谷川俊太郎の世界(7-1)(朝日カルチャーセンター(福岡)、2019年06月17日)
今回は作品を持ち寄っての「合評会」。参加者は青栁俊哉、池田清子、井本美彩子、香月ハルカ、萩尾ひとみ。
あじさい 青栁俊哉
眠りのほとりに
夜明け前からはげしい雨がちる
青くそまっていた庭のあじさいが枯れて
花も茎も葉も
おりかさなるように砂地にたおれている
雨にうたれ 黒くちいさくくずれていく花に
指をふれる うすくもろい殻( から) のよう
花のたましいの襞( ひだ)
侵すことのできない神聖な空間を身におびている
あじさいの花は来年もさく
その花と 黒い花はおなじものだ
あじさいの中へしずかにながれ
きえていく雨の朝
くりかえす花の音をきいている
「格調が高い。自分のなかにはないことば、語彙力のすごさに圧倒される」
「ふつうはあまりつかわないことばが、きちんとつかわれている」
「書かれている世界が深い。花のたましいの襞/侵すことのできない神聖な空間を身におびている、という行がすばらしい。うすくもろい殻のよう、が、花の魂と言い換えられている。表現、比喩が美しい」
「あじさいの花は来年もさく/その花と 黒い花はおなじものだ、というのが印象的。黒く枯れたあじさいと、来年も美しい色に咲くあじさいがおなじものというところに、ずーんと来た。いま、あじさいが盛りですね。私はきれいなときのあじさいは見ているけれど、黒く枯れたあじさいは見ていない。青栁さんは、枯れたあじさいに目を向けているところがすごい。あじさいというタイトルを読んだとき、色鮮やかなあじさいを思ったので、衝撃が大きかった」
「二連目の、黒くくずれた花が、神聖な空間と結びつくところに感動した」
「最後の、くりかえす花の音が印象的だけれど、少しわからない」
--何だと思います?
「雨の音が関係しているのかな」
「雨が花におちる音」
「意味はわからないまま、花の音はすてきだなあと思っただけで、それ以上は考えなかった。でも、最後の三行を読んだら、静かに流れていく雨の音なのかなあ、と思った」
「あじさいの花が咲いて枯れて、また咲いてかれる。過去からつづいているサイクルのようなもの」
--青栁さんがどういう意味を込めて書いたのかは別にして、私も、花が咲いて枯れるという繰り返しだと思ってみ読ました。三連目にはくりかえしということばは書かれていないけれど、来年もくりかえし咲く。その書かれなかったくりかえしが、最後にことばになってでてきいているのかな、と思った。
ちょっと前後するけれど、一連目の、眠りのほとりのほとりということばのつかいかたはどうですか? ふつうにつかいます?
「聞けばわかるけれど、自分からは言わない」
「なんとなくわかるけれど、はっきりとはわからない」
--そういうことばに出会うと、詩だなあと感じません? 知っているけれど、自分の知っていることと少し違う。新鮮な感じがする。あ、そうか、と思う感じ。
「雨がちる、もそうですね。花が散るとはいうけれど、雨がちるとは、私は言わない」
--散る、はどういうことだと思います?
「はじめて聞く表現ですね……」
「雨がおちる。落ちるは、ぽとんと落ちる。でも、散るは、広がる感じ」
「散るは、一点ではなく、広い範囲を感じさせる表現」
「はげしいと結びついている」
--、落ちるよりもちるの方が激しい感じがしますね。雨そのものが散るのではなく、花びらにぶつかって、それから散る。そこから、雨の激しさが見える。
青栁「あ、私が間違えています。降ると書いたつもり」
「えっ、いまさら」(笑い)
「いい間違いじゃないですか。発見があるというか」
--降るよりも散るの方が、いろいろ考えさせられるでいいんじゃないですか? 詩は不思議で、いまでこそ原稿はたいていワープロで書くので誤植が少ないけれど、活字の時代は書く人と活字を拾う人が違うので、間違いが多かったかもしれない。でも、その間違えた方がかえって刺戟的ということもあったと思う。
「想像が膨らむ」
--読者がかってに読むというのもいいかもしれない。(ということで、「完成形」は「ちる」のままに落ち着きました。)青栁さんは、みなさんの感想を聞いてどう感じましたか。
「くりかえすということばで永遠性をあらわしたかったので、言いたかったことはつたわったかな、と思いました」
まだ詩は詩えない 池田清子
小さい頃 詩人になりたかった
若い頃
根は明るいのに 暗いと思おうとしていると
友達から言われたことがある
うれしいことがあると
こんなに幸せでいいのだろうかと悩む
悩んでいなければ
自分が自分でなくなるような気がしていた
悩みを自分の頭の中で作り出し
そこに生活はなかった
結婚をすることは
生活することだった
生活をする中で
詩を詩うことはなかった
悩みの中にいた頃は
非論理の世界であり
詩の世界に身を置けた
今はまだ
詩を詩えない
はじめてのきもち 池田清子
はじめてのきもちで
むねがいっぱいになって
どうしていいかわからない
つれあいがなくなって
その場所が すっぽり穴のようになって
何を入れても
何を置いても
何を埋めても
あいたまま
穴に布をかぶせようか
息ができるように紙をかぶせようか
紙を破って出てきてくれるかしら
そうだ
穴ごと見えない麻袋に入れて
持って歩くことにしよう
それがいい
「まだ詩は詩えないは五月につくった。はじめてのきもちは、谷川さんの三行を借りて、つづきを書いてみた。六月に書いた」
「前回、ご主人がなくなったという話をきいたことを思い出した。はじめてのきもちの、最後の、それがいい、がじんと来る」
「穴に布をかぶせようか、からの後半が切ないですね」
「二篇つづけて読むと、生活の中で詩は詩えないだったのが、はじめてのきもちで、詩になっている。そこに、ほっとするというか、救われたような感じがする」
「気持ちがそのまま素直にことばになっていて、詩の世界へはいっていきやすいなあ、と感じた」
--ことばというのは不思議ですね。そこにどんなに悲しいことが書いてあっても、それがほんとうのことなら、そのことばのなかへ入っていき、こころが落ち着く感じがする。自分が感じていることを確かめて落ち着くのかもしれない。共感がひとを落ち着かせる力になるのかもしれない。
二篇の感想をいうと複雑になるかもしれない。まず、「詩は詩えない」の感想から語りましょうか。
私の方から質問します。詩人になりたかった、と書くとき、池田さんは詩人をどんな人間だと感じていると思いますか。詩の中に書いてあることばを使って説明すると。
「非論理の世界の人」
「結婚生活に追われて、詩を書けないんですよね」
--詩ということばを聞くと、どういうことを思いますか?
「自分とは違う世界。詩は、自分とは違う世界のことを書いてある」
--一連目に、根は明るいのに 暗いと思おうとしていると書いてあるけれど、明るいのが詩人? 暗いのが詩人?
「暗いのが詩人」
--えっ。(笑い)確かに池田さんはそう書いてるんですが。池田さんにとっては、詩人というのは暗い人なんですね。明るく振る舞うと詩人じゃなくなる。詩人になるためには悩まなくてはいけないだと思っているかな?
「生活のなかでも悩むことはあるし、思いめぐらすことはあるので、悩みを頭の中で作り出しからあとは、ちょっと不思議だなあと感じた。暮らしの中で忙しいだろうし、いろいろなことに出会うので、優雅ではいられないということなのかもしれない。でも、結婚する前は、そうではない世界もあったんですよね」
--終わりから二連目は、結婚する前の世界ですね。
「最後の二行は、どういうことですか」
「つながりが、ちょっとわからない」
--一連目に、明るい、暗いが出てくるけれど、最後の連の詩は、明るい詩かな、暗い詩かな。
「一連目は小さいときのこと」
「今はまだ、ということは、もうすぐ詩えるようになるってこと?」
--それを考えましょう。
「まだ、気持ちの余裕がない」
--私の考えを言ってしまうのもあまりよくないとは思うのだけれど。この詩のなかには悩むということばが何回か出てくる。悩むというのは暗いこと。悩みはたいてい非論理。悩みと非論理と詩は池田さんの中ではかたく結びついているのではないか。同じようなものだと読めると思う。それで、とてもおもしろいのは、悩みを頭の中でつくりだしという表現。ふつう、悩みとつくりだすものじゃなくて、どこかから突然やってくる。解決しなければいけないのが悩み。この、悩みを頭の中でつくりだしにいちばん近いことばは何だろう。
「暗いと思おうとしている」
「こんなに幸せでいいのだろうかと悩む」
「悩んでいなければ、自分が自分でなくなる気がしていた」
--たぶん、その二行を言いなおしたのが悩みを頭の中で作り出すということろうと私も思います。それはわざと暗くなろうとしているとも読める。
ふつうは悩んでいると自分が自分でなくなる、なんでこんなことを悩まなければいけないんだと思うものだと思うけれど、池田さんは逆に書いている。そこに、池田さんのほんとうに思っていることがあらわれていると思う。
「悩みから、抜け出したいと、ふつうは思いますね」
「悩むというのは、いやなことばっかりじゃないですね」
「若いときって、悩まなくていいことになやむっていう、面倒くさいようなところもありますね」
詩は、池田さんが書いていることとは逆に、明るいもの、夢を与えてくれるものととらえる考え方もある。一方で、詩は暗くて、ふつうは考えないようなことを、さらに暗く考えるものという考えることもできる。池田さんの詩を読むと、明るくみんなと騒ぐんじゃなくて、沈思黙考というか、それこそ孤独で、ひとりで悩むのが詩と考えているのか、と私は読みます。
でも、結婚すると、忙しくてそういうことをしている時間がない。生活が悩みを消してしまう。悩んでいる時間を与えてくれない。雨が降ってくれば、宇宙のどこから雨が降ってくるかと考えるよりも、洗濯物をとりこむとか、そういう具合にふりまわされる。悩みを、もっと深めていく、たとえばドストエフスキーのようなことばにまで育てていく時間がなかった、と私は読みました。
最後の二行は、まだ生活が忙しくて、悩みを悩みのまま抱え込んでいる時間がないということなのかな、と読みました。それで、さっき指摘のあった、悩んでいなければ、自分が自分でなくなる気がしていたというのは、とても興味深い二行だと思った。ふつうは悩んでいるときというのは、悩みたくない、悩みのために自分が自分でなくなると思う。それを逆に言っている。そこに真実があると思う。
今はまだ、詩を詩えないというのは、自分の悩み(思考)に没入できない。まだ生活に追われている部分が多い、と書いているかな、と思って読みました。
で、いまの詩にも「悩み」は書かれているのだけれど、もっと「悩み」というか「考えていること」を自分のことばで書いてみたのが、もう一篇の詩「はじめてのきもち」になるかな。ことばで、自分をひろげていく。
この作品については、どんなことを感じましたか?
「前の作品とつながっている感じ。五月の気持ちと、六月の気持ち。ご主人を亡くされたのだけれど、そこから次のステップに進もうとしているということを感じた」
「前回、自分のことを語ったので、書けたかなあという気持ちはある」
「二連目までは私にも書けるかなあと思うけれど、三連目からはすごいなあと感じた。布をかぶせようとか、紙をかぶせようとか、そういう表現が」
「穴をこんなふうに表現できるのがすごいなあ。穴を見えない麻袋に入れて持ち歩くというのは、切実な感じがする」
「最後の、それがいい、がとてもいいですね」
「三連目がもどかしいというか、葛藤を感じる。布をかぶせよう、息ができるように、出てきてくれるかしらという動きの中に」
--いま、もどかしいということばがつかわれたんだけれど、この三連目、出てきてくれるかしらというのは何が出てくるんだろう。
「亡くなったご主人をぱっと思った」
「私もそう思う」
「具体的には考えなかったけれど、自分が生きていることの根本的なものという気がします」
--池田さんの人生について何も知らなかったと仮定して、この三行だけを読んだとしたら何が出てきますか?
「穴」
--穴ですよね。それがポイントですね。穴って、どういうものですか。
「何もない」
「比喩ですね」
--比喩ですね。何の比喩なんだろう。
「ご主人に対する恋心」
--それがぽっかりあいている。何もない。「ない」ものを、穴ごと見えない麻袋に入れてという表現になる。「ない」けれど、池田さんは「ある」と感じる。この矛盾のようなものが、さっき感想に出てきた生きていることの根本的な何かというものにつながっているのだろうと思います。その「ない」ものを「ある」と感じて、持ち歩くというのはとてもいいなあ。
「やっぱり、小さいときから詩人になりたかったから、こういうことばが出てくるんですね」
「とてもいいですね」
--最後の部分には、ことばでしか言えない何かがあると、切実に感じる。
それから、私は、最後の部分を「そうだ/それがいい」ということばで挟んでいるのがとてもすばらしいと感じました。詩を書き慣れているというか、詩にすれてしまっていると、たぶん「そうだ/それがいい」は書かないと思う。省略して、穴ごと持って歩くを独立させて、読者の視線をそこに引きつける。読者に、考えさせる。
でも、詩を書き初めの頃は、読者のことなんか考えない。自分のことばを追いかけるのに手一杯。その真剣な感じの強さが「そうだ/それがいい」に溢れている。ことばが浮いていない。実感があって、いいなあ、と思う。
「私だったら、心臓に穴があいているとか、そういうありがちな表現になってしまう。そうならずに書いているところがすごい」
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