。「思い出す」は、「見る」のように肉体の器官を特定できないので、肉体とは別の「精神」とか「こころ」という「仮のことば」に頼ってしまうのだが、名づけることのできない「肉体」が思い出すと考えた方がいいと私は思っている。「見る」というとき、一般に「眼で」見るのだが、ときには「手で(触覚)でみる」「舌(味覚)で見る」という表現があるし、ある音を聞いて、その音を出しているものが「見える」ということもある。「耳(聴覚)」が見る。「動詞」は肉体のなかで複数の器官と融合しながら動いている。複数の感覚を動かしている。そうならば「思い出す」も「肉体」のどこかが思い出している。
カヴァフィスは、別れた男のこと(対象)を思い出しているよりも、自分の「肉体」がおぼえていること、自分の「肉体のなかにのこっていること」、つまり自分自身を思い出し、その思いを「他人(灰色の双眼)」によって明確にしている。
主役はあくまでカヴァフィスの肉体。カヴァフィスの「主観」。
だから、好きだった男のことを思いながらも、最後はその男に向けてではなく、自分自身の「肉体」に向けて呼び掛ける。
記憶よ、むかしどおりにあの眼を保てよ。
そして記憶よ、あの愛の、かけらなりとも取り戻せるならば、
ほんとうは何でもいいから今宵戻せよ。
昔の男が、昔のままの美しい眼を保っていてほしいとはカヴァフィスは言わない。男がどうなっていようと関係がない。自分が思い出せることが重要だ。男がどうなってもいいというのは最終行の「何でもいいから」にくっきりとあらわれている。昔を思い出せるなら、あの愛を思い出せるなら、灰色の双眼ではなく、手でも足でも髪でも耳でも爪でもいいのである。カヴァフィスは男よりも自分自身の「感覚」を愛している。
ナルシスである。