ミキ・デザキ監督「主戦場」(再び)
監督 ミキ・デザキ
「慰安婦少女像」をめぐって、私には、長い間わからないことが一つあった。なぜ、アメリカに像をつくろうとするのか。慰安婦問題が「日韓」の問題なら、アメリカに慰安婦像をつくることは、あまり関係がないのではないか。アメリカに像をつくっても、韓国人や日本人の目に触れる機会は少ない。慰安婦の歴史はアメリカ人とは直接関係がない。(奴隷を解放したリンカーンの像を韓国につくっても、韓国の歴史とは関係がないのと同じように。)では、アメリカはなぜ像をつくることを支持したのか。「人権問題」に対する意識だけで、慰安婦像をつくることを支持したのか。どうも、理解できなかった。しかし、「理由」が、この映画を見てわかった。
韓国はアメリカを利用しているのである。韓国が、アメリカを説得したのだ。実に頭がいい。言い換えると、思想が明確だ。
アメリカは世界戦略上、韓国を重視している。利用している。もしかすると日本よりも重視しているかもしれない。いや、私なら、日本よりも重視する。なんといっても北朝鮮と陸続きである。それは中国とも、ロシアとも陸続きであるということだ。つまり、陸軍がそのまま北朝鮮、ロシア、中国へと移動できる。
アメリカが韓国に「日韓和解(日韓合意)」を要求し、韓国を利用するなら、韓国の主張をアメリカは支持すべきである。韓国は、アメリカの世界戦略を受け入れる「見返り」に、そう主張しているのだ。日本は韓国を侵略した。その結果、朝鮮半島の分断も起きた。その侵略戦争のとき、日本軍は韓国人女性の人権を踏みにじった。女性を慰安婦にした。この歴史をしっかりと認識し、その認識の「証」として慰安婦像をアメリカにもつくらせる。歴史認識が共有されるなら、アメリカが韓国を世界戦略に利用することを容認する。そういう「思想」を韓国は明確に主張した。慰安婦像は、アメリカが日本より韓国を重視している証拠になる。アメリカがなんというか知らないが、韓国は、そう受け止めるだろう。その韓国重視の証拠がないかぎりは、韓米日(たぶん韓国なら、こういうだろう)の関係は安定しない。このことを「世界中」に明確にしたのだ。
韓国人はとても頭がいいし、思想を生きるのが韓国人の特徴だから、その思想を貫いたのである。
ここから、こんなことも思う。
アメリカは広島と長崎に原子爆弾を落とした。そのために多くの市民が死亡した。このことに対して、日本はもっと抗議をすべきなのだ。原子爆弾をつかわなくても戦争を終わらせることはできる。広島の被害の大きさから、長崎で何が起きるかアメリカは知っているはずである。それなのに、アメリカは蛮行をくりかえした。
アメリカが世界戦略上、日本の地理的位置を重視するのはわかる。そして、日米協力というものが必要というのなら、日本がアメリカから協力を求められたとき、「でも、アメリカが原子爆弾を落としたために、日本人を何人も死んだ。そしていまも後遺症で苦しんでいる」とチクリチクリと厭味をいうべきなのだ。「きちんと広島、長崎で慰霊をして、原爆はつかわないと誓ってください」と言うべきなのだ。鶴見俊輔が言っているように、そういう「権利」は日本人にはある。そしてその「権利」は「人間としての義務」だ。
日本が(安倍が)、世界戦略上、「日米同盟」が重要というのなら重要でかまわないが、それは何もアメリカの言い分どおりに従うということではない。現実として(実働として)「日米同盟」は守るが、原爆に対する厭味はやめない。そういう「生き方」ができるはずである。
いくら日本がアメリカの「核の傘」に守られているのだとしても、それはアメリカの戦略。日本としては核兵器には反対と言えるはずである。核保有国と手を結ぶのではなく、核を持たない多くの国と手を結び、「核兵器のために日本はこれだけ苦しんできた」と訴えることはできる。
そういうことを、「論理の矛盾」と指摘する人がいるだろう。日本政府の立場は、「アメリカの核に守られているのに、核兵器反対と主張するのは論理的矛盾だ」というものだ。しかし、「思想」というのは「論理」ではない。「矛盾」したところがあっても、ぜんぜんかまわない。人間はいろいろな矛盾を抱えながら生きているから、ところどころに矛盾が噴出してきてもいい。噴出してくる矛盾を抱えながら、そのときそのとき、できることをするしかないのだ。
韓国の多くのひとは、侵略戦争をしかけてきた日本と協力することを好まないだろう。「韓米日」の軍事協力に疑問を感じているだろう。でも、現実として、それが必要ならば、どこかで「疑問」をしっかり明らかにしておく。日本に対して、厭味をつたえておく。それを忘れない。
こういう生き方を、私たちは学ばなければならない。
そんな厭味がなんになるかわからないかもしれないが、少なくとも、ある行動が「暴走」するのを防ぐことができる。厭味を言われた瞬間、だれでも、一瞬、行動が止まる。それが大事だ。
実際、慰安婦像(少女像)を見たとき、私はひるんでしまう。私が韓国人女性を強姦したわけではない。戦争に行ったわけではない。私自身は、何も悪いことはしていない。でも、何か、ひるむ。
慰安婦問題に対して、日本政府は、「日韓合意」で決着した、と主張する。保証金も払った。すべて解決した。そう主張するとき「慰安婦像」は「厭味」に感じられるのだろう。「反省して、金を払ったんだから、像を取り除いてほしい」というとき日本政府が感じるのは、きっと「金」では解決できない心情というものがあるということを知っているからだ。厭味というのは、心情を刺戟する。だから効果的なのだ。だから必要なのだ。
ほんとうに「日韓合意」ですべて決着がついていると信じているなら、慰安婦像は、日本軍が韓国人女性を慰安婦にしたという歴史的事実を語っているだけに過ぎないから気にする必要はない。気になるのは、歴史というのは単に「事実」ではなく、そこには「心情」があるからだ。そして人間は心情なしでは生きていけないからだ。「思想」は「理性」だけではなく「心情」も必要なのだ。
慰安婦は存在しなかったと主張する人たち。彼らは「心情」だけを語っているように見えるが、まったく逆で「心情」を語っていないのだろう。杉田水脈は韓国人や中国人に最先端の科学技術をつかったものはつくれないというような差別的な発言をしていたが、それも「心情」ではなく、彼女なりの「論理」である。そして「心情」を含まない「論理」というのは、「頭」だけで動かしてできるものだから、どんなでたらめでも言える。韓国人や中国人は日本人より劣っていると平気で「論理」にしてしまう。
(KBCシネマ1、2019年06月08日)
監督 ミキ・デザキ
「慰安婦少女像」をめぐって、私には、長い間わからないことが一つあった。なぜ、アメリカに像をつくろうとするのか。慰安婦問題が「日韓」の問題なら、アメリカに慰安婦像をつくることは、あまり関係がないのではないか。アメリカに像をつくっても、韓国人や日本人の目に触れる機会は少ない。慰安婦の歴史はアメリカ人とは直接関係がない。(奴隷を解放したリンカーンの像を韓国につくっても、韓国の歴史とは関係がないのと同じように。)では、アメリカはなぜ像をつくることを支持したのか。「人権問題」に対する意識だけで、慰安婦像をつくることを支持したのか。どうも、理解できなかった。しかし、「理由」が、この映画を見てわかった。
韓国はアメリカを利用しているのである。韓国が、アメリカを説得したのだ。実に頭がいい。言い換えると、思想が明確だ。
アメリカは世界戦略上、韓国を重視している。利用している。もしかすると日本よりも重視しているかもしれない。いや、私なら、日本よりも重視する。なんといっても北朝鮮と陸続きである。それは中国とも、ロシアとも陸続きであるということだ。つまり、陸軍がそのまま北朝鮮、ロシア、中国へと移動できる。
アメリカが韓国に「日韓和解(日韓合意)」を要求し、韓国を利用するなら、韓国の主張をアメリカは支持すべきである。韓国は、アメリカの世界戦略を受け入れる「見返り」に、そう主張しているのだ。日本は韓国を侵略した。その結果、朝鮮半島の分断も起きた。その侵略戦争のとき、日本軍は韓国人女性の人権を踏みにじった。女性を慰安婦にした。この歴史をしっかりと認識し、その認識の「証」として慰安婦像をアメリカにもつくらせる。歴史認識が共有されるなら、アメリカが韓国を世界戦略に利用することを容認する。そういう「思想」を韓国は明確に主張した。慰安婦像は、アメリカが日本より韓国を重視している証拠になる。アメリカがなんというか知らないが、韓国は、そう受け止めるだろう。その韓国重視の証拠がないかぎりは、韓米日(たぶん韓国なら、こういうだろう)の関係は安定しない。このことを「世界中」に明確にしたのだ。
韓国人はとても頭がいいし、思想を生きるのが韓国人の特徴だから、その思想を貫いたのである。
ここから、こんなことも思う。
アメリカは広島と長崎に原子爆弾を落とした。そのために多くの市民が死亡した。このことに対して、日本はもっと抗議をすべきなのだ。原子爆弾をつかわなくても戦争を終わらせることはできる。広島の被害の大きさから、長崎で何が起きるかアメリカは知っているはずである。それなのに、アメリカは蛮行をくりかえした。
アメリカが世界戦略上、日本の地理的位置を重視するのはわかる。そして、日米協力というものが必要というのなら、日本がアメリカから協力を求められたとき、「でも、アメリカが原子爆弾を落としたために、日本人を何人も死んだ。そしていまも後遺症で苦しんでいる」とチクリチクリと厭味をいうべきなのだ。「きちんと広島、長崎で慰霊をして、原爆はつかわないと誓ってください」と言うべきなのだ。鶴見俊輔が言っているように、そういう「権利」は日本人にはある。そしてその「権利」は「人間としての義務」だ。
日本が(安倍が)、世界戦略上、「日米同盟」が重要というのなら重要でかまわないが、それは何もアメリカの言い分どおりに従うということではない。現実として(実働として)「日米同盟」は守るが、原爆に対する厭味はやめない。そういう「生き方」ができるはずである。
いくら日本がアメリカの「核の傘」に守られているのだとしても、それはアメリカの戦略。日本としては核兵器には反対と言えるはずである。核保有国と手を結ぶのではなく、核を持たない多くの国と手を結び、「核兵器のために日本はこれだけ苦しんできた」と訴えることはできる。
そういうことを、「論理の矛盾」と指摘する人がいるだろう。日本政府の立場は、「アメリカの核に守られているのに、核兵器反対と主張するのは論理的矛盾だ」というものだ。しかし、「思想」というのは「論理」ではない。「矛盾」したところがあっても、ぜんぜんかまわない。人間はいろいろな矛盾を抱えながら生きているから、ところどころに矛盾が噴出してきてもいい。噴出してくる矛盾を抱えながら、そのときそのとき、できることをするしかないのだ。
韓国の多くのひとは、侵略戦争をしかけてきた日本と協力することを好まないだろう。「韓米日」の軍事協力に疑問を感じているだろう。でも、現実として、それが必要ならば、どこかで「疑問」をしっかり明らかにしておく。日本に対して、厭味をつたえておく。それを忘れない。
こういう生き方を、私たちは学ばなければならない。
そんな厭味がなんになるかわからないかもしれないが、少なくとも、ある行動が「暴走」するのを防ぐことができる。厭味を言われた瞬間、だれでも、一瞬、行動が止まる。それが大事だ。
実際、慰安婦像(少女像)を見たとき、私はひるんでしまう。私が韓国人女性を強姦したわけではない。戦争に行ったわけではない。私自身は、何も悪いことはしていない。でも、何か、ひるむ。
慰安婦問題に対して、日本政府は、「日韓合意」で決着した、と主張する。保証金も払った。すべて解決した。そう主張するとき「慰安婦像」は「厭味」に感じられるのだろう。「反省して、金を払ったんだから、像を取り除いてほしい」というとき日本政府が感じるのは、きっと「金」では解決できない心情というものがあるということを知っているからだ。厭味というのは、心情を刺戟する。だから効果的なのだ。だから必要なのだ。
ほんとうに「日韓合意」ですべて決着がついていると信じているなら、慰安婦像は、日本軍が韓国人女性を慰安婦にしたという歴史的事実を語っているだけに過ぎないから気にする必要はない。気になるのは、歴史というのは単に「事実」ではなく、そこには「心情」があるからだ。そして人間は心情なしでは生きていけないからだ。「思想」は「理性」だけではなく「心情」も必要なのだ。
慰安婦は存在しなかったと主張する人たち。彼らは「心情」だけを語っているように見えるが、まったく逆で「心情」を語っていないのだろう。杉田水脈は韓国人や中国人に最先端の科学技術をつかったものはつくれないというような差別的な発言をしていたが、それも「心情」ではなく、彼女なりの「論理」である。そして「心情」を含まない「論理」というのは、「頭」だけで動かしてできるものだから、どんなでたらめでも言える。韓国人や中国人は日本人より劣っていると平気で「論理」にしてしまう。
(KBCシネマ1、2019年06月08日)