詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「アリスのままで」(★★★)

2015-07-07 11:01:35 | 映画
監督リチャード・グラツァー、ウォッシュ・ウエストモアランド 出演 ジュリアン・ムーア、アレック・ボールドウィン、クリステン・スチュワート

 若年性アルツハイマー症になった女性を描いている。ジュリアン・ムーアが不思議な演技をしている。「迫真の演技」であるかどうか、私はアルツハイマー症のひとと直接接したことがないので判断できないが、見ていて引き込まれてしまう。特に記憶を何とかとどめようと訓練するところ、自分を維持しようとするところに。
 クリスマスの料理を準備しながら、ことばを思い出せるかどうか、自分で訓練している。黒板に単語を三つ書き、タイマーを設置して、時間になったら覚えているかどうかを確かめる。そのときの単語が、林檎とか、蜜柑とか、犬、猫、というのではなく、なにやらややこしい専門用語のようなものもある。彼女のキャリアにかかわる言語学上の言語だったかもしれない。そのこだわり方に、「真剣さ」があふれている。自分自身を「言語学者」と定義して、その定義のなかに自分を収めようとしている。
 その一方で、彼女は自分がつくろうとしていたものを忘れてしまう。カボチャのプディングをつくろうとしていて、卵が何個必要か思い出せなくなる。ネットでレシピを探すのだが、その過程でプディングを忘れてしまい、違うものをつくる。
 しかし、この異変に気がつくのは、プディングを楽しみにしていた末っ子の娘だけで、他の家族は気がつかない。また、ジュリアン・ムーアは末っ子が「異変」を感じているということを、感じ取ることができない。ここに、何とも言えないおそろしさのようなものが潜んでいる。
 ひとはひと(自己を、あるいは他人を)をどう「定義」するか。アリスは自分を「言語学者」と「定義」している。「母親」とも「定義」している。母親は料理をつくる。末っ子は母親は自分のために大好きなプディングをつくってくれる人である。しかし他の家族にとっては「料理をつくるひと」であって、「プディングをつくるひと」ではない。だからカボチャのスープ(?)がテーブルに運ばれてきても「異変」とは感じない。「母親/料理をつくるひと」と「定義」しているかぎり、ジュリアン・ムーア自身も「異変」に気がつかない。
 ひとは他人の「異変」には、なかなか気づかない。自分の「異変」にも気づかないときがある。自分に直接かかわりがないかぎり、自分の「本質」であると「定義」しているものにかかわらないかぎり、「異変」とは思わない。だから、「異変」が起きたとき、それにどう対処すればいいのかということも、わからない。真剣に考えない。
 夫のアレック・ボールドウィンが象徴的である。いくつもの「異変」を直接見ている。ジュリアン・ムーアがアルツハイマー症であることもわかっている。それなのに自分の昇進のために病院のある土地へ引っ越そうと提案する。アルツハイマー症にとって、それがどんなに危険なことであるか、配慮できない。彼にとっての彼自身の「定義」は優秀な「医学者」であって、「夫」ではない。
 この映画では、たまたまジュリアン・ムーアは「自覚的」に行動しているが、誰もが彼女のように「自覚」できるわけではない。物忘れがひどくなったかな、と思っても病気とは思わない。周りの人も、小さな「異変」は見落としてしまう。そのあいだに症状が進行し、対応が難しくなる。そういう危険性がある。
 この映画は、アルツハイマー症の苦悩を描くと同時に、その家族への静かな警告になっている。アルツハイマー症のひとにどう向き合うべきかを、静かに語っている。その警告を、どう受け止めることができるか。それを問われているように感じた。
 「自己の定義」をめぐっては、自分を「女優」であると「定義」している末っ子だけが、最後は親身になるというのも、なかなかおもしろい。プディングをつくってくれるからお母さんが大好き、というような、直接的な愛情でかかわっていたのは彼女だけというのは、ある意味、リアルすぎて怖くもあるが……。

 少し映画が描いていることから脱線したかもしれない。
 この映画のハイライトは、ジュリアン・ムーアがアルツハイマー症の集いで、自分自身の感じていることをスピーチする部分である。自分は苦しい、と訴えことで自分の「尊厳」を守っている。苦悩を隠すのではなく、苦悩をそのままことばにする。その姿をジュリアン・ムーアはただ「ことば(せりふ)」で伝えるのではなく、肉体そのもので再現している。原稿を繰り返して読まないように、黄色いマーカーで文字をたどりながら読む。どこを読んだかはっきり区別するためである。そういう工夫をしながら生きていることを、そのまま見せる。「これが私である」と全部見せる。
 彼女がアルツハイマーであると知らなければ、きっとアルツハイマーであることを忘れてしまう。そこにアルツハイマーの苦悩が語られていても、健常な人間のスピーチと思ってしまう。この不思議さのなかに、この映画のすべてがある。
 この不思議を体現したジュリアン・ムーアの演技はすばらしい。アルツハイマーが進行していく部分よりも、このスピーチの演技がすばらしい。
                        (2015年07月05日、中洲大洋2)





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長田弘『最後の詩集』(8)

2015-07-07 08:32:45 | 長田弘「最後の詩集」
長田弘『最後の詩集』(8)(みすず書房、2015年07月01日発行)

 「アッティカの少女の墓」。『或るアッティカの少女の墓』という本を読み、「もう一人の自分がそこにいる」と感じて書いた作品である。

死が遺すものは、何であるのか。

 という一行がある。
 あとがきによれば「春風新聞二〇一四年春夏号」が初出。長田が亡くなったいま思うと、死を意識しながら書いていた作品なのかもしれない。「少女の/日頃愛した普段の品と思われる/簡素な副葬品は、一つとして/その死を、暗鬱なものと伝えないという。」とも書かれている。その少女のような死、その少女の「副葬品」のような作品、暗鬱なものを伝えないことばを書き残したいと長田は願っていたのだろう。
 この詩のなかで、長田は、「悼む」という行為を定義している。

死者の身近に在って、死者がいつまでも
人間らしい存在であれとねがうことだった。

 「死者が/人間らしい存在」であるということは、「生きつづける」ということだろう。「生きている」ときと同じように向き合う。それが「悼む」。
 それをさらに言い直して、

死のなかでなお生きつづける親身な精霊。
死者は、時を忘れて生きる存在にほかならない。

 とつづける。生き続けるのは「精霊」。「肉体」は死んでも「精霊」が「生きる」。その「精霊」は「時を忘れて生きる」。この「忘れて」は「超えて」である。
 最初に引用した行にもどって言い直すと、死が遺すものは「精霊」である。「精霊」は生き続ける。「精霊」は「時を超える」ということになる。
 そうした「精霊」を長田は遺したいと願った。
 私は「精霊」を「ことば(詩)」と置き換えて読みたい。「ことば」を読むと、ことばのなかに生き続けている長田を感じる。詩のことばは「時を忘れて(超えて)生きる存在にほかならない」と思う。
 たとえば、書き出しの

葉桜の季節がくると、
ハナミズキの枝々の先に
幼い葉たちが群れて、揺れながら、
柔らかな日の光をつかんで、
いっせいに、萼(がく)を開きはじめる。

 の透明な描写。特に、「つかむ」「開く」という反対の動き(手を想定すると、つかむ手は閉じる、手を開くと放すということになる)が交錯する緊張感に満ちた部分に、「一瞬」を「永遠」にかえる力を感じる。「充実」した力を感じる。
 さらに最後の方の、

四十雀のはげしい啼き声に、目を上げると、
目の前に直立するアケボノスギの、
ながく孤独な裸木にすぎなかったのに、
いま、枝先の新芽の閃くようなうつくしさ。

 ここにも「ながく(過去の長い時間)」と「いま(瞬間)」の対比があり、その「差(違い?)」を超えて、ことばが動いているのを感じる。「時間」が凝縮し、「永遠」に結晶する。そして輝いているのを感じる。
 こうしたことばの力は「永遠」に生き続ける。そして、そのことばを読むとき、長田は生きている詩人として私の目の前にいる。
 長田は、力に満ちたことば(詩)を私たちに遺してくれたと感じる。「悼む」ために、私は長田の詩を読む。そして、感想を書く。生きている長田とことばを交わしたくて。

最後の詩集
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*

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