長田弘『最後の詩集』(3)(みすず書房、2015年07月01日発行)
「円柱のある風景」もシチリアを訪問したときのことを書いている。
七行目の「ちがう」が、長田の詩の特徴をあらわしている。
いま/ここで見ているものを、知っていることば、おぼえていることばで、書く。書いてみて、それを否定する。つまり、それまで書いたことばを、捨てる。書くことで、知っていることば、おぼえていることばを捨ててしまう。そして、そこから考えはじめる。新しくことばを動かしはじめる。ことばを動かしながら、「見ているもの」の「本質」をつかみとろうとする。動かすためには、否定(ちがう)と気づくことが必要なのだ。いままで知っていたことば、おぼえていたことばでは言えないことをつかむためには、ことばを捨てることからはじめなければならない。「巨大」を、その反対のことば「慎ましさ」と言い直した後、その「慎ましさ」さえも捨ててことばは動く。
知っていることば、おぼえていることばを捨てる。そうすると、ことば以前の「実感」になる。
「実感」からことばを動かしていくと、「巨大」だった円柱は、次のようにかわっていく。
「巨大」から「粛然」へ、ことばが生まれ変わる。この瞬間が、詩。
そして、その「粛然」には「その」という指示詞がついている。「その」ということばを思わずつけてしまうのは、「粛然」が「新しく」生まれてきたことばであるけれど、それはほんとうは長田の「肉体」のなかにありつづけたことばだからだ。隠れていたことば、長田にはなじみのあることばなのだ。だから「その」という、あたかも前にでてきたことば(ずっと意識しつづけてきたことば)であるかのように「その」という指示詞がついている。
このあと、長田は和辻哲郎の『イタリア古寺巡礼』からシチリアの円柱について書いた部分を引用している。和辻はそのなかで「単純さ」ということばをつかっている。長田の「粛然」は、和辻の「単純さ」ということばを引き継いでいることになる。長田は、ことばの「来歴」を正直に書く詩人である。
そして、さらにことばを動かす。
この最後の部分は複雑だ。「自然に、廃墟はない」ということばは、「廃墟」を否定しているようにも感じられるからだ。しかし、私は、「プライド」ということばを中心にして読みたい。そして、「廃墟になるのは」ということばを「廃墟になることができるのは」と読む。さらに「廃墟になる」ということばを「つくったものを遺す」と読み直す。つまり、「人間のつくったものだけが、遺る(遺す)、ということができる」と読む。「自然」は「残る」のではなく、「つづく」のである。人間は「遺す」ということを通して「つづく」(つながる)のである。
ここから、少し引き返す。
いま引用した部分の三行目。「知った」ということば。これは「発見した」ということである。和辻のことばに導かれて、シチリアに来て、和辻の見た円柱の遺跡を見た。和辻の「単純さ」ということばを「粛然」と言い直し、引き継いだとき、長田は「発見した」。「円柱たちの、/その粛然とした感じは、うつくしい建築が、/遺跡に遺した、プライドだ」と。
「発見した」ではなく「知った」と書くのは、その「発見した」ものが和辻のことばに導かれるように動いたものだからである。長田一人が見つけたのではない。和辻もそれを「発見していたはずだ」と「知った」のだ。確認(確信)したのだ。
長田は、そんなふうにして和辻に「つづく」、和辻に「つながる」。そうして、そのことばは「遺る」。「遺る」ことばを、私は「廃墟」とは呼ばない。「遺跡」とも呼ばない。「生きることば」と呼びたい。ことばは読まれ、引き継がれ、語りなおされて永遠に生きる。引き継がれることばに、「廃墟はない」。
「円柱のある風景」もシチリアを訪問したときのことを書いている。
屋根は、ない。壁は、ない。
扉も、窓も、ない。意匠も、
何も、ない。のこっているのは、
火山性凝灰岩でつくられた、
整然とならぶ、三十四の、円柱だけだ。
円柱は、振り仰ぐほどの、巨大さだ。
けれども、ちがう。どこまでも、
青く澄んだ、空のひろがりと、
緑と石の、野のひろがりのなかでは、
円柱は、むしろ、慎ましく感じられる。
七行目の「ちがう」が、長田の詩の特徴をあらわしている。
いま/ここで見ているものを、知っていることば、おぼえていることばで、書く。書いてみて、それを否定する。つまり、それまで書いたことばを、捨てる。書くことで、知っていることば、おぼえていることばを捨ててしまう。そして、そこから考えはじめる。新しくことばを動かしはじめる。ことばを動かしながら、「見ているもの」の「本質」をつかみとろうとする。動かすためには、否定(ちがう)と気づくことが必要なのだ。いままで知っていたことば、おぼえていたことばでは言えないことをつかむためには、ことばを捨てることからはじめなければならない。「巨大」を、その反対のことば「慎ましさ」と言い直した後、その「慎ましさ」さえも捨ててことばは動く。
海があった、海からの光があった。
日の光が、四辺に、音もなく、
しぶきのように、飛び散っていた。
ここでは、風光が、すべてだ。
空の下にいるのだと、実感された。
知っていることば、おぼえていることばを捨てる。そうすると、ことば以前の「実感」になる。
「実感」からことばを動かしていくと、「巨大」だった円柱は、次のようにかわっていく。
無辺の、野にあって、ただ、
空を支えるように、立ちつづけてきた、
円柱たちの、その粛然とした感じ。
「巨大」から「粛然」へ、ことばが生まれ変わる。この瞬間が、詩。
そして、その「粛然」には「その」という指示詞がついている。「その」ということばを思わずつけてしまうのは、「粛然」が「新しく」生まれてきたことばであるけれど、それはほんとうは長田の「肉体」のなかにありつづけたことばだからだ。隠れていたことば、長田にはなじみのあることばなのだ。だから「その」という、あたかも前にでてきたことば(ずっと意識しつづけてきたことば)であるかのように「その」という指示詞がついている。
このあと、長田は和辻哲郎の『イタリア古寺巡礼』からシチリアの円柱について書いた部分を引用している。和辻はそのなかで「単純さ」ということばをつかっている。長田の「粛然」は、和辻の「単純さ」ということばを引き継いでいることになる。長田は、ことばの「来歴」を正直に書く詩人である。
そして、さらにことばを動かす。
和辻哲郎は、かつて、ここを訪ねて、
そう書いた。その、言葉にみちびかれて、
ここにきて、そして知った。円柱たちの、
その粛然とした感じは、うつくしい建築が、
遺跡に遺した、プライドだった。
ひとのつくった、建築だけだ、
廃墟となるのは。
自然に、廃墟はない。
この最後の部分は複雑だ。「自然に、廃墟はない」ということばは、「廃墟」を否定しているようにも感じられるからだ。しかし、私は、「プライド」ということばを中心にして読みたい。そして、「廃墟になるのは」ということばを「廃墟になることができるのは」と読む。さらに「廃墟になる」ということばを「つくったものを遺す」と読み直す。つまり、「人間のつくったものだけが、遺る(遺す)、ということができる」と読む。「自然」は「残る」のではなく、「つづく」のである。人間は「遺す」ということを通して「つづく」(つながる)のである。
ここから、少し引き返す。
いま引用した部分の三行目。「知った」ということば。これは「発見した」ということである。和辻のことばに導かれて、シチリアに来て、和辻の見た円柱の遺跡を見た。和辻の「単純さ」ということばを「粛然」と言い直し、引き継いだとき、長田は「発見した」。「円柱たちの、/その粛然とした感じは、うつくしい建築が、/遺跡に遺した、プライドだ」と。
「発見した」ではなく「知った」と書くのは、その「発見した」ものが和辻のことばに導かれるように動いたものだからである。長田一人が見つけたのではない。和辻もそれを「発見していたはずだ」と「知った」のだ。確認(確信)したのだ。
長田は、そんなふうにして和辻に「つづく」、和辻に「つながる」。そうして、そのことばは「遺る」。「遺る」ことばを、私は「廃墟」とは呼ばない。「遺跡」とも呼ばない。「生きることば」と呼びたい。ことばは読まれ、引き継がれ、語りなおされて永遠に生きる。引き継がれることばに、「廃墟はない」。
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