詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

稲川方人「カンブリア湖の岸のあなたの家」

2008-03-03 00:54:53 | 詩(雑誌・同人誌)
 稲川方人「カンブリア湖の岸のあなたの家」(「現代詩手帖」2008年03月号)
 私は稲川方人の詩が苦手である。何が書いてあるか、さっぱりわからない。そして不思議なことに、何が書いてあるのかさっぱりわからないのに、平出隆の詩を読んだあとに稲川の作品を読んだ時に限って、稲川の詩がとてもおもしろく感じる。平出が行を重ねてやっと表現していることを稲川は2行で行ってしまう。平出の1篇と稲川の2行は等しい。そういう印象があった。平出の詩とセットになっているとき以外に稲川の詩を読んだことは、私にはほとんど経験がない。目で、ことばを追ったことだけなら何度もあるが、読んだという記憶は一度もない。平出からみると稲川は天才に見えるだろうなあ、という印象を持っただけであって、それ以外のことは感じたことがない。

 きょう、はじめて私は稲川の詩を読んだ。つまり、稲川の詩を平出のことばとセットにせずに、という意味である。そして非常に驚いた。稲川は抒情詩人だったのか? 稲川は平出と双子だったのか?
 作品の冒頭。

セロファンの手に
文字を書きつつ
あなたは教えてくれた
思惟の岐れる坂道の名は
はどまの坂
胡桃泣く肌色の森の名は
たくどの跡
うつ伏せの栗鼠の小川の名は
にじゅうや堰

 どの行がどの行に対応するというわけではないが、この冒頭の改行の具合を修正(?)すれば、ここに書かれている世界は平出の世界である。「坂道」「森」「小川」と移行しつつ「はまど」「たくど」「にじゅうや」とことばをたずね歩く調子は平出そのものである。ただし、平出のことばのリズムの方がはるかに清潔である。音が、同時に、とても透明である。
 それにしても不思議である。
 稲川のこの作品は、私には「現代」の詩とは感じられない。寄せ集められている(?)ことばが、そのことばの風景が、まるで1960年代、どんなにあたらしく見ても1970年代である。

あなたの水着に溢れた
アメジストを載せて
船は朝霧を行き、
二十年忌の遠い川を遡って
故郷へ帰る

 平出が迂回した清水哲男がここにいる。あるいは平出が迂回した清水昶もいるかもしれないし、堀川正美もいるかもしれない。さらには荒川洋治が迂回した彼らがいるかもしれない。平出と荒川が迂回することで獲得したリズムからはるか遠くへ先祖帰りしている稲川の、このことば運びに、私は、とても驚いてしまった。

わたしのいくつもの手紙をあなたは読み、
涙を拭く手に
白い食器の光を受ける
拙い別れを最後として、
言葉の少ない道から
あなたはひとりひとりの家族を捨てて行く
融合……いつしか
あなたの明るい背後をそう呼ぶのは、
わたしがそこにあなたの愛した
人影の深さを知るから

 私を困惑させるイメージはどこにもない。わけのわからないことは何も書かれていない。そしてそのことが、私には、非常にわからない。ほんとうに、これが稲川方人なのだろうか。
 私はこれまで稲川の作品を好きだと思ったことは一度もない。好きだと思ったことは一度もないけれど、たしかに稲川のことばなのだと感じてきた。(そうい詩人は、私には何人か存在する。ぜんぜんわからない。--しかし、わからないからこそ、彼が詩人だと思える人が何人か存在する。)
 この詩では、私は、稲川を感じないのである。平出のことばを必要としないのである。平出の詩を読んだあとでないと、何が書いてあるのか、書こうとしているのか、ことばの動きについていけない--ということがないのである。
 特に、

融合……いつしか
あなたの明るい背後をそう呼ぶのは、

 というリズム。
 あまりにも、あまりにも、あまりにも(何度繰り返しても足りないくらい)1970年代である。「融合」「背後」(明るい背後)ということばが、いま、つかわれる気持ち悪さに私はぞっとする。背後からふいに「あしたという字は明るい日と書くのね」なんて歌が聞こえてきそうである。ことばが含んでいるものと、リズムが、私には1970年代の「流通(ファッション)」としか感じられないのである。
 平出が、意識しながら迂回したものが、突然、平出を離れて稲川のことばのなかに噴出してきてしまった。

 私の書いていることは、乱暴な印象批評である。具体的なことばの分析を欠いたものである。具体的に書く気持ちがしない。(稲川には申し訳ないが。)
 稲川は、たとえば「故郷」や「白い食器」「言葉の少ない道」ということばを、批評しながら書いているのだとすれば、それはそれで詩なのだろう。(実際、稲川のことばに、「流通言語」に対する批判があると評価する人がいて、稲川は詩人として存在するのだろうけれど。)
 きのう北川透の作品を取り上げたとこも、私の感想のことばの奥には残響のようにして残っているのかもしれない。(あ、ことばが重複している--と思うが、書き直さない。)北川のことばには、それが書いた瞬間から違ったことばになってしまわないという覚悟のようなものがある。他人が(読者が)どんなふうにずれて行っても(誤読しても)、それはことばの可能性であり、訳がわからなくなるからこそ、そこに「かっこいい何か」、ことばになっていないものが出現してくる--ということは、まあ、ほんとうに少なくて、少ないからこそ、その瞬間を目指してことばを(流通言語を)破壊し続ける。流動させ続ける。そういうおもしろさと対比すると(対してはいけないのかもしれないが)、ほんとうにぞっとしてしまうのである。

*

稲川は次のような詩集を出しています。

稲川方人全詩集1967‐2001
稲川 方人
思潮社

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北川透「打楽器あるいは、わがトライアングル」

2008-03-02 02:14:52 | 詩(雑誌・同人誌)
 北川透「打楽器あるいは、わがトライアングル」(「現代詩手帖」2008年03月号)
 「トライアングル」にあわさるように、「蛇口--時間--佇立」など三つの存在を結んだ断章が書かれている。タイトルはその三つが直線上に並んでいる。「トライアングル」を形作ってはいない。それなのに「トライアングル」というタイトルがあるためか、私は三角形を思い描いてしまう。そして三角形のついでに、弁証法の三角形なども思い浮かべてしまう。
 --ことばは、とてもやっかいなものである。ことばは、それがどういうものをさして書かれているか、それを書いたひとの意図(意思)とは関係ないものを浮かび上がらせてしまう。ことばがある事実にもとづいて書かれていたとしても、いったん書かれてしまうと、その事実とは関係なく動いて行ってしまう。
 そんなことを思いながら、北川の詩を読んだ。

 「トライアングル」、あるいは「三」とは北川にとって、どういうものなのだろうか。いくつもの「三」が出てくるが、そのどれもが私にはとても似ているものに見える。

たとえば、賛成か反対か、死か生か、美か醜かという一義的な選択を迫る<国家>の強制力に対して、性交する俗語たちと放火する修道僧たち、日傘を指している鬼瓦と泥んこになっている白雪姫等々のすべての離反し、対抗する動詞群を連結する自由(イメージ)として。  (ことば--国家--空虚)

詩は自然としての性を超えることによってエロスとなる。詩は男性が<女性>性でもあり、女性が<男性>性でもあり、二つの生が自由に入れ替わり、溶解することのできる、性差交換のエロスのあり方だからである。  (生命--身体--エロス)

 「三」は二者択一とは関係がない。「二」の対立(生か死か、女か男かなど)が昇華して結果の新しい「到達点」ではない。(弁証法とは関係がない。)対立を解消する(昇華する、止揚する)のではない。むしろ、対立するものを「溶解」する。ごちゃごちゃにする。常に、どっちでもない。かって(「自由」ということばを北川はつかっている)に何かと「連結」する。
 「三」で明らかにしたいのは、「自由」である。北川は、ことばの「自由」を求めている。何とでも結びつく「自由」を、である。「死」に対抗して「生」と結びつくというような「自由」ではなく、「死」に対抗する時は、「生」ということば(概念)とは無縁のものと結びつく「自由」である。そういう「自由」が実現する時、「死」と「生」は対立という関係をなくし、定義できないもののなかに「溶解」する。北川は、いまここにある、あらゆる定義を溶解することで自由になりたいのである。それは「死」はいつでも「生」になり、「生」はいつでも「死」になるということと同じ意味である。入れ替わってしまうのである。別な言い方をすれば、「死」が「死」であるという意味(固定されたもの)が消えてしまう。その「無」としての存在が「三」の有り様である。この「無」は「混沌」(カオス)と言い換えてもいい。北川は「混沌」(カオス)を出現させることで、そこを通り抜けるものが、それぞれ自分の好きな何かになればいいと願っている。そういうことを欲望している。
 次の行が象徴的である。

わたしとあなたは、絶えず入れ替わり、変身し、仮装する他者によって、わたし(あなた)になるのだし、そのわたし(あなた)はもはやあのわたし(あなた)ではない。
        (わたし(あなた)--仮面--かれら)

 北川の詩のなかにはいろいろなことばが出てくる。
 もし、そのなかから「キーワード」を探すとすれば、「欲望」である。それは次のようにつかわれている。    

あるいは<仮面>とは、詩の形式あるいは形態であり、緊密に構成されたレトリックであり、思い出された(仮構された)語り手であり、欲望された性である。
        (わたし(あなた)--仮面--かれら)

 「三」は「欲望」の形である。「欲望」によって生まれるものである。たとえば「男」が「女」を欲望する。「女」を手に入れる(女になる)なら、そこから「三」は生まれてこない。「男」と「女」がごちゃごちゃに溶解し、定義できないものになる時、「三」が生まれる。
 「三」を欲望する精神が、ここではいくつものことばに分裂しながら、分裂することで「三」がひとつのものであることを浮かび上がらせているのである。





現代詩手帖 2008年 03月号 [雑誌]

思潮社

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岡井隆「『鼠坂』補注など三篇」

2008-03-01 11:42:31 | 詩(雑誌・同人誌)
 岡井隆「『鼠坂』補注など三篇」(「現代詩手帖」2008年03月号)
 3篇の詩がおもしろい。川村二郎を追悼している。

川村二郎氏は旧制高校では敬意をこめて川村さんと呼ばれた
小柄で白絣の和服を着てわれわれ後輩どもの間へいきなりうしろから
手を出して一たん呉れた自筆原稿をさっさととり上げた
寮誌編集側のわれわれは残念とうなだれたものだ

萩原朔太郎論だつたと記憶してゐるが本人はずつとあとで
いや鏡花論だつた
と言つたので耳を疑つたものだ
『月に吠える』を荒い戦後の空気の中で

評価してゐたのは戦後詩批判じやなかつたかと確信してゐる
「もちろん詩の世界では、古を慕つて今を嘆くといふのは、普遍的な表現の定式に属す
 る」。(『ヘルダーリン詩集』解説)と
ちやんと本人も言つてをられる

川村さんのゐなくなつた世界の底辺で「あまりに早く運命の女神が
わが夢を終らへぬように。」(ヘルダーリン)
などと呟くのは遅い! あの時川村さんに貰つた原稿は死守すべきだつたのだ

 ここに書いてあることは何か。川村二郎がどういうひとであったか、ということはあまりわからない。知っているひとにはわかるが、私のように川村二郎を知らない人間には何が書いてあるのかわからない。わからないけれど、ヘルダーリン詩集を訳したことはわかる。朔太郎とか鏡花に関心があった評論家だったこともわかる。--しかし、こういうことは詩とは関係がない、というといいすぎになるかもしれないが、あまり関係がない。川村二郎がどういう人間であるかによって、詩の価値が(おもしろさが)変わるわけではないからである。
 岡井は、川村が書いた幻の(?)「朔太郎論」を読みたい、と切実に思っていること。そういうふうに思うことが追悼になっているということである。川村二郎なら、どういうか。そんなふうに、相手のことば(意識)を探すことを超える追悼というものはない。尊敬というものはない。最上級の尊敬、敬意というのは、いつでも自分はこう思うけれど、その考え方はあの人の考えとどう違うだろうか、あの人ならどう考えるだろうか、という「指針」のような形で姿をあらわす。
 とても自然で、とても美しい追悼詩だ。

 ところで、この詩は、追悼のなかに川村二郎のことばを抱き抱えている。ひとつはヘルダーリンの詩集への解説、もう一つはヘルダーリンを訳した時のことば。そこには川村二郎が生きている。
 そして、このこと--岡井のことばのなかに川村のことばを含むこと、そういう作品の構成が、実は、ここでは重要な「意味」を持っている。川村を追悼するに当たって川村のことばを引用したという形をとりながら、ここでは実は岡井は、「補注」(解説)とはどういうことかということについて述べている。ただし、そのことは「川村二郎氏を悼む」という1篇を読んだだけでは明確にはわからない。「補注」とは何か、というとこは「現代詩手帖」に掲載されている3篇を読み通すと、あ、あそこで書こうとしていたことはそういうことだったのか、とわかる仕組み(構造)になっている。

 途中を省略して、要点だけを書いておく。
 「3 鴎外『鼠坂』補注」。その終わりに近い部分に次のことばが出てくる。

昔注解者が地方の大学街に住んでゐたころ高名な考証学者N先生が教へを垂れておつしやるには「註釈とか註記註解などと言扁はいらんのだ。注解とは水を注いでやはらかく解くことを言ふのでサンズイ扁が正しいのだ。」

 注解に、注解者の「答え」(解説)はいらないのだ。ただ「水」を注いでやればいい。
 しかし、「水」とは何?
 そこに書いてあることばとは関係ない何か、である。そこにはない何か、である。なんだってかまわない。川村二郎の追悼詩にもどって言えば、川村二郎以外のもの。存在しない「朔太郎論」(あるいは鏡花論)。そういうものを注ぐことで川村二郎がふいにほどけてゆく。どんなふうにその論をみせ、どんなふうにそれを取り上げたか。そのときの肉体の動き、精神の動きが、川村二郎を知らない私にも、ふいに見えてくる。
 そして、そんなふうにゆったりと解きほぐされた「土」(川村二郎)の内部から、川村二郎のことば自身が(川村のヘルダーリンに対する解説、詩の訳が)新しい湧き水のように噴出してくる。
 岡井は川村二郎を追悼するために川村のことばを引用したのではない。岡井が、存在しない川村の「朔太郎論」というエピソードを水のように注いだら、その水が誘い水となって、岡井のことばがかってに噴出してきたのである。「かってに」というのはもちろん私の方便だが、そんなふうに、かってに川村が動いていると私に感じさせるくらいに、岡井は川村を動かしてみせている。いきいきと描写している。でも、それは描写だけなのだ。ほんとうの川村はいない--その、激しい落差のなかで、追悼のこころ、あ、ほんとうに大事なひとがいなくなってしまったんだ、悲しい、取りかえしがつかないという気持ちがわきあがる。

 「現代詩手帖」に掲載されている3篇は、どれもしり切れとんぼというか、「あれ、しめのことばは?」という疑問を誘うような形をしているともいえるが、これも、実は深い深い意識的な操作なのだということがわかる。
 岡井は「注釈(注解)」というものがどうあるべきかを詩の形で実践している。ある作品(土)に「水」を注ぐ。「土」はやわらかくなる。そして、そのやわらかくなった「土」の奥から新しい水が噴出する。そうしたら、その水が自由に噴出するにまかせる。そこまでが注解者の仕事である。そこから先、新しい水がどう動いていくかは注解者の仕事ではない。その水をどう動かしていくかも注解者の仕事ではない。

 ちょっと叱られたような気持ちにもなる。私はいつでも自分のことばを最後まで動かしてしまう。それは結局、作品が動きを自分の感じたもののなかに閉じ込めてしまうことである。私は「注解者」ではなく、単に感想を書いているだけの人間だからそれでもいいのかもしれないけれど、感想にしたって、やはり作品そのものがかってに動いていくような感想の方がいいに決まっている。私が感じたことがそのまま読者に伝わるのではなく、私の書いていることを無視して、読者がかってに(自由に、という意味である)、それぞれの感想を抱きはじめる--そういう形の感想・批評がいいに決まっている。私以外の読者と、私が感想を書いた作品が、私を超えて(私の感じたこととはまったく関係ない形で)、新しく動きはじめる--そういう形の感想・批評が、たしかに理想形だ。

 でも、そんな難しいことは私にはできない。あ、岡井はやっぱりすごいなあ、と、思う。(あたりまえだ、そんなことさえ知らなかったのか、と今度は読者からしかられそうだが。)





現代詩手帖 2008年 01月号 [雑誌]

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