詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

黒川辞任の1週間(やっぱり読売新聞はおもしろい)

2020-05-24 09:07:05 | 自民党憲法改正草案を読む
黒川辞任の1週間(やっぱり読売新聞はおもしろい)
       自民党憲法改正草案を読む/番外359(情報の読み方)

 黒川辞任の1週間を読売新聞(西部版・14版)の1面(見出し)で振り返ってみる。

05月18日 検察庁法案 見送り検討/今国会 世論反発に配慮
     政府・与党 近く最終判断
     検察の独立 守れるか 東京本社社会部長 恒次徹(解説論文)

05月19日 検察庁法案 今国会見送り/政府・与党「定年特例」反発受け
     首相「丁寧に説明」/今秋成立目指す

(05月20日 週刊文春「黒川検事長は接待賭けマージャン常習犯」報道)

05月21日 黒川検事長 辞任の意向/緊急事態中 マージャン報道

05月22日 黒川検事長が辞表/賭けマージャン認める/訓告処分

(05月23日 毎日新聞デジタル「安倍支持率27%」)

 この一連の報道で、いちばんおもしろいのは、今回の「大報道」のスクープが読売新聞から始まったということだ。
 なぜ、読売新聞なのか。
 05月18日以前には、ツイッターで「検察庁法案改正に反対」の投稿デモが盛り上がり、読売新聞の18日の「世論反発に配慮」は、これを指している。しかし、私の記憶では、読売新聞は、イッターデモについては大々的には報道はしてきていない。なぜ、読売新聞はスクープできたのか。

 週刊文春を読むと、おもしろいことが書いてある。(27ページ)

五月十七日、日曜日の午前十時過ぎ。自宅から、犬の散歩に出てきた本人を直撃した。

 賭けマージャンについて質問しているのだが「こちらが何を聞いても無言を貫く黒川氏」。
 賭けマージャンが報道されそうだと分かって、黒川は、このあと、それを安倍に報告しているのだ。(そういうことは、ここには書いていないが、後日、他の報道で黒川が安倍に報告した、という一文を読んだ記憶がある。)
 ここからが「問題」なのだ。
 読売新聞は、「黒川・安倍密談(相談?)」を政府関係者からリークされたのだ。「検察庁法案 見送り検討」という情報をリークされたのだ。この報道のあとでさえ、NHKは「21日に法案可決か」というニュースを流していた。つまり、情報は入り乱れていた。
 なぜ、読売新聞は「リーク」先に選ばれたのか、と考える必要がある。
 
世論反発に配慮

 この見出しがキーワードになる。たしかに「世論」に配慮したのだろうが、それは批判を緩和するための「方法」でもある。安倍の側近は(今井か?)、世論操作をするために読売新聞を選んだのだ。
 実際に、「法案見送り」が報道されると、ネットでは「ツイッターデモの勝利」「新しい民主主義の動き」のような言動があふれた。
 私は何でも疑う人間なので、そういう動きには賛同できなかった。うさんくさいし、安倍のほんとうの狙いは、もっと先、2025年を視野に入れているのだから、ここで「勝利宣言」をしてよろこんでいてはいけない、というようなことを書いた。
 でも。
 この「ツイッターデモの勝利」という歓喜で、少しツイッターをはじめ、SNSの熱気がおさまったところがある。
 そのあとで、黒川の賭けマージャン、辞任、訓告処分とつづき、また盛りあがるのだけれど、ツイッターデモのような「大熱気」はない。有名人(?)が次々に、黒川訓告処分は甘いとツイッターし、その数が100万単位に増えているということは聞かないし、新聞が「有名人の一覧表」つきで訓告処分を批判しているという記事も見受けられない。
 つまり。
 安倍の「世論操作」は半分成功したのである。

 きのう少し書いたのだが、こう考えてみるといい。
 もし、改正法案が成立していたら、どうなるか。

検察庁法案改正→黒川検事総長誕生→賭けマージャン発覚→黒川辞任

 こういう展開になれば、黒川がいま辞任に追い込まれるのとは、衝撃度が違う。
 いまなら、「やっぱり黒川はうさんくさい男だ」で逃げきることができる。安倍はだまされたのだということができる。森友学園のとき、安倍は、鴻池を「うそつき」「詐欺師」というような批判をしなかったか。それで逃げきらなかったか。それと同じことができる。しかし、法案が成立し、黒川検事総長が誕生したあとでは、「だまされた」では逃げきれない。いまなら、「黒川を推薦した法務省が悪い、法相が悪い、他の人が悪い、ぼくちゃん、何もしていない」と強引に逃げきることができる。実際、安倍が責任を菅に押しつけようとしていることは、すでに23日の読売新聞に書かれている。
 黒川の処分についても、安倍が決めることなのに、「稲田が決めた」とうそをついて批判をかわそうとしている。
 そして。
 そういう「世論操作」の結果として、毎日新聞の「世論調査」がある。「世論」の注目は黒川の処分「訓告」が妥当かどうかというところに向かっていて、なぜ逮捕しないのだ、逮捕しろというところへは集中しきれていない。
 ツイッターデモの批判の対象であった「検察庁法改正」問題は、影が薄くなっている。安倍が何をもくろんでいたか、という追及が弱くなっている。読売新聞が「世論反発」というスクープを書いていなければ、少なくとも見出しで「世論反発」を早々とことばにしていなければ、「世論反発」はまだまだたまりつづけていたかもしれない。
 「世論の反発」がいったん爆発して、エネルギーが減ったのだ。
 安倍の支持率は27%に下がったが、まだ27%で踏みとどまっている。
 ここに、私は、大きな問題が残っていると考えている。「リーク」された情報にとびつくマスコミの危険を感じている。

 私は、これに似たスクープに、平成の天皇の「強制」生前退位(私は「強制」を補って考えている)があると考えている。2016年の参院選での自民大勝のあと、このまま安倍が憲法改正へ突っ走るのではないかという予測が流れた。その直後に、天皇の生前退位意向がスクープされた。(安倍寄りといわれた籾井NHKがスクープした。)
 このとき、ネットでは反安倍派(護憲派)のひとたちが「これで、改憲は遠ざかった。皇室典範の改正などがあるので、すぐには改憲できない」と歓喜の声を上げた。私はこういうことには懐疑的だった。い(籾井NHKがスクープしたのだから、安倍に不利な情報ではないはずだ、と思ったのだ。)その後実際に起きたのは、ビデオメッセージで、天皇が天皇自身のことばとして「天皇には政治的権能はない」を二度言わされるということであった。天皇は憲法について発言できないと二度言わされたのである。安倍に利用されたのである。
 世論の、安倍は改憲をもくろんでいる、警戒しないといけないという緊張が、あのとき一瞬ゆるんだのだ。今度のスクープも読売新聞であることを考慮に入れないといけない。きっと、何か目的があってスクープさせたのだ。
 今回の「事件」との天皇の虚勢生前退位共通項は、安倍批判を「ゆるませる」(安倍批判派の「ガス抜き」をさせる)ということである。あるいは、油断させる、である。
 平成の天皇の「強制生前退位」の一連の報道では、やはり読売新聞がとてもおもしろい情報を提供している。記憶で書くしかないのだが、皇室典範にもとづく会議のことを書いた記事があった。そのときの「席順」というのは皇室典範を読む限りでは「首相」は末席である。衆院議長や参院議長よりも下である。しかし、読売新聞は「イメージ写真」を掲載していて、安倍がいちばん上に大きく載っていた。安倍が主催しているイメージだ。それは安倍の欲望そのものを代弁している。
 今回の18日のスクープも、安倍を追い込んでいるようにみせかけながら、安倍を救っているように見える。社会部長の論文は、ほんらいなら法案が廃案になったとき(あるいは、どんなにはやくても見送りが決定したとき)に書かれる内容である。それを「見送り検討」の段階で「世論」と結びつけて書いている。「世論」を持ち上げている。
 読み方次第だが、読売新聞には、安倍の動き(裏工作?)を教えてくれる情報がたくさん書かれている。とてもおもしろいのだ。












#検察庁法改正に反対 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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フェイスブックに投稿すると、削除されてしまう。

2020-05-24 00:01:10 | 自民党憲法改正草案を読む
「毎日新聞」の「内閣支持率急落」のニュースをシェアする形で、フェイスブックで以下のような文章を書いた。
すると、投稿が即座に削除される。
二回、削除された。
だから、ここにも書いておく。。
https://mainichi.jp/articles/20200523/k00/00m/010/178000c?fbclid=IwAR0TyMw7uKh-uRwI5p6_lsKqQdI5cKD4UW5DSHYk6FGcp3xKWNtxcMdnNew

*********************************************************

質問の回答項目に「黒川は逮捕すべきだ」という選択肢はなかったのか。
これは、毎日新聞の「不手際」ではないか。

今回の検察庁法改正見送りは、ツイッターでもの効果という具合に語られているが、私は、もっと他の要素が関係していると思う。

週刊文春が黒川に接触し、賭けマージャンの事実を問い詰めている。
そのことを安倍に報告している。だから、安倍は法案を見送ったのだ。

もし法案が成立し、黒川検事総長が誕生し、そのあとで賭けマージャンが発覚したら、どうなっていたか。
安倍は任命責任を問われるだろう。
法務省、検察庁が「黒川総長」の人事案をもってきたと逃げるわけにはいかない。
そういうことを回避するために、安倍は、黒川を「とかげの尻尾切り」として切り捨てたのだ。
その「おわび」として退職金が出るように「訓告」にしたのだ。

非常に微妙な「時系列」の問題を含んでいるが、微妙だからこそ、マスコミは、そこを追及しないといけない。
安倍の逃げ道を残しておいてはいけない。

ある意味では、安倍は文春のスクープに助けられたのだ。
いまなら「黒川検事総長」も「定年延長」もなかったことにできる。
そして、そういう「世論誘導」がマスコミで行われている。
安倍は悪くない。黒川にこだわったのは菅だ、というような論調がマスコミに登場してきている。
それを見逃してはいけないと思う。
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Estoy loco por espana(番外篇62)Guillermo Peyorの作品

2020-05-23 23:00:52 | estoy loco por espana




Es esta una visio’n real?
Imposible.
Al menos no puedo ver esta "forma de naturaleza muerta" mientras pinto en el lienzo.
Sin embargo, en el momento en que veo la imagen, estoy convencido de que hay algo como esto.
Nunca lo he visto, pero se’ que es la verdad.
Aqui’ hay una misteriosa "aventura de a’ngulo de visio’n".

Y aqui’ esta’ la tranquilidad absoluta y la mu’sica escondida en la tranquilidad.
Hay certeza del color que se nego’ a moverse.

これは現実にありえる視覚か。
ありえない。
少なくとも、キャンバスに絵筆を走らせながら、この「静物の形」を見ることは、できない。
けれども、絵を見た瞬間、こうしたもののあり方があるということは納得できる。
見たことかないのに、「真実」だとわかる。
ここには、不思議な「視角の冒険」がある。

そして、ここには絶対的な静けさと、静けさに隠れた音楽がある。
動くことを拒否した色の確かさがある。

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こんなことにならなかった?

2020-05-23 09:08:56 | 自民党憲法改正草案を読む
こんなことにならなかった?
       自民党憲法改正草案を読む/番外359(情報の読み方)

 2020年05月23日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

「検事総長 辞めていれば」 検証/黒川氏辞職

 という見出しで、「黒川賭けマージャン引責辞職」の裏話が書いてある。
 読売新聞は、「こんなでたらめが起きている」と書きたいのか、稲田を批判したいのか、よくわからない。
 見出しのことばは、記事のここからとられている。

 「稲田氏がすんなり辞めてくれていれば、こんなことにならなかった」。政府高官の恨み節だ。

 1面、2面と連動した記事を要約して補足すると、今年夏に定年退職する稲田に政府は早期退職を迫った。2月に黒川は定年を迎える。夏まで稲田が検事総長をつづけると、黒川は検事総長になれない。稲田は4月に開かれる国際会議を自分の引退の花道と考えていたので、早期退職を断った。そのために、政府は黒川の定年を延長するという方法をとった。そこから問題がややこしくなった。みんな稲田が悪い、ということらしい。
 しかし。
 稲田がたとえば1月に退職し、黒田が検事総長になっていたら、どうなったのか。
 賭けマージャンの常習者が検事総長になっていたのだ。違法行為を取り締まる責任者が賭けマージャンという違法行為を常習者である、という事態が起きていたのだ。
 こっちの方が大問題だろう。
 黒川の賭けマージャンが発覚し、そのことによって検事総長が賭けマージャンの常習者である大不祥事が避けられたのである。
 政府高官が誰であるか知らないが、政府にとっても、検察にとっても、「最悪の事態」は回避できたのだ。(もちろん、国民にとっても、である。)安倍や政府高官、検察は、むしろ、週刊文春のスクープに感謝すべきだろう。

 しかし、それにしても読売新聞の記事は奇妙だ。

 「菅さんが『やった方がいい』と言っている。仕方がない」

 という安倍のぼやきを書き出しにして、記事が始まっている。一連の問題の発端が菅であり、安倍は関与していない、といいたいのだ。
 記事のつづき。

 黒川氏を高く評価していたのが、菅(略)だ。首相官邸は黒川氏の定年(略)を前に稲田伸夫・検事総長が辞任し、黒川氏が後任に就くシナリオを描いていた。だが、稲田氏が辞任を拒んだために、官邸は法解釈変更で慰霊の定年延長に踏み切り、泥沼にはまっていく。この間、首相が指導力を発揮することはなかった。

 菅や他の人物が画策したが、安倍は何もしなかった。「ぼくちゃん、何も知らない」を読売新聞は追認している。安倍は悪くない、と。
 しかし、「首相官邸」とは「人物」ではない。「首相」官邸の「首相」は安倍である。なぜ、安倍は「指導力を発揮することはなかった」ですむのか。だれが「主導力」をもっていたのか、菅なのか。菅は安倍よりを、権力の上に存在するのか。

 これは、「とかげの尻尾切り」を繰り返すことで保身を図ってきた安倍が、いま、菅を「尻尾」として切り落とそうとしているということを「暗示」しているのか。
 よくわからない。
 しかし、安倍の「ぼくちゃん、悪くない。悪いのは、みんな他人」という姿勢は、これ以外の記事からもはっきり読み取ることができる。
 同じ1面に、

黒川氏が辞職 首相陳謝/後任検事総長、林氏で調整

 という記事の最後の部分。

 野党は、黒川氏への訓告処分を見直し、懲戒処分とするよう求めた。首相は「検事総長が事案の内容、諸般の事情を考慮し、処分を行った」と説明するにとどめた。

 処分は稲田が決定したことで、安倍は関与していない。そう主張している。きのうのブログで、私は、処分は稲田がした(稲田にさせた)と書き、そうすることで稲田追放をすすめるつもりなのだろうということを書いた。しかし、「事実」は違った。私は検事長の処分がどのように行われるか知らなかったが(多くの国民も知らないと思うが)、東京新聞(電子版)によると、処分決定は稲田がしたのではない。
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020052201002195.html?fbclid=IwAR3MgC2yrX6fHdD2dgIyH4e24M2aQ3PmtU-nHiwWpZjd7Q0imOlJLQwf75Q

辞職した東京高検の黒川弘務検事長(63)に対する「訓告」処分を決めた過程について、安倍晋三首相と森雅子法相との間で、説明が大きく食い違っている。森氏は、内閣と法務省が実質的に決めたと説明。これに対し、首相は「検事総長が事情を考慮し、処分を行ったと承知している」と強調した。法務・検察内からは「首相の説明がおかしい」との声が上がっており、「軽い」と批判される訓告を巡り、首相答弁に疑義が出た。
 検事長は、内閣が任命し、天皇が認証する「認証官」だ。任命権者は内閣で、その首長は安倍首相。国家公務員法では、懲戒処分は任命権者が行うと規定している。(共同)

 処分は安倍がしたのだ。安倍が自分で「訓告」という軽い処分にしながら、その処分の判断の責任を稲田に押しつけている。
 だいたい、稲田が「訓告にしたい」と言ってきたとしても、「賭けマージャンをやっていた検事長が訓告では軽すぎる。国民が許さない」と突き返すのが首相の仕事だろう。そうしないのは、黒川をかばうためである。さらに、黒川をかばうことで、黒川と安倍の間にある「知られたくない関係」の口封じをしているのだろう。
 黒川の定年延長、次期検事総長にしようという計画に安倍がぜんぜん関与していないのだとしたら、黒川処分を厳しくした方が、安倍の「評価」は上がるだろう。
 一連の問題の「責任」を菅に押しつけ、同時に、黒川もかばう。黒川をかばうことで、「ぼくちゃん、いつでも黒川の味方だよ」と恩を売っているのだろう。そして、その「見返り」を期待しているのだろう。

 読売新聞には、まだ、驚くべき記事が載っている。26面。

黒川検事長/賭けマージャン3年前から/法務省調査「レート、高額とは言えず」

 これは、何を言いたいのだろうか。「3年前から」は事実だろう。確認できるだけで「3年前から」ということであって、それ以前はしていなかったかどうか、それはわからない。どこで読んだのか明確ではないが(たぶん朝日新聞だったと思う)、朝日の社員は「月に2、3回」のペースで賭けマージャンをしていたという。完全なる「常習賭博」である。しかし、

 川原隆司法刑事局長は、賭けマージャンのレートについて「社会の実情から必ずしも高額とは言えない」と説明。黒川氏は賭けマージャンを繰り返していたが、常習性についても「認められない」とした。

 これは、川原を批判するための(こんなデタラメを言っている、と批判するための)記事なのか、それとも黒川を擁護するための記事なのか。私には判断しかねる。しかし、刑事局長がそういうのなら、一般の人が月に2、3回万単位の金が動く賭けマージャンをしても問題がないということになる。検事長が「訓告」なら、市民は「注意」だね。「今日がはじめてです、ごめんなさい」と言えば、なかったことにしてもらえるかな? 少なくとも、逮捕はされないなあ。黒川が逮捕されていないのだから。

 こんなことでいいのかな?
 安倍は、賭けマージャンを取り締まるのは警察の仕事。市民が賭けマージャンをしようが、レートがいくらだろうが、それを取り締まるかどうか、「ぼくちゃん、関係ない。ぼくちゃん、何も悪いことをしていない」と、ここでも言うだろうなあ。
 しかし、ほんとに安倍に責任がないのか。安倍が、黒川の賭けマージャンを「訓告処分でいい」と言うから、こういうことが起きるのだ。直接関与していなくても、これから起きることに対して安倍には責任があるのだ。
 安倍は、きっと「ぼくちゃん、何も悪いことをしていないのに、どうしてこうなったんだろう」と思っているのかもしれないが、「こうなった」のはすべて安倍の責任である。その自覚が完全に欠如している。
 繰り返しておくが、「稲田氏がすんなり辞めてくれていれば、こんなことにならなかった」のではなく、稲田が辞めなかったから、賭けマージャン常習者の黒川が検事総長にならずにすんでいるのである。
 「こんなことにならなかった」には、これからもっとたいへんなことが起きる、どうしよう、という不安が隠されているのかもしれないが。もしそうなら、この政府高官は、自分の身の上が心配でたまらない「正直者」ということになるが。











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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(56)

2020-05-22 10:33:54 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
「初期詩篇」から

* (匂い 距離のために凋みはじめる)

形  時間に影をたべられる
己  円周のないむなしい歴史

 「己」を「巳(み、へび)」と読んでみたい衝動に襲われる。
 蛇が尾を噛むと「円」になる。蛇がどぐろを巻けば、そこに「円」があらわれる。しかし、それはいつでも完全なものではない。「むなしい」がつきまとう。

 私は小学生のころ、どぐろを巻いた蛇を、気づかずに踏みつけたことがある。裏の池のそばだった。蛇はどぐろを解いて、私の足をのぼり始める。私はとっさに足を池に突っ込んだ。蛇はさーっと解けて、水の上を泳いでいった。夢のようなできごとだが、夢にしてはあまりにも鮮やかすぎる。そのときの、ほどけていった「円周」というものを思い出すのである。











*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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黒川余波/姑息の極み

2020-05-22 09:53:52 | 自民党憲法改正草案を読む
黒川余波/姑息の極み
       自民党憲法改正草案を読む/番外358(情報の読み方)

 2020年05月22日の読売新聞(西部版・14版)の2面。

定年引き上げ再検討/国家公務員法改正 首相、廃案も視野

 国会で議論を呼んだのは、黒川に関する「検察法改正」、とりわけ定年延長に関する「特例」である。これを「国家公務員法改正」とひとくくりにして審議したから問題がややこしくなった。
 安倍の狙いの、黒川がらみの「検察法改正」が、黒川の辞任で「意味」をもたなくなったので、国家公務員法の改正も取りやめ。これは、あまりにも「正直」すぎる反応だが、ただの「正直」ではない。
 別の狙いがある。

 国家公務員法改正案が成立しなければ、国に準拠する地方公務員の定年引き上げも据え置きになる。立憲民主党の支持団体である自治労などの反発を招きそうだ。

 読売新聞は、自治労の反発が自民党に向かうかのように書いているが、わざわざ「立憲民主党の支持団体である自治労」と書いているのは、自治労が立憲民主党を批判するよう誘っているのである。立憲民主党が「国家公務員法改正+検察庁法改正」に反対したから定年延長が実現できなかった。なぜ反対したのだ、と言わせたいのだ。言い直すと、そういう不満をあおって、自治労が立憲民主党を支持しないように仕向けたいのだ。一種の嫌がらせである。現場で働いている国家公務員のこと、さらには地方自治体の公務員のことなど、何も考えていない。立憲民主党と自治体の労組団体を対立させて、憂さ晴らしをしているのだ。
 やっていることが、あまりにも「姑息」である。

 安倍のやっていることは、全部「姑息」なのだ。
 「布マスク2枚配れば、国民の不満はおさまる」と考えるばからしさはわきにおくとしても、桜を見る会前夜祭の「5000円パーティー」も、買収なのに、買収にならないようにみせかけるために「5000円の会費」を集める。(ほんとうに集めたかどうかは知らない。)「姑息」というのは、「裏に別のものが動いている。そして、その裏の動きの方がほんとうの狙い」ということだ。

 黒川の定年延長そのものが黒川の「検事としての正義感(倫理観)」を評価してのものではない。安倍に便宜を図ってくれることを願っての定年延長だった。
 で、その黒川が賭けマージャンが発覚して、辞任した。
 ここからがまた「姑息」の連続である。
 黒川の処分は、「訓告」である。これは懲戒ではない。もちろん「処分」を決めるのは安倍ではなく、法務省であり、検察庁だが、ここに「姑息」が入り込む余地がある。どうしたって、なぜ「訓告」なのだ、おかしいじゃないか。訓告処分を出し、辞任させ、それでおしまいではなく、きちんと捜査し、犯罪の有無を立証し(もちろん無罪ということもありうるかもしれないが、きちんと逮捕、起訴、判決という手順を踏んで)、そのうえで処分すべきだという声が出るだろう。
 安倍が待っているのは、そういう「他人の声」である。(国家公務員法改正の見送りで、自治労が立憲民主党を批判するというような、安倍と直接関係のないひとからの声である。)そういう声は、処分を決裁した稲田検事総長に向かうだろう。検察は検察に対して甘い、許せないという声が起きるだろう。それは当然、稲田の辞任要求につながっていく。
 読売新聞には書いていないが、毎日新聞によれば、安倍は稲田の監督責任を問題にしているらしい。部下(検事長)の犯罪は検事総長の責任である、という論理だ。
 もっともらしく聞こえるが、それでは法相の責任は? 法相を任命した安倍の責任は? そういうことは問わない。「ぼくちゃんは、森を法相に任命したけれど、ぼくちゃんは法務省の責任者ではない。ぼくちゃん、何もしていない。検察庁の不祥事は検察庁の責任。ぼくちゃん、何もしていない」。
 安倍の狙いは、黒川の検事総長への起用というよりも、稲田の追い出しにあったのだ。ほんとうにいま検察のトップが交代すると困るような重大事件をかかえているなら、黒川の定年を延長するのではなく、稲田の定年を延長するという方法もとることができる。しかし、安倍が選んだのは黒川なのだ。つまり、稲田の追放なのだ。
 いま、安倍は、稲田を追放するために、「黒川に対する甘い処分」を利用しようとしている。こういうことを「姑息」と呼ぶ。こそこそとした「裏工作」を「姑息」と、私は呼ぶ。

 いや、問題は、もっと複雑な「姑息」(裏工作)とも見ることができる。
 河井への1億5000万円の選挙資金。それをつかっての選挙違反が問題になっている。どうも河井の逮捕にまで発展しそうな感じだ。そうすると、1億5000万円の決済も問題になるだろう。安倍にまで捜査が及ぶだろう。それを、どう回避するか。
 黒川の定年延長(検事総長への起用)の狙いは、それを封じることにあったかもしれない。しかし、河井逮捕が避けられないとわかったので、黒川を捨てゴマにして、追及を乗り切ろうとしているのかもしれない。黒川の賭けマージャンを発覚させ、黒川への監督責任を稲田にとらせる。河井事件がどう進展しようと、安倍には、黒川はつかいやすい「道具」だったということだろう。いまは、河井事件から「目をそらせる」ための道具にし、さらには河井事件を捜査している広島地検の動きを支持しているかもしれない稲田を追い出すための道具にもしようとしている。
 
 ここでまたコロナにもどるのだが、安倍のやっていることは、場当たり的な、その場しのぎの「対策」でしかない。「その場」を乗り切れさえすればいいと考えている。だから、口からでまかせが言えるのだ。
 アベノマスクもそうだが、10万円の給付金も同じ。30万円がほとんどの人には支給されないとわかると全員10万円に切り換える。しかし支給方法が確立されていないので、ほとんどの人はまだ受け取っていない。その場の批判をかわすだけのための政策をやっているだけである。
 場当たり政策のために、検察まで、がたがたにされてしまうのだ。

 検察の信頼は、河井逮捕、安倍逮捕へと進まない限りは、絶対に回復できないだろう。安倍を逮捕しない限りは、だれが検事総長になろうが、「どうせ安倍の言いなり」と見られてしまう。
 これは検察の責任であると同時に、また安倍の責任でもある。安倍が、検察の信頼が失墜するようなことを、検察にさせているのである。
 森友学園にしろ(財務省職員の自殺にしろ)、加計学園にしろ、桜を見る会にしろ、安倍が「無関係」というのなら、きちんと捜査させ、起訴させ、「無関係」を司法の場で証明させればいい。すべてのことが、法にのっとり適切におこなわれているなら、やっていることをすべて公開すればそれですむ。
 安倍は自分にとって不都合なことは隠す。そして、自分にとって不都合をことを捜査する検察庁を拒否する。そういう「姑息」な方法で生き抜こうとしている。









#検察庁法改正に反対 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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Estoy loco por espana(番外篇61)Joaquinの作品 Serie constructivista A

2020-05-21 10:11:11 | estoy loco por espana


Joaquinの作品 Serie constructivista A

Como la imagen de las escaleras de Escher.
Se ven diferentes dependiendo del a’ngulo que mires, pero se ven “iguales”, aunque deberi’an ser “diferentes”.
Seguramente hay un problema abstracto escondido en nuestra percepcio’n / memoria.

Todavi’a no puedo escribir mi propia respuesta.
Seguire’ pensando


エッシャーの階段の絵のよう。
見る角度で姿が違うけれど、「違う」はずなのに「同じ」に見える。
きっと私たちの知覚/記憶に関係する抽象的な問題が、ここに隠れている。

私は、まだ、自分自身の答えを書かない。
私は、これから考え続ける。

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黒川賭けマージャン

2020-05-21 06:21:57 | 自民党憲法改正草案を読む
黒川賭けマージャン
       自民党憲法改正草案を読む/番外357(情報の読み方)

 2020年05月21日の読売新聞(西部版・14版)の1面。トップではなく、3番手の見出しに、 

黒川検事長 辞任の意向/緊急事態中 マージャン報道

 週刊文春の報道を踏まえた「事実」なのだろうが、私は「緊急事態中」に首をかしげた。視点が「矮小化」されている。「定年延長後(定年延長期間中)」にしないといけないと思う。2月で定年退職のはずだったのに、安倍の意向で6か月(半端じゃない?)延長した。さらに、その「定年延長」が切れる8月には「検事総長」になるレールが敷かれている。いわば今後の生活を安倍が保障してくれるとわかったときに、賭けマージャンをした、ということだと思う。
 マージャンしながら、どんな話をするのか知らないが、きっと「緊急事態で自粛なんて、つまらない。いままで何してた?」ということではなく、「黒川さん、もうすぐ検事総長ですね、すごいですねえ。これからもよろしく」というような話をするのではないのか。私は何でも具体的に考えないと気がすまないので、そう思うのだ。
 新型コロナへの警戒(恐怖心)は、どこにもない。気が緩んでいるのは、安倍が用意してくれた「検事総長」の椅子のせいなのだ。

 不思議に思うのは。

 ここ数日のことだが、前川が「黒川が辞任しないのは、安倍に何か弱みをにぎられているのではないのか」というような発言をしたことがネットでしきりに流布したことである。前川は、どこかで「黒川の弱み」を聞いたのではないのか。
 そして、そうであるなら、さらに不思議なのは。
 前川の風俗店通いを調べ、読売新聞にリークした「内閣情報調査室」が黒川の「賭けマージャン」を知らないと考えることはできない。だいたい、検事長(未来の検事総長)の賭けマージャンが露顕すれば、追及されるのは明らかだ。そんな明快すぎる「弱み」ではなく、もっと根深い秘密があって、それを安倍が支配できるという類のものだという気がする。今回の賭けマージャンは、「マージャンはしていたが、賭けてはいない」と口裏をあわせようとすればあわせられる類のものだ。マスコミ関係者と検事長の「癒着」は職業倫理としてどうなのか、と問われるかもしれないが。
 何か違う気がするなあ。
 もっと、何かあるんじゃないかなあ、と私は疑う。

 これに関連して。
 菅は「法務省で適切に対応する」と調査や処分を法務省に丸投げしたことが気になる。つい先日、安倍は、桜井との対談で「黒川の人事は法務省が持ってきたもので、安倍自身は詳細は知らない」と言っている。
 「ぼくちゃん、悪いことは何もしていない。もし問題があったら、それは法務省のせいだ」
 菅のことばは、この安倍の言い分を踏襲したものだ。

 なぜ、黒川を「次期検事総長」にしようとしたのか。そのことを隠すために、いま黒川切り捨て作戦が始まったと読まなければならないのかもしれない。
 安倍がにぎっている「黒川の弱み」とは、同時に「安倍・菅の弱み」そのものでもあるはずだ。「同じ穴のむじな」であるはずだ。
 佐川の場合は、うまくいったみたいだが、黒川の場合はどうか。
 賭けマージャンをキーワードにした黒川の「背後」には、マスコミ関係者だけしか存在しないのだろうか。そういうことも気になる。

 これは、まあ、安倍が、なぜ黒川にこだわったかということにもつながる。安倍自身や、安倍の「お友達」が「清廉潔白」であるなら、誰が検事総長になろうが、気にならないと思う。
 よくわからないが、よくわからないことは、よくわからないと書いておこう。
 わかっていることだけを書くために、ことばがあるのではない。わからないことをこそ書き留めるためにことばはある。

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(56)

2020-05-20 12:24:22 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (何を忘れたのか)

手足 枝葉を切り取って小さく小さくして呑みこむ

 「忘れた」と「手足」を「呑みこむ」の関係がよくわからない。さらに何かを忘れてしまいそうだ。「忘れる」ということが目的なのかもしれない。
 「忘れる」という動詞を思い浮かべるとき、「細部(枝葉)」と「大筋」の関係もおもしろい。「細部」は思い出せるのに、それはなんだったのかわからないときがある。きっと「細部」こそが、大切な「詩」なのだ。











*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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検察庁法案・特例法案の隠れた意味

2020-05-19 15:32:26 | 自民党憲法改正草案を読む
検察庁法案・特例法案の隠れた意味
       自民党憲法改正草案を読む/番外356(情報の読み方)

 2020年05月19日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

検察庁法案 今国会見送り/政府・与党 「定年特例」反発受け

 という見出しがある。
 読売新聞は「定年特例」を見出しにとって、ここに問題がある、と指摘している。特例というのは、

内閣か法相が必要と認めた場合、幹部の定年を最長で3年延長できる

 というものである。
 なぜ、安倍はそれにこだわるのか。安倍の「総裁」任期は来年(2021年)秋で切れる。本来なら安倍は、改正法が施行される「2022年」には首相ではない。さらに検事総長の定年を3年延ばした「2025年」には首相であるはずがない。自分が首相でないなら、たぶん、わざわざ法改正までして、検察を思いのままに動かしたいとは思わないだろう。とくに、これだけ国民の反発を買っているのなら、「将来の政権」のためにそんなことをする必要はないだろう。
 だから、ここからは逆に考えていかないといけないのだ。
 新しい検察庁法を2022年から施行し、そのとき「検事総長」であるだろう黒川を、さらに定年延長で3年伸ばす。2025年も安倍は「総裁/首相」でいるつもりなのだ。総裁の任期(3年)を目安にしていうと3期の期限は2021年、4期は2024年、5期は2027年。安倍は、絶対に2027年までは「総裁/首相」をつづけるのだ。
 そして、安倍がこだわっている2025年には何があるか。「2024年」までではダメな理由はどこにあるのか。
 2025年には悠仁は2006年生まれの悠仁は19歳。2022年からは「成人」は「18歳」に引き下げられるから、すでに「成人」である。ここがポイントなのだ。
 私は、2016年の「平成の天皇の強制生前退位」のときから言い続けているのだが、安倍の狙いは、悠仁を天皇にすること、悠仁天皇の「生みの親」として名前を残すことである。すでに平成の天皇は強制的に退位させることに成功した。平成の天皇を沈黙させることに成功し、いまの天皇についても2012年の自民党憲法改正案にある天皇の「象徴」に関する定義を語らせることに成功している。あとはいまの天皇をやはり強制的に退位させ、次の天皇を誕生させる。秋篠はいまの天皇とおなじような年代だから交代させても「新鮮味」はない。新しい時代を印象づけるなら悠仁にまで若返りさせる必要がある。悠仁が「成人」ならば、その「成人祝い」をかねて天皇にしてしまえば、時代が変わったという印象は「令和」のとき以上だろう。「名目」なら、あとからいろいろ考え出すことができる(捏造できる)。
 2024年になるか、2025年になるのか、そこまでは予測できないが、ともかくそのころ、「悠仁天皇」が誕生する。誕生させる。そのとき、安倍は「首相」でいたい。そのために画策しているのだ。

 私の書いていることは「妄想」だろう。「妄想」であってほしいと私も願っているが(言い換えると、一日も早く安倍を首相から引き下ろし、逮捕するということが必要だと考えているが)、安倍のやっていることは、一日も長く(すくなくとも2025年までは)首相でいるということを狙って、検察庁の人事を支配しようとしている。
 黒川が「検事総長」になっても、いまの法令のままでは2022年には「定年」になってしまう。2022年では悠仁が「成人」していない。どうしても2025年まで、安倍は逮捕されるというようなことがあってはならないのだ。だからこそ、「3年」も定年を延長できるようにするのである。「1年」「2年」ではない。「3年」に意味がある。つまり「2025年」という区切りにこそ、意味がある。
 黒川の「検事長」の定年が「1年」ではなく「半年(6か月)」の延長だったのはなぜか。6か月伸ばせば、その間に、いまの検事総長が定年になる。その後任に黒川をもぐりこませることができるからだ。
 もし、いま検察が重大な「事件」をかかえているのだとしたら、黒川の定年を延長したように、稲田の定年を延長すればいいだけである。稲田の定年を延長せずに、黒田をその後任に滑り込ませようとした。そこに「意味」があるなら、その黒田を2025年までは検事総長にしつづけるということにも意味があるはずである。
 そして、その2025年までに確実に起きることは、悠仁が「成人する」ということだけである。

 2016年に、NHKが「天皇生前退位」をスクープした。ニュース元は、まだ明らかにされていない。いろいろな説があるが、私は安倍サイドからリークされたものだと確信している。なぜか。皇后が、皇后の誕生日に「生前退位」ということばに胸を痛めたと訴えたが、天皇側(宮内庁側)からなら「生前退位」ということばは出てこない。「譲位」しかない。「生前退位」というような冷たいことばは天皇を敵視している人からしか出てこない。NHKがこんな冷たいことばをそのままつかったのは、それが「権威(権力)」の側から出てきたことばだから、ことばが適切かどうか疑うこともなく、そのままつかってしまったのだ。そして、皇后がそのことについて触れたために、その後マスコミは「生前退位」ではなく「退位」というようになった。「権力がリークした」という痕跡を隠すためである。
 ことばを「抽象的」(論理的)に追いかけるだけではなく、「ことば」には必ず「使用者」(言い出した人)がいることをみつめる必要がある。「2025年」に安倍がこだわるなら、その2025年とはどういう年なのか、その前後に何があるか、それを具体的に結びつけて考えてみる必要がある。
 安倍が狙っているのは、単なる「安倍独裁」ではなく、天皇(制度)を利用した独裁である。天皇を安倍はいつでも利用している。安倍の祖父の岸や東条英機ができなかったことを安倍はもくろんでいる。そして、それを支える勢力がいる。







#検察庁法改正に反対 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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Estoy loco por espana(番外篇60)Joaquinの作品。

2020-05-19 09:37:03 | estoy loco por espana


El trabajo de Joaqui’n.

El ritmo de desconexio’n y conexio’n.
Es pesado en lugar de ligero.
Otros escultores pueden expresar un ritmo ma’s ligero.
O puede expresar un ritmo ma’s agudo.
El ritmo de Joaqui’n es un poco diferente del refinamiento artificial.
Natural y fisico. Es un ritmo ca’lido. Siento la voluntad de seguir viviendo.
En otras palabras.
Los humanos tropiezan y continu’an caminando incluso si tropiezan.

Joaquinの作品。

切断と接続のリズム。
軽やかというよりも、重い。
他の彫刻家なら、もっと軽いリズムを表現するかもしれない。
あるいはもっと鋭いリズムを表現するかもしれない。
ホアキンのリズムは、人工的な洗練とは、少し違う。
自然で、肉体的だ。温かいリズムだ。これからまだまだ生きていく、という意思を感じさせる。
言い換えると。
人間はつまずいてもつまずいても立ち上がり歩き続ける。
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将来の政権?

2020-05-18 09:11:34 | 自民党憲法改正草案を読む
将来の政権?
       自民党憲法改正草案を読む/番外355(情報の読み方)

 2020年05月18日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

検察庁法案 見送り検討/今国会 世論反発に配慮/政府・与党 近く最終判断

 という見出し。
 この見出しで注目すべきなのは「今国会」ということばである。今国会は見送る、ということを検討する。
 これと関係するのだが、このニュースにつづいて、

検察の独立 守れるか 東京本社社会部長 恒次徹

 という署名記事が載っている。「法改正」の問題なのに、なぜ、社会部長? 「見送り検討」というニュースをつかんできたのが社会部の記者だから? 「世論」に詳しいから? いろいろ疑問に思うのだが、90行近い記事に書いてあることは、見出しどおりのこと。すでに語り尽くされてきたこと、わざわざ社会部長が書くようなことなのか、と思ったら。
 こんな部分がある。

 (法改正によって)政権と検察の適切な距離感やバランスを崩す可能性がある。将来の政権が、検察を人事を通じて操ろうという誘惑に駆られないだろうか。不安はつきない。

 ここは「違う」だろう。
 いま「検察庁法案改正」が世論の反発を浴びているのは、「将来の政権」が人事を通じて検察を操るということが起きるかもしれないという不安からではない。いまの政権(安倍)が人事を通じて検察を操ろうとしている、と感じられるからだ。
 安倍が問題なのだ。
 安倍はすでに、黒川の定年を延長するということをやっている。これも「人事」である。安倍は、黒川を通じて検察を操ろうとしている。多くの人がそれを感じている。
 繰り返すが、安倍が問題なのだ。
 この「安倍の問題」を「将来の政権」の問題であるかのように書いているところに、「忖度」そのものを私は感じてしまう。
 そして、この「将来の政権」ということばをキーワードにして、本記を読んでいくと、次のことばの「意味」が鮮明になる。

 改正法案は施行日を2022年4月1日と定めており、「秋の臨時国会でも間に合う」(政府関係者)との見方もある。

 「間に合う」というのは、何に間に合うのか。これを具体的に考えてみる必要がある。黒川が検事総長になる。黒川はいま63歳。2022年は65歳である。ふつうなら、黒川の検事総長に3年延長を適用できない。
 「間に合わない」。
 しかし、法案には「必要な施行期日を定めるものとすること」というただし書きがある。(このことを、読売新聞は書いていないが、「間に合う」という「ことば」のなかに、それが隠れている。)つまり、68歳まで検事総長をやらせるのに「間に合う」というのだ。
 なぜ、黒川に、そんなにこだわる?
 ここでもう一つ「間に合う」かどうかの問題がある。
 安倍の「総裁任期」は2021年9月である。ふつうに考えれば2022年は「安倍政権」ではなく「将来の政権」であるはずだ。しかし、安倍が「新しい解釈」によって「4選出馬」し、2021年以降も首相を務めたら? 2022年は「安倍政権下」である。
 ほら、「現実」が見えてきた。
 安倍は今後も政権に居すわり、「独裁」を強める。そのための方法として「黒川検事総長」を誕生させ、さらに今後8年にわたり「安倍-黒川」体制で、政権を維持するつもりなのだ。2022年どころの騒ぎではないのだ。2025年までを視野に入れているのだ。「安倍5選」が視野に入っているのだ。
 こういうことを「隠蔽する」ために、社会部長の「論文(?)」が書かれている。そこには、「現政権」ではなく「将来の政権」ということばが書かれている。「将来の政権」ということばをつかうことで、安倍の印象を消し、安倍の狙いを隠そうとしている。

 あるいは、「良心的」に読めば、「将来の政権」とか「間に合う」ということばを書くことで、いま起きていることの「背後」にあるものを、読者に気づかせようとしているのかもしれない。
 「安倍寄り」といわれる読売新聞の、記事の細部には、こういう情報が非常に多い。見出しだけ読んでいてもわからないが、一つの記事を別の記事と関係づけて、ことばが指し示している「実態」を探るように読むと、いろいろなことがわかる。

 補足しておくと、たとえば2月21日の記事には、黒川がらみで、こんなことが書いてある。

 次期検事総長の人選は、昨年末から官邸と法務省との間で水面下で進められた。同省から複数の候補者が提案されたが、安倍首相と菅官房長官は黒川氏が望ましいとの意向を示したという。(略)
 検事総長の在任期間は2年前後が多く、2018年7月に就任した現在の稲田伸夫検事総長(63)は今夏に「満期」を迎える。黒川氏は2月に定年退官し、7月に63歳となる林真琴・名古屋高検検事長(62)が後任に起用されるとの見方もあったが、政府の措置で黒川氏は検事総長への道が開けた。

 黒川が「検事総長」になる道を開いたのは「政府の措置」だと明確に書いてある。その「黒川検事総長」を黒川が68歳になるまで(今後5年)つとめさせる。その間、安倍が首相として居すわる、というのが「検察庁法案」の狙いなのである。
 その法案成立を「今国会」は見送る。しかし、秋の臨時国会には提出する。世論の反発がおさまるまで、いったん静かにするということなのだ。狙いは、ぜんぜん変わっていない。








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Estoy loco por espana(番外篇59)Joaquinの作品

2020-05-17 07:15:28 | estoy loco por espana


Joaquinの作品

El trabajo de Joaqui’n tiene una calidez misteriosa.
Probablemente este’ relacionado con el "grosor" del hierro.
Siento certeza (fuerza) en lugar de delicadeza.
Existe la certeza de que el cuerpo se acumula a medida que continu’a viviendo, en lugar de ser entrenado en dureza.
No es la belleza fi’sica del atleta, sino la belleza fi’sica del trabajador.
Es una belleza natural ma’s que una belleza artificial.

El hierro esta’ vivo.
El hierro continuara’ viviendo.
Hazme sentir ese tipo de cosas.

Joaquinの作品には、不思議な温かみがある。
それはたぶん、鉄の「厚さ」と関係がある。
繊細さというよりも、確かさ(強さ)というものを感じさせる。
鍛えられた強靱さではなく、生き続けることで肉体に蓄積される確かさのようなものがある。
アスリートの肉体の美しさではなく、労働者の肉体の美しさである。
人工的な美しさというよりも、自然な美しさである。

鉄が生きている。
鉄はこれからも生きていく。
そういうことを感じさせる。

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巨悪とは何か

2020-05-17 06:55:45 | 自民党憲法改正草案を読む
巨悪とは何か
       自民党憲法改正草案を読む/番外354(情報の読み方)

 検察庁法改正について考えるとき、「巨悪とは何か」というところから考えてみる必要がある。
 検察が闘った「巨悪」を思い浮かべるとき、私はロッキード事件を思い出す。米ロッキード社から、田中角栄らに巨額のわいろが支払われた。角栄は5億円を受け取り、受託収賄罪に問われた。国会証言のとき全日空の社長が、手が震えて署名に苦労した。

 この角栄と安倍を比較するとき、奇妙な違いが明るみに出る。

 「森友学園」事件のとき、安倍は、こんなようなことを言っている。「私が、だれかから金をもらったという証拠はない」。つまり、「収賄されていない」と。だから「罪はない」と。
 安倍にとっての「悪」とは「収賄」のことである。
 そして、実際、角栄が5億円を受け取るというような、「露骨な収賄(巨額な金を一回で受け取る)」は安倍の場合は、たしかに存在しないのかもしれない。企業からの「献金」も政治資金収支報告書に記載されているのかもしれない。(こまごまとした「隠れ献金/収賄」はあるかもしれないが。)
 安倍のやっていることは、むしろ逆の行為である。
 「安倍晋三記念小学校」をつくりたいという森友学園に対して便宜をはかる。土地を安く売る。これは「収賄」ではなく、むしろ「贈賄」である。土地を安く提供するだけではなく、安倍は100万円をおくってさえいる。「収賄」はしていない。
 「加計学園」も同じだ。獣医学部をつくりたいという「お友達」のために、それを認可する。これも「収賄」ではなく、「贈賄」の一種だ。
 「桜を見る会」は、もっと露骨だ。地元の有権者を招待し、安い金で飲み食いさせる。これは「収賄」ではなく「贈賄」だ。安倍は有権者から金を受け取っていない。さらに、ほかの招待者(芸能人)からも金を受け取っていない。逆に「国家予算」から、予算をオーバーする金を支出している。
 
 こういう一連のことは、安倍に言わせれば、「ぼくちゃん、何も悪いことをしていない。だって、金を受け取っていないんだもん」ということになる。「お金をばらまく(あるいは親切にする)と、みんながちやほやしてくれる。でも、ぼくちゃんはお金を受け取っていないから、何も悪くない」。
 すべてが、この構図なのだ。

 これは、たしかに「巨悪」というよりも「小さなこと」に見える。だが、だからこそ、問題なのだ。
 角栄は5億円を受け取る。しかし、角栄は、国家予算をつかって有権者を買収するというようなことはしていない。もし買収していたとしても、それは「身銭」で支払っているはずだ。5億円も「あぶく銭」を手にしたのだから、国家予算をつかうということなどしないだろう。
 ところが、安倍は、国家予算をつかって、「お友達」や有権者に対して便宜をはかる。ここにややこしい問題がある。
 さらに。
 学校をつくるというようなことは、社会的には決して悪いことではない。人を育てるだから。教育に投資するのだから。これが「ややこしさ」に拍車をかける。安倍がやっていることは、「社会にとって有益である」という見方が「成り立つ」のである。だから、安倍は「巨悪」ではない。土地代の値下げ、お友達のいるところに獣医学部をつくる、くらいは「ささいなことだ」と思われてしまう。

 だが、ここから「民主主義」がくずれてしまう。
 「基準」がなくなってしまう。政治は何を「基準」にしておこなわれるべきなのか。「法の公平さ」はどうなるのか、ということが見えにくくなる。「小さな不公平」が積み重なってしまう。
 安倍の「お友達」は得をするが、そうではない人は冷遇される。
 このいちばんの被害者は、安倍の「お友達」によってレイプされた女性である。そこでは金が動いていない。金が動かない悪は、悪とも認定されない。「お友達」は逮捕されない。女性はレイプされたのに、バッシングを受ける。
 安倍の周辺で「法」が正しく働かなくなる。
 安倍が「巨額のわいろを受け取る」というような「違法」をしなくても、周囲で小さな「違法」が積み重なっていく。それが社会全体を変えてしまう。安倍に逆らうと「損」をする。そういう風潮がひろがる。
 それは、たとえば安倍批判をすると、会社からにらまれる。左遷させられる、首を切られる。安倍を支持すると優遇される、というような形で展開する。社会が「安倍の意向」を伺いながら動き始める。

 検察庁法改正は、まさに、それを象徴している。
 松島みどりの公職選挙法違反、小渕優子の政治資金規正法違反、甘利明のURを巡る現金授受疑惑、下村博文氏の加計学園からの現金受領を巡る政治資金規正法違反、財務省幹部の森友学園を巡る公文書改ざん問題。これらをすべて「不起訴」にしたのは黒川である。いわば安倍の「お友達(側近?)」優遇した。その結果、黒川は「定年延長」を手に入れ、「検事総長」を手に入れようとしている。そして、安倍は、その黒川を利用して、公平であるべき法をねじまげ、安倍の「お友達」なら何をしてもいいという社会をつくろうとしている。
 いわば、「安倍のお友達だけでできた社会」をつくろうとしている。

 角栄は5億円を受け取った。金丸も巨額の金を受け取った。しかし、角栄も、金丸も「民主主義」や「法」そのものを破壊しなかった。実際、法が機能して、逮捕されている。
 安倍は、法を破壊し、民主主義を破壊しようとしている。
 「金を受け取っていないから、ぼくちゃん、悪いことをしていない」と言い張っている。これは「タチの悪い巨悪」である。
 安倍は、「タチが悪い」。
 他人の「タチの悪さ」を指摘するのはむずかしいが、そのむずかしいことを私たちは真剣にやらなければならない。「タチが悪いだけで、実質的な悪いことはしていない」と思ってはいけない。
 法の平等、民主主義を破壊することより悪い「巨悪」はない。「巨悪」の性質が、いま、大きく変質している。








#検察庁法改正に反対 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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Estoy loco por espana(番外篇58)Luis Serranoの写真

2020-05-16 11:20:21 | estoy loco por espana


Luis Serranoの写真

No se’ si este trabajo fue originalmente para mostrar sombras.
Las sombras cambian con la luz.
La impresio’n del trabajo cambia segu’n el a’ngulo de visio’n, pero la impresio’n de la sombra tambie’n cambia segu’n la posicio’n de visualizacio’n.
Tambie’n cambia segu’n el color de las paredes y el piso.
Con eso en mente, esta sombra se puede llamar el trabajo de Luis Serrano.
De hecho, el cambio de luz capturado en una fotografi’a es una obra.
Belleza meca’nica, tranquilidad meca’nica.
Musica meca’nica.
Incluso la "salida / entrada" que es visible en la distancia es hermosa.

もともと影をみせるための作品なのかどうかわからない。
しかし、影は光によって変わる。
作品もそうだが、影も見る位置によって印象が変わる。
壁や床の色合いによっても変わる。
そのことを考えると、この影はLuis Serranoの作品と呼ぶことができる。
実際に、写真がとらえた光の変化が作品なのだ。
機械的な美しさ、機械的な静けさ。
機械的な音楽。
遠くに見える「出口/入り口」までもが美しい。


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