俵万智「かーかん、はあい」ほか(「朝日新聞」2008年10月22日夕刊)
俵万智「かーかん、はあい」には、「子どもと本と私」というサブタイトルがついている。子どもに本を読み聞かせる。そのときの子どもの反応、俵の感想をつづったものだ。そこに、感動的な文章があった。
「その」は先行する何かを前提としている。文書を「その」ではじめるのは反則である。反則を承知で「その」と書き始める。読者の意識をひっかきまわす、活性化するためである。
感動的なのは、そういう「ひっかけ」に子どもが反応して、「その」にきちんと疑問をぶつけていることだ。え? 子どもって、こんなにことばの決まりに敏感なのか? たぶん、俵の読み聞かせが、そういう敏感な子どもを育てたのだ。
また、そした反応をきちんと受け止め「これは、かなり大人の文体だ」とすばやく反応しているのも、俵言語感覚の敏感さを浮き彫りにしている。
敏感な言語感覚は、敏感な言語感覚の親によって育てられるのだ。あたりまえのことなのかも知れないが、感動してしまった。
*
アーサー・ビナード、木坂涼(選・共訳)「詩のジャングル」は、エミリー・ディキンスンの「秋の朝」を取り上げている。
この作品に、2人は、次の感想を添えている。
「頼もしい、生きたセンス」の「頼もしい」ということばの選択に木坂の視線を感じた。「頼もしい」ということばはこういうときに使うのだ、と教えられた。感動してしまった。
書き出しの「前よりも遠慮しながら」という訳にも感動した。繊細でやわらかい。ここにも木坂の視線を強く感じた。
俵万智「かーかん、はあい」には、「子どもと本と私」というサブタイトルがついている。子どもに本を読み聞かせる。そのときの子どもの反応、俵の感想をつづったものだ。そこに、感動的な文章があった。
一番笑ったのは「夜の事件」という作品。冒頭の「そのロボットは、よくできていた。」という一文には、面食らって「え? なに、そのロボットって・・・」と、訝(いぶかし)しそうにしていた。思えばこれは、かなり大人の文体だ。
(谷内注・俵が引用しているのは星新一作、和田誠絵「きまぐれロボット」。子どものことばの「その」には傍点がある。)
「その」は先行する何かを前提としている。文書を「その」ではじめるのは反則である。反則を承知で「その」と書き始める。読者の意識をひっかきまわす、活性化するためである。
感動的なのは、そういう「ひっかけ」に子どもが反応して、「その」にきちんと疑問をぶつけていることだ。え? 子どもって、こんなにことばの決まりに敏感なのか? たぶん、俵の読み聞かせが、そういう敏感な子どもを育てたのだ。
また、そした反応をきちんと受け止め「これは、かなり大人の文体だ」とすばやく反応しているのも、俵言語感覚の敏感さを浮き彫りにしている。
敏感な言語感覚は、敏感な言語感覚の親によって育てられるのだ。あたりまえのことなのかも知れないが、感動してしまった。
*
アーサー・ビナード、木坂涼(選・共訳)「詩のジャングル」は、エミリー・ディキンスンの「秋の朝」を取り上げている。
朝が、前よりも遠慮(えんりょ)しながら
やって来るようになった。木の実は
だんだん茶色くなって、クロイチゴも
キイチゴもほっぺがふくらみ、バラの花は
旅に出て、しばらく帰ってこないはず。
カエデの木は派手なスカーフを巻き、野原も
赤いフリルのついたドレスを着始めた。
この流行に遅(おく)れてしまわないように
わたしもなにかアクセサリーをつけよう。
この作品に、2人は、次の感想を添えている。
春夏秋冬の服の流行も巡るが、ファッションは周りの人間だけに合わせていると、だんだん鬱陶(うっとう)しくなる。自然界はもっと頼もしい、生きたセンスに満ちていて、遊び心の源はそこにある。
「頼もしい、生きたセンス」の「頼もしい」ということばの選択に木坂の視線を感じた。「頼もしい」ということばはこういうときに使うのだ、と教えられた。感動してしまった。
書き出しの「前よりも遠慮しながら」という訳にも感動した。繊細でやわらかい。ここにも木坂の視線を強く感じた。
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