詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎「午後」

2014-05-16 12:02:17 | 詩(雑誌・同人誌)
谷川俊太郎「午後」(「谷川俊太郎のポエメールデジタル」26、2014年05月09日発行)

 谷川俊太郎「午後」は、書き出しのスピードがとてつもなく速い。

誰も来ないのに
言葉が来た
玄関の南天が風に揺れている

 「言葉が来た」は、ちょっと観念的(抽象的)である。「言葉」ということばを知っているので、わかったような気持ちになるが、何がわかったのか言いなおしてみようとすると言いなおせない。
 「言葉が来た」というのは、どういうこと? 「言葉」が家のドアを叩いた? それとも谷川の「頭」をノックした? そのとき「言葉」は「言葉」ということばだったのか、それとも別の何かを言い表すことばだったのか。
 「言葉が来た」は、インスピレーションが突然湧いたということ? 何かがことばになってあらわれたということ? それは、では、どこから来たのか。谷川の外から? あるいは谷川の内部から?
 ひとつひとつ考えていくと、どうも、わからない。わからないけれど、いま私が書いたような面倒くさいことは「間違っている」ということだけはわかる。
 「言葉が来た」は、あれこれ厳密に考えてはいけないことなのだ。
 言いなおすと、ゆっくり読み直してはいけないのだ。ゆっくり読み返したために、そのスピードのなかにある何かが見えなくなり、そのためにさらに「わからない」が増えて混乱している。ぱっと読みとばして何が書いてあるのか考えるのをやめると、ことばが私の論理では追いきれないスピードで駆け抜けていったということがわかる。そのスピードが切り開くものをただびっくりしながら見ていればいいのだ。意味を考えるからつまずく。意味なんか考えなくていい。わからなくていい。

 変?
 わからないまま先へ進むとか、意味なんか考えなくていい、というのは変かな? 変かもしれないけれど、変でもいい。

 3行目。

玄関の南天が風に揺れている

 これは、何だろう。その前の2行に向き合い「わからない」と言っていたことをわすれて、この行は「わかる」。風景が見える。
 もしかしたら、「来た」のは「言葉」ではなくて、風? 風がやって来て、その証拠(?)に南天を揺らしている。風は見えないけれど、葉っぱが(葉っぱだろうと思う)揺れていることで、風がそこに「ある」(そこへ来た)ということが「わかる」。
 「言葉が来た」というのも、これに似ているのかも。
 「言葉が来た」とき、その「言葉」自体は見えない。見えないけれど、何かがその瞬間に動いている。それで「言葉が来た」ということを感じる。わかる。
 もしかしたら「玄関の南天が風に揺れている」という「文(言葉)」がやって来て、谷川に詩を書かせはじめたのかもしれない。いや、それよりも前に「誰も来ないのに」という表現があるから、それが最初にやって来た「言葉」かもしれない。「誰も来ないのに」は中途半端。「言葉が来た」という表現そのものがやって来た。
 あ、また、何か面倒くさいことを書いているね、私は。
 こういう面倒くさいことを吹き払うために、

玄関の南天が風に揺れている

 があるんだけれどね。
 この3行目で、世界がぱっとかわる。
 「言葉が来た」という観念的なものが「具体的」な風景にかわる。見たことがある風景にかわる。そのために「言葉が来た」というのも、「あ、こういうことか」と「わからないまま」何かを感じ取る。

 「わからないこと」というのは、ほうっておくと自然になくなってしまう。きっと「わからないこと」はいうのは、そんなに大事なことではないのかもしれない。いますぐに解決しないととんでもないことになる、というようなことではないのかもしれない。
 「わからないこと」はきっと何がわからなかったのか忘れたころに、その「忘れた」というなかで解決している。「わかる」に自然にかわっているのかもしれない。

誰も来ないのに
言葉が来た
玄関の南天が風に揺れている

 3行目の「風景」が目に見えた瞬間、それをくっきりと思い出すことができた瞬間、きっと「わかる」にかわっている。それがあまりに早く「わかる」に変わってしまったために、自分の変化なのに、その変化を追いきれない。
 そういうことが私のなかで起きている。
 これは、もしかすると谷川の内部でも起きていることかもしれない。
 「言葉が来た」あと、なぜ、詩が「玄関の南天が風に揺れている」に変化したのか。その脈絡は何なのか--それを、誰かにわかるように説明することはできない。その「できない」ということ、「説明はできないけれど、そういうふうに飛躍してしまう」ということが、きっと「思想」というものなのだ。「思想」というものは、毎日毎日あれこれ考えてする何かではなく、無意識にしてしまう何か、無意識だけれどそのひとの根本を支えている何かなのだから。変えようとしても変えられない何か--そういうものが思想なのだから。--あ、脱線した。

 思想を詩にもどっていうと、次のような感じかな……。

どこか海を見下ろす絶壁に白い椅子を置いて
そこで待ちたい
何を待つのかは待っているうちに分かるだろう

 あらゆることは「……しているうちに分かるだろう」という具合にしかならないのだと思う。そうやって肉体のなかにたまっていくのが思想。人
 から何かを聞いて、教えてもらう。それは「わかる」か。思想か。
 私は、どうも違うと思う。
 教えてもらって「わかる」は「わかった気持ちになる」だけ。それは「わかる」というより「知る」に近い。
 「誰も来ないのに/言葉が来た」という2行。そこに書いてあることばで知らないことばはない。わからないことばはない。でも、考えはじめると「わからない」。そこに書いてあることは「わかる」(わかっている)のではなく、そこに書いてあることばを「知っている」だけなのだ。
 「知っている」は説明できるが、「わかる」は説明しきれないことなのだ。思想は「生き方」であって、それは教えられない。教えてもらって身につくものではない。自分が必要を感じて、肉体が知らず知らずにためこむ何かなのだと思う。

 こういうことを、谷川は、次のように言い換えている。

何世紀も前のことを憶えているような気がする
石壁の匂いと女の髪の香り
井戸のある中庭に数匹の山羊
悲しみのわけはどんなに問うても無駄だ

 「わかる」は「憶えているような気がする」こと。そして、そこには「時間」というものがはいり込まない。「何世紀も前」と谷川は書いているが、「憶えている」ことには「時間」がない。いつ憶えたのか、わからない。
「石壁の匂い」を嗅いだのはいつ? それは、どこのどの匂い? 具体的に言おうとすれば特定できるかもしれないけれど、それを特定したって何にもならない。
 いま、たとえば2014年05月16日に、1960年の夏休みに友人の家の石垣の匂いをかいだ、あの匂いを思い出したとしても、その匂いがくっきりしてくればしてくるほど、時間と場所は消えてしまう。時間の隔たり、距離の隔たりが消えてしまう。1秒前にかいだ感じ、本棚の近さでかいだ感じ--そういう「間近」な感じで思い出すこと、対象との隔たりを無視することが「憶えている」とうことなのだから。
 「憶えていること」には「何世紀前」「1週間前」「1秒前」の区別はない。区別なく「憶えていること」というのが「わかる」ということ。

 この「区別のないわかる」にむりやり「区別」をつけるのが「認識」とか「知識」とかいうもんなんだろうなあ。
 そういうものを捨ててしまえばいいのだ。

誰も来ないのに
言葉が来た
玄関の南天が風に揺れている

 という3行を読んで、「来た言葉は具体的に言いなおすとどういう言葉?」というように、強引に「区別」を持ち込もうとはせずに、それをそのまま受け止めて、それがわかるようになるまで待っていればいいのだ。そうすれば、そのちに「わかる」。
 わからないまま、忘れてしまったって、たいしたことではない。忘れてしまったら、それはそのことがそのひとにとってほんとうに大切なことではなかったというこだけのこと。ほんとうに大切なら、いつ、どこで読んだか忘れてしまっても、そういうことばがあったということを「憶えている」ものだ。「憶えている」そして、それを思い出して、いま言える--それが「わかる」ということだ。
 それ以上の「わかる」は、ない。

悲しみのわけはどんなに問うても無駄だ

 この一行を借りて言ってしまえば、「わかる」というのはどうしてそんな変な運動なのか、「そのわけはどんなに問うても無駄だ」。
 だから谷川は「わけ」には触れず、ただ「わかっていること」(わかる)だけを、何世紀も前、1秒前、はるかな宇宙の彼方、自分の家の南天、自分のなかの指し示すことのできない場所から、区別なしにつかみだしてきて、詩のなかにくっつける。
 どうして、そのことばとあることばがいっしょに動く? その「わけ」は? 「わけ」なんか聞いたって、答えられるはずがない。
 あ、谷川は「答えられます」と言うかも。そういう意地悪というか、妙にやさしいことろがあるから。
 でも、その谷ら川の答えた「わけ」を、それでは私が納得できるかどうか。
 それは、やっぱり、「わかるような気がする」(そのことは憶えているような気がする)という具合に、私がかわるまで待つしかない。

電話が鳴る
ほうっておく

 詩は読むものだけれど、同時に、「わかる」まで「ほうっておく」ものなのだとも思う。「わからない詩」を強引に「わかる」に変える必要はない。ほうっておけばいい。自分にとって必要なら、いつか「わかる」。そのことばを知らず知らずに「憶えていて/思い出し/口にする」。



■谷川俊太郎公式ホームページ『谷川俊太郎.com』:http://www.tanikawashuntaro.com/




自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)
谷川 俊太郎
岩波書店
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中井久夫訳カヴァフィスを読む(55)

2014-05-16 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(55)          

 カヴァフィスは史実に題材に詩を書くことが多い。「マヌエル・コムニノス」はビザンツ皇帝の死の間際を描いている。

蕭条たる九月。そのとある日、
マヌエル・コムニノス皇帝は
おん自らの崩御近きを感じられた。
宮廷占星術師らは--むろん給与を貰う役人だから--、
おん生命はなお何年もございますと言いつづけた。
だが彼等が言いやめぬうちに
帝は宗教の古い教えを思い出されて
教会の法衣をさる修道院から
もってこよと命じられ、
身に着けられて、目だたぬ衣裳で
司祭か僧に見ゆるをよしとされた。

 主観を口語で語らせ、その口調に人間性を浮かび上がらせるということをカヴァフィスはしばしばおこなっているが、この詩には主観が噴出していない。マヌエル・コムニノス皇帝は客観的に、第三者の目から描かれている。法衣を「もってこよ」ということばが肉声に近いかもしれないが、それも間接話法である。
 中井久夫は注釈によると「好戦的、迷信的、好色的だった」らしいが、そういう面影はそこにはない。史料によると、死の床で法衣を着させたのは神父だったらしいが、カヴァフィスは皇帝自らが法衣を選んだというふうに書き直している。
 肉声(主観)を躍動させるかわりに、カヴァフィスは、違う形の声を描くためにマヌエル・コムニノス皇帝を選んだようだ。
 「好戦的、迷信的、好色的」な人間のなかにも、死ぬ瞬間に、「宗教的」になるひともいる。そういうひとの「声」というものを、カヴァフィスは「声」ではなく、様子(態度)であらわしている。
 占星術師がいろいろ言う。その彼らが「言いやめぬうち」が、その「態度」のいちばんおもしろい部分である。占星術師らが言うのを制してと同じ意味だが、「やめろ」と言って話を中断させるよりも強い感じがする。彼が言いたいことは「やめろ」ではない。ほかのことであり、そのことについては有無を言わせない。この強さ(信念のゆるぎなさ)が、修道院の法衣へと静かにつながっていく。皇帝は、静かに宗教的な人間に進んで行ったのである。宗教的な道に進む人間には熱狂的な進み方もあるが、皇帝は熱狂とは違う方法で進んで行った。しかし、熱狂的ではないけれど、何か確信的である。教皇ではなく「司祭か僧に見ゆるをよしとされた」というのも、静かな印象を浮かび上がらせる。
 この静かな感じは、書き出しの「蕭条たる九月」の「蕭条たる」にも現れている。(これは中井の語彙の選択のたくみさとも言える。)カヴァフィスは情景の空気や人間の態度をも「声」として再現する詩人なのである。


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