リサンドロ・アロンソ監督「約束の地」(★)
監督 リサンドロ・アロンソ 出演 犬、ビゴ・モーテンセン
またまた「頭でっかち」の映画。四隅が丸くなった奇妙なスクリーンで、これはふつうの映画とは違います、と予告してはじまる。どこがふつうの映画と違うか。犬の心情を描いている、ということろが違う。
主人公は犬。
この犬は少女に飼われている。「どんな犬がいい?」と聞かれて少女は「いつもそばにいる犬がいい」と答える。この答えを犬は鵜呑みにしてしまった。信じ込んでしまった。いつもそばにいる、というのは、犬からいわせればいつも少女が犬のそばにいる、ということ。
でもね、多感な少女、思春期の少女は、犬よりも男が好き。ついつい犬を忘れて、男とどこかへ行ってしまう。
「どこへ行っちゃったんだよ」
犬は必死になって少女を探す。この犬の役をビゴ・モーテンセンが演じる。南米(スペイン語が出てきたから、きっと、南米のどこか)の荒野をひたすらさまよう。「異界」をさまよう、といえばいいのかな? 人間にとっても荒寥とした風景だけれど、そうか、犬にとっては飼い主がいない世界というのは、こんなふうに荒寥とした世界なんだろうなあ。見ようによっては「美しい」とも思えるけれど、それは人間の思い込み、ということか。ときどき「人間」があらわれるけれど、人間というのは互いに傷つけあうのが趣味みたい。
少女は男が好きになったけれど、セックスしてしまうと、飽きちゃった。「さよなら」なんて言って、男のこころに立ち直れないような「傷」を残して、どこかへ消えてしまう。のどを書き切られた男は、「犬」以下か。あるいは、あの傷は「犬」の心情を代弁している、ということかな?
ああ、どこへ行ってしまったんだろう。
匂いをおってさまようように、荒野をさまよう。そのうちに、少女を探している自分に気がつき、何をしてるんだろう。なぜ、前へ進むんだろう。なぜ、人(犬)は人を求めて、さまようんだろう。なんて、考えはじめる。ここから、ビゴ・モーテンセンと犬の二人旅。この「二人」というのが、まるで「人間」の精神の動き。「自省」というか、主観的自己を客観的にみつめる、というやつだね。それがさらに分裂して、少女のなかに別の女をみつけだす、という具合に展開するのだけれど。
わ、うるさい。めんどうくさい。
とは、言っても、これがわかるのは映画の最後の最後。「いつもそばにいる犬がいい」と言っていた少女が長い間家を開けた。その間に、犬はストレスで自分のからだをひっかき、皮膚に炎症を起こした。ということを、少女の父が、少女に説明する。
この瞬間に、映画が何を描いていたかがわかる。
こんな「種明かし」は嫌いだ。「種明かし」をするためにつくられた映画なんて、観客をバカにしている。
ほんとうの最後。犬が森の奥から「こっちへ来て」という感じで「うおぉぉん」と叫ぶ。そこは、犬を飼っていると気持ちがわかるので、ちょっと切ない。
我が家では、長く家を明けるときは、何日か前から何度も言い聞かせておくけれど。はい。
(KBCシネマ1、2015年07月22日)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
監督 リサンドロ・アロンソ 出演 犬、ビゴ・モーテンセン
またまた「頭でっかち」の映画。四隅が丸くなった奇妙なスクリーンで、これはふつうの映画とは違います、と予告してはじまる。どこがふつうの映画と違うか。犬の心情を描いている、ということろが違う。
主人公は犬。
この犬は少女に飼われている。「どんな犬がいい?」と聞かれて少女は「いつもそばにいる犬がいい」と答える。この答えを犬は鵜呑みにしてしまった。信じ込んでしまった。いつもそばにいる、というのは、犬からいわせればいつも少女が犬のそばにいる、ということ。
でもね、多感な少女、思春期の少女は、犬よりも男が好き。ついつい犬を忘れて、男とどこかへ行ってしまう。
「どこへ行っちゃったんだよ」
犬は必死になって少女を探す。この犬の役をビゴ・モーテンセンが演じる。南米(スペイン語が出てきたから、きっと、南米のどこか)の荒野をひたすらさまよう。「異界」をさまよう、といえばいいのかな? 人間にとっても荒寥とした風景だけれど、そうか、犬にとっては飼い主がいない世界というのは、こんなふうに荒寥とした世界なんだろうなあ。見ようによっては「美しい」とも思えるけれど、それは人間の思い込み、ということか。ときどき「人間」があらわれるけれど、人間というのは互いに傷つけあうのが趣味みたい。
少女は男が好きになったけれど、セックスしてしまうと、飽きちゃった。「さよなら」なんて言って、男のこころに立ち直れないような「傷」を残して、どこかへ消えてしまう。のどを書き切られた男は、「犬」以下か。あるいは、あの傷は「犬」の心情を代弁している、ということかな?
ああ、どこへ行ってしまったんだろう。
匂いをおってさまようように、荒野をさまよう。そのうちに、少女を探している自分に気がつき、何をしてるんだろう。なぜ、前へ進むんだろう。なぜ、人(犬)は人を求めて、さまようんだろう。なんて、考えはじめる。ここから、ビゴ・モーテンセンと犬の二人旅。この「二人」というのが、まるで「人間」の精神の動き。「自省」というか、主観的自己を客観的にみつめる、というやつだね。それがさらに分裂して、少女のなかに別の女をみつけだす、という具合に展開するのだけれど。
わ、うるさい。めんどうくさい。
とは、言っても、これがわかるのは映画の最後の最後。「いつもそばにいる犬がいい」と言っていた少女が長い間家を開けた。その間に、犬はストレスで自分のからだをひっかき、皮膚に炎症を起こした。ということを、少女の父が、少女に説明する。
この瞬間に、映画が何を描いていたかがわかる。
こんな「種明かし」は嫌いだ。「種明かし」をするためにつくられた映画なんて、観客をバカにしている。
ほんとうの最後。犬が森の奥から「こっちへ来て」という感じで「うおぉぉん」と叫ぶ。そこは、犬を飼っていると気持ちがわかるので、ちょっと切ない。
我が家では、長く家を明けるときは、何日か前から何度も言い聞かせておくけれど。はい。
(KBCシネマ1、2015年07月22日)
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