詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(84)

2020-07-21 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくを疑うのか)

小児の掌ほどに世界が小さくなつて
ぼくの胸におさまるのだ

 これは願望だろうか。それとも絶望だろうか。
 「小児の掌」をどう読むか。純粋さと読むか、脆弱さと読むか。「小さくなる」は否定的なイメージをもつが、純粋さ(結晶)にもつながる。
 おそらく嵯峨は「願望」(希望)のようなものを書こうとしているのだと思う。多くの嵯峨の詩にあるのも、そういう「青春の夢/抒情」だからである。
 だからこそ、私は「絶望」と読んでみいたい気持ちに襲われる。「ぼくも絶望することがあるのだ/絶望を疑うのか」と叫んでいると読みたい気持ちになる。
 理由はない。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(83)

2020-07-20 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (海が近くなつて)

川はばが広がつている
そうなつても
空はつつみこめない

 「意味」がつかみにくい。
 「空は」何を包み込めないといっているか。あるいは、川はどんなに川幅を広げても、空を包み込めない、なのか。「空は」と書くのは、空を強調したいからか。
 こんなことを考えてしまうのは、「そうなつても」という一行があるからだろう。「そうなったら」ふつうは、できる。しかし「そうなっても」できない。ここには「論理」がある。しかし、その論理がみえない。だから、「わからない」と思ってしまう。
 死の最終行は、唐突である。

何かの大きな意志が拒むのだ

 「意思」が特定されないまま、「意思」として登場する。この唐突が「詩」である。



*

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服部誕『もうひとつの夏 もうひとつの夢』

2020-07-19 15:12:54 | その他(音楽、小説etc)
服部誕『もうひとつの夏 もうひとつの夢』(私家版、2020年06月30日発行)

 服部誕『もうひとつの夏 もうひとつの夢』は小学生の「良雄」の体験を描いている。六章で構成されている。その「第一話 紫色のビー玉」。ある日、銭湯へ行く。そこには入れ墨をした男がやってきている。

首から下は全部、入れ墨がしてあった。それは虎や龍のようだった。良雄はじっと見ておられずにすぐ目をそらした。(略)見てはいけないものを見てしまったように思えた。
(略)
 しぼった手拭いでバシバシとからだじゅうを叩きながら、ほりもんのおっちゃんは出ていった。それはまるでサーカスの猛獣使いのようだった。

 「猛獣使い」という比喩がおもしろい。男は、自分の肉体の中に潜む猛獣を、自在に再御していると良雄に見えたのか。男が猛獣に見えたけれど、男は人間なので「猛獣使い」という比喩になって、ことばがかってに動いたのか。ここに、詩があると思った。
 「小説」なので、文体がどうしてもそうなってしまうのかもしれないが、「見てはいけないものを見てしまったように思えた」の「思えた」は叙述のことばとして弱いと思う。「思えた(思う)」という動詞をつかわずに、こころが動いていることを書くと、描写が現実になって動き始めると思う。
 タイトルになっている紫色のビー玉は、後半に出てくる。友だちが引っ越していくこと何。その友だちからビー玉をもらう。

 もうすぐ家に着くというときに、良雄の抱えていた紙袋がふいにやぶれた。
 じゃらじゃらと路地中にすさまじい音を響かせながら、あっという間に地面に散らばった何百個のものビー玉は、良雄の家の玄関からもれる明かりをきらきらは反射させ、茜色にそまった夕空の下、まるで宝石の海のようにあたり一面に広がっていった。

 美しい描写だが、ことばの重複が多いと思う。「猛獣使い」のように、もっと刈り込めば、さらに印象的なことばになったと思う。
 小説は、この散らばっていくビー玉を追いかけるように、次々に思い出を追いかけていく。
 「第六話 蝋石の夢」には第一話に書かれていた「富士山のない銭湯」の話が、友人のことばの中に蘇るというおもしろい仕掛けもあって、全体をおさえている。

 忘れ去った夏の日々の記憶の扉をもういちど開けるのは、いつか見るかもしれない、もうひとつの夢のなかなのだ。

 この「末尾の二行」には、作者のいいたいことがきちんと書かれている。だが、きちんと書いてしまっていいのかどうかは、とてもむずかしい。
 第一話のおわりのように、自分の思いではなく、「もの」に何かを語らせた方が余韻が残るのと思う。







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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(82)

2020-07-19 09:27:22 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (私は小声で話した)

ガラスの小さな水差のフチが欠けているのを見ていた

 「話した」という動詞を引き継いで、「見ていた」という動詞が動く。
 「ガラスの小さな水差のフチが欠けている」でおわると、そこに「非情」が動く。人間の「情」を超えて、ものが存在する。ものにはそれぞれの「時間(物語)」があり、それは人間とは無関係に生きているということが「現実」として噴出してくる。
 この「非情」の噴出を「非情」のまま書き留めると「漢詩」になる。
 「見ていた」と「私」を主語とする動詞が引き継ぐと、世界は「情(抒情)」に収斂していく。
 嵯峨は、基本的に「抒情」の詩人だが、それは、こういう動詞の動かし方にあらわれている。



*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(81)

2020-07-18 18:41:15 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくにはそのぜんたいを埋めることはできなかつた)

ところどころでも桜草を植えてみた

 「そのぜんたい」の「その」は何を指しているか。この詩からはわからない。わかるのは、嵯峨が「その」と意識していることだけだ。
 「ぜんたい」に対しては「ところどころ」が向き合っている。
 「ところどころ」というのは離れた場所をあらわしているだろう。
 この「分断(非連続)」が「できなかった」ということばを強調しているように感じられる。



*

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岡部淳太郎「長い時間のくさはらにて」

2020-07-18 18:37:09 | 詩(雑誌・同人誌)
岡部淳太郎「長い時間のくさはらにて」(「エッセンス」18、2020年05月12日発行)

 詩をどこで「おわり」にするか、とてもむずかしい。
 岡部淳太郎「長い時間のくさはらにて」。

その前にたちどまればすべてが赦されてあるように思えた
長い歩行のすえにおとずれた長い時間のくさはらで
そこは昼も夜もなく
光も闇も ましてや罪
それに応じた報いなどというものが
あるわけもなかった
長い 長い時間だった
それを時間であると感じることもないような
長い時間のくさはらだって
そこではすべてがそよぐ
ただ沈黙のうちにあり
ただ風だけがなんどもわたり
しずかにうずくまることがあふれていた
ここが世界そのものであると
この長い時間のなかでなら
信じることができた

 どこで「おわる」べきか。
 「しずかにうずくまることがあふれていた」でおわってもいいかもしれない。「うずくまることがあふれていた」というのは不思議な表現であり、その不思議さのなかで時間をかかえてみたい気がする。「あふれる」が「長い」に通じるからだろうか。
 でも、その後の三行があるから詩は落ち着くのかもしれない。一行目の「思えた」が「信じることができた」に変わるまでの「長い時間」が納得できるものとしてあらわれてくる。
 でも、これでは中途半端? まだ書きたい?
 とてもむずかしい。
 二行目の末尾の「で」。これは思い切って捨てた方がいいかもしれない。その方が「くさはら」が見えてくる。「で」があると、どうしても「主役」がくさはらではなくなってしまう。
 そこからまた、どこで「おわる」か、という問題が始まる。「で」があると、「くさはら」でおわることができない。書かれていない「私」が登場しないことには、落ち着かなくなる。
 さて、どうします?








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エミリオ・エステベス監督「パブリック 図書館の奇跡」(★★★★★)

2020-07-18 12:25:05 | 映画
エミリオ・エステベス監督「パブリック 図書館の奇跡」(★★★★★)

監督 エミリオ・エステベス 出演 エミリオ・エステベス、アレック・ボールドウィン、クリスチャン・スレイター

 大作というのでもない。傑作というのでもない。けれど★5個をつけたくなる映画というものがある。このエミリオ・エステベス監督「パブリック 図書館の奇跡」が、それである。
 父親はマーティン・シーン、弟はチャーリー・シーン。ふたりに比べると「地味」だが、足が地についた「主張」がある。だから脚本も監督もやるのだろう。
 この映画でのエミリオ・エステベスの「主張」とは何か。
 ことばはだれのものか。必要としている人間のものだ、につきる。
 そして、この「必要としている人間のもの」はことばだけではなく、ほかのものにもあてはまる。音楽も美術も。この映画では「図書館」が「寒さを避けるための空間(室内)」として求めれている。この「求め方」はほんらいのあり方とは違う。違うけれど、そういうものが求められたとき、どう人間は対応できるか。自分の「肉体」をとうして「再現(実行)」できるか、それが、問われている。
 オハイオ州シンシナティ。寒波に襲われた街。行き場のないホームレスが「図書館」を占拠する。どう対応するか。それがテーマ。図書館は、ホームレスのシェルター(受け入れ場所)ではない。でも、追い出してしまうと、彼らは凍死する恐れがある。
 そのやりとりの過程で、エミリオ・エステベスが「怒りの葡萄」を引用する。
 ここで、私は涙が出てしまう。おさえきれない。しばらくはスクリーンが見えなくなってしまう。エミリオ・エステベスは、無意識のうちに「怒りの葡萄」のことばに支えられて生きてきた。何か言わなければならなくなったとき、そのことばを語る。それは彼のことばではない。けれど、それを口にしたとき、それはスタインベックのことばではなく、彼のことばなのだ。
 このとき、エミリオ・エステベスは、「一個の肉体(ひとりの人間)」なる。「ことば」ではなく「声」を生きる。ことばを「肉体」にしてしまう。
 このとき、そのことばは、それを聞いているホームレスのことばでもある。「声」にならない「声」が、いま、エミリオ・エステベスがスタインベックの「ことば」を生きることで「声」になり、共有されて、ホームレスの「肉体」のなかで動いている。
 ことばの共有は、最後にまた違った形で展開される。
 警官が突入することを知ったエミリオ・エステベスとホームレスたちは裸で逮捕されることを望む。無抵抗の象徴として裸になる。そのとき、エミリオ・エステベスが歌い始める。その歌をホームレス全員が歌う。音楽の共有だけれど、その音楽は、そのとき何よりも、ことばなのだ。いいたいことが、そのことばのなかにつまっている。他人の書いたことば(歌詞)だが、歌うとき、そのことばはホームレスの「声」となって彼らの「肉体」を結びつける。
 ことばはだれもが話すが、だれもが語れるわけではない。でも、語らないといけないときがある。自分でことばを組み立てる必要がある。だれにでもできるわけではない。そういうときは、知っていることばに頼る。覚えていることばに頼る。覚えているのは、そのことばが彼を支えてくれていたからである。ことばは、覚えられて、肉体になる。肉体になって「共有」が広がっていく。
 こういうことが、図書館を舞台に繰り広げられる。
 図書館はことば(情報)の宝庫だ。そこにやってくるひとたちは、「情報」を求めている。なかには、「実物大の地球儀はない?」というとんでもないものもあるが、世の中にはとんでもないものを「情報(ことば)」として求めている人もいるのだ。そういうものを図書館はもっていない、図書館にはない情報(ことば)もある。それを、どうやって獲得するか。その「答え」のひとつが、「怒りの葡萄」と「歌」によって表現されている。「共有」は図書館にはないのだ。共有できる「ことば(情報)」を提供できるが、「共有」そのものを提供できない。「提供」を獲得するとき、ことばも情報もかわっていく。そこから現実のドラマが始まる。「生きている」ということが始まる。
 ことばをあつかう仕事をしてきたこと、ことばを読んだり書いたりすることをつづけている私には、ひとつの「理想」を見る思いがする。そういうことも★5個の理由だな。
 それにしても、「交渉人」「テレビのレポーター」も組み合わせ、ことばの「共有」の問題を、ことばがいっぱいの図書館を舞台にして、ドラマにする脚本には細部に目配りがきいていて、エミリオ・エステベスの演技同様、浮ついたところがなく、とてもいいと思った。
              (KBCシネマ、スクリーン2、2020年07月18日)





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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(80)

2020-07-17 08:57:46 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (それが)

どこだと言うことはできない
散りかかつた花をかろうじて支えている小さな水差のように

 「どこ」と「水差」は同一ではない。「水差」は「どこ(場所)」ではない。だからこのことばの運動は「論理的」ではない。
 しかし「散りかかつた花をかろうじて支えている小さな水差」という存在は美しい。
 「散りかかつた花を支える」は「散らないように支える」という理解すべきなのだろうが、私は「散りかかる」「散っていくこと」を支えると読みたい。散らないように生きているのではなく、生きて、これから散っていく(死んでいく)という最後の運動を支えていると読みたくなる。
 私の読み方は「矛盾」している。散っていく(死んでいく)という運動を「支える」というのは「いのち/生きていく」に反している。
 しかし、詩は、いつでも矛盾したものの中にある。ありえないものが、ことばの運動として「存在する」瞬間に生まれる。それは一瞬だけ見えて、消えていく。



*

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閻連科『丁庄の夢』

2020-07-16 11:04:50 | その他(音楽、小説etc)


閻連科『丁庄の夢』(谷川毅=訳)(河出書房新社、2020年06月30日新装版発行)

 閻連科の文体は、私にとっては、まず「音」である。ことばが「音」そのものとして聞こえる。もちろん私は谷川毅の訳文(日本語)を読んでいるのだから、私の聞いている音は「原音」ではない。しかし、強烈な音が聞こえる。音が重なり合って、壮大な交響曲のように響く。そういう印象がある。そして、その音の強さの背後には、人情を無視した自然の非情さがある。非情と向き合うために、人間は「情」のかぎり、声を張り上げないといけない。『年月日』という短篇は、非情と向き合った人間が聞き取った自然の音も書かれていた。それは交響曲ではなく、あえていえばピアノのソロのような音楽だが、ピアニッシモの音さえも、宇宙の果てまで届くような強さを持っている。純粋なのだ。そういうことが伝わってくることばだ。
 今回読んだ『丁庄の夢』も強い音がぶつかりあっているが、新しい要素として「匂い」が加わった。これまでも「匂い」を書いているかもしれないが、私の記憶からは抜け落ちている。
 その匂いは、「血の匂い」だ。

地下に管が蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、その中を血が流れていた。きちんと接合されていない継ぎ目の隙間から、管の曲がったところから、血が水のように噴き出していて、空中高く飛び散り、どす黒い雨のように降り注ぎ、べっとりとした生臭い匂いが鼻をついた。さらに平原でも、祖父は井戸や川の水が真っ赤で生臭い血になってしまっているのを見た。

 そして、血の匂いはまた、死の匂いでもある。

口元から血が流れていた。口元だけではなく、鼻からも血が流れていた。血は何筋もの流れを作っていた。学校に死人の血の臭いが漂った。

 生きている「熱い血」の臭いではなく、死んだ血の生臭い臭い。
 しかし、そんな臭いを嗅ぎ取ってしまうのは、小説の舞台になっている村には、また違った臭いがあるからだ。

秋の夜の月のしかりの下で、荒れ地の枯れ草には白枯れた香りがあった。ほど近いところにある黄河古道には、焼いた砂に水をかけたような渇いた匂いがあった。それらの匂いが肯定に集まってきて漂っていた。その匂いで一杯になって、違った静けさが人々に染み渡っていった。馬香林の歌に様々な味わいがあるように。

 舞台は、ほんとうは美しい村なのだ。それは漢詩に出てくる「非情」に似た人間を超える美しい村なのだ。しかし、その村を舞台に、血を売るという商売がはじまり、エイズが蔓延していく。村人がつぎつぎに死んでいく。
 つまり。                   
 死んでいく人間の血は汚れ、その臭いは強烈だが、生きている人間の血は純粋に美しいかというとそうではない。病気におかされ瀕死の血があると同時に、別の人間の肉体のなかには死を食い物にして生き延びる非情な血がある。(人間もまた、あるいは人間こそ、非情の存在なのかもしれない。)
 それが次から次へと、血のぶつかり合い、臭い(臭い、香り)のぶつかり合いとして描かれる。
 そのなかには、病気におかされながら、その絶望の中から新しくいのちを獲得して燃え上がる血の臭いもある。エイズに感染し、連れ合いに捨てられたもの同士が、愛に燃え上がる。

叔父さんは(略)、熱病のできもの特有の臭いの他に、隠そうとしても隠せない若い娘の放つ匂い、まだ汚されたことのない清らかな味わい、結婚したばかりの娘の鮮烈な女の香りを感じ取っていた。

 二人の愛と生きることへの欲望は、結果的に、社会を変えていく。その瞬間が美しく描かれる。
 そして、その愛憎の境目に、また別の臭いがさしはさまれる。棺桶の臭い。棺桶をつくる木、切り出された木の真新しい臭い。それは木の血の臭いといえるかもしれないが。

漆黒の闇の中に、切ったばかりの木屑の新しく白く輝く香りが灯のある方から漂ってきた。香りは村の西から、南から、北から、東の横町から流れてきてまとまると一塊になり、揺らめいていた。

 情(人情)と自然の非情がぶつかり合い、それが人間の温かい情(人情)と残忍な欲望の対立を鮮烈にする。人間の非人情(残忍な欲望、他人の死を気にしないという人情)と自然の非情はまったく違うのだ。自然の非情は、悲劇を一瞬にして美に結晶させ、詩を生み出すが、人間の非人情が生み出す悲劇は詩にはならないのである。簡単にカタルシスを与えてくれないのである。
 だからこそ、引き込まれてしまう。

 しかし、閻連科は基本的に詩人なのだと思う。最後はいつも小説を読んだというよりも、詩を読んだような激烈な感情が噴出してくる。
 この小説のクライマックスは、小説の語り手である死んだ少年の父親を、祖父が殺す場面である。
 その最後の瞬間を読んだとき、私は、あっと叫んでしまった。

地面を染めた血は、春の野に花が咲いたようだった。

 非常に短い。その短さに、私はびっくりしたのだ。なぜというに、閻連科のことばの特徴は、ことばがことばを誘い出すように、何度も言い直されるところにあるからだ。
 たとえば、

死人は木の葉が落ちるように、火が消えるように死んでいった。墓掘り人はついでのように鍬を振るい穴を掘り、まるで死んだ犬や猫を埋める穴を掘っているかのようだった。悲しみもなく、泣き声もなかった。泣き声も悲しみも涸れた川のように音を立てることもなく、涙も灼熱の太陽の中に降る霧雨のように、地面に落ちる前に蒸発してしまった。

 という具合。「死人は木の葉が落ちるように、火が消えるように死んでいった」は、ふつうなら、「死人は木の葉が落ちるように死んでいった」か「死人は火が消えるように死んでいった」と書くだけだろう。(死と木の葉が結びついたイメージは「葉っぱが一枚落ちると人が一人いなくなった」というような具合に、この小説では何度も繰り返されている。)しかし、それだけでは気がすまずに、「犬猫を埋めるように」という描写があり、さらに「涸れた川」があり、最後に「灼熱の太陽と霧」の比喩がある。この、どこまでもつづくことばの暴走(?)のようなものが閻連科の特徴なのに、クライマックスでは、それが一行で断ち切られているのだ。
 それは、どうしてか。
 クライマックスの一行は、主人公の死んだ少年の声なのだ。
 それに対して、他の部分の饒舌ともいえる描写は、語り手の声であると同時に、その場を生きる人たちの声なのだ。一人の声ではなく、多数の(無数の)声。一人が声を発すると、それに刺戟されるようにして、別な一人が気づいたことを語り、それを引き継ぎ別の人が語る。集団で引き継がれる声。閻連科の小説が、どこか「民話風」というか、土着の声を感じさせるのは、自然の非情と向き合うと同時に、そういう「語り継がれた声」を含んでいるからだと思う。
 加速し、どこまでもどこまでも広がっていく文体の中に、クライマックスで主人公の声が単独で屹立する。だからこそ、それが激烈に響く。

 音の過剰、色の過剰。そして、この小説の臭い(臭い、香り)の過剰。閻連科の感覚は、世界を更新し、どこまでも広がっていく。こういう文体と同時代を生きるのは、たいへんなよろこびだ。



 私は中国語をまったく知らないのだが、小説の中に出てくる「嗅覚」の世界を、臭い、匂い、香りと訳し分けた谷川の文体にも感謝したい。世界は、ことばにしたがって明確になっていく。





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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(79)

2020-07-16 08:25:41 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (何も考えていなかつた)

松林のはづれの道を歩いていたことは記憶している

 松林の「真ん中」ではなく「はづれ」。中心から外れるということが「考えない」につながる。言い直すと「考える」とは中心を目指すことである。あるいは、ことばを「中心」にあつめること、ことばが散らばらないようにすることである。
 たしかに中心にあつまり、整然とした形をとることばは美しい。「考え(思想)」と呼ぶにふさわしいかもしれない。
 けれど、詩は、どうだろうか。
 爆発して、中心をなくして、どこまでも拡大(拡散)しつづけることばも、また、詩である。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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2020-07-15 09:06:04 | 現代詩講座
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(78)

2020-07-15 09:04:37 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (どこに頂上があり どこに麓があるか)

叫びばかりが
遠く近く山腹を廻りながら谺している

 このとき嵯峨は「山腹」にいるのか。
 具体的な「場所」を想定することがむずかしい。山腹さえも嵯峨は見ていない。どこが山腹なのか、わからない。頂上や麓と同じように「抽象」である。
 「谺」だけを認識している。しかも、その谺は「廻る」のである。
 これは「叫び」がだれにも届かない、だれのところにもたどりつかず、嵯峨のまわりを廻っているということだろう。
 これもまた抽象的な感傷である。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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大森立嗣監督「MOTHERマザー」(★★★★★)

2020-07-14 18:13:06 | 映画
大森立嗣監督「MOTHERマザー」(★★★★★)

監督 大森立嗣 出演 長澤まさみ、奥平大兼、阿部サダヲ

 予告編を見て、非常に気になった映画である。何が気になったかというと、カメラの演技が少ない。最近の映画は、訳者が演技していないものをカメラの切り取り方で演技にしてしまう。それが、どうも気に食わなかった。この映画は、そういう部分が少ない。カメラの枠のなかで、役者が充分に演技をしている。そして、その「肉体」がきちんと伝わってくる。
 唯一(?)、カメラが演技をするのは、長澤まさみが奥平大兼にすがりつき、「もうお母さんには修平しかいない」と泣くシーン。カメラは二人の全身から、奥平大兼の握りしめた拳へのアップへと動く。そのぎりぎりの抑制で震える拳に奥平大兼の感情があふれているのだが、ここはそのまま全身のままでとめておいてほしかった。奥平大兼が、長澤まさみから平手打ちされ、そのままぴくりとも動かない。顔は殴られたとき横に動き、斜め下を見ている。その動かない奥平大兼に長澤まさみがすがりつくのだが、そのままがいい。私の好みからいえば、もしカメラが演技をするのだとしても、それはアップではなく、むしろ引いてほしい。引いた画面の端に(離れたところで)、妹が遊んでいる姿が入ってきたら、私は泣いてしまっただろうなあ、と思った。
 長澤まさみは、私は初めて見たのだが、とてもよかった。子どもを育てる力がないのだが、「私の産んだ子ども、私の一部」という感じが、せりふだけではなく、肉体から発散されている。自分の肉体そのものだから、彼女自身が肉欲におぼれる自分を許すように(性交することによって、その後何が始まるのか、それから起きることを受け入れるように)、子どもの「肉体/精神」が傷ついていくことを許してしまう。「修平なら、こういうことを自分の肉体で乗り切ることができる」と信じている。そして、その「信じていること」が暴走して、奥平大兼に祖父母(長澤まさみにとっては両親)殺しをさせてしまう。このときの、ふたりの全身の演技はとても素晴らしい。(カメラは演技を放棄して、ただ「枠」に徹している。)殺人を押しつける方も、引き受ける方も、どうしていいかわからなくなっている。長澤まさみは「息子が殺人を侵しても、その肉体も精神も傷つかない、そういう力を持っているはずだ。私の子どもなのだから」と思っている。奥平大兼は「もし祖父母を殺さなければ、殺して金を手に入れなければ、母は肉体も精神も傷ついて死んでしまう」と思っている。いや、ふたりは思っているというよりも、思い込もうとしている。互いの思いを了解した上で、自分の肉体を動かす。「これは、私の肉体」。ふたりが、互いのことをそう思っている。精神の苦悩も「これは、私の苦悩」と思っている。私は便宜上わけて書いたが、ふたりは、それをわけることができないところにまで追い込まれている。この緊張感がすごい。
 ふたりには、結局何が起きたのかわからないのだと思う。わかることは、「私は息子が好き」「私は母が好き」ということだけなのだ。その「好き」のためにはいろいろなことができるのだけれど、その「いろいろ」を想像できない。「好き」という感情が強すぎて、他の人が「こうしたらいいのに」(親ならこうすべきだ/こどもならこう生きるべきだ)ということばを受け入れることができない。
 倫理や正義をもちだすと、この映画は、とんでもないものになってしまう。長澤まさみの行為も、奥平大兼の行為も、社会(良識)は決して受け入れることができない。しかし、良識を超越しているものが、この世にはあるのだ。「いのち」そのものが、すべてを超越しているだろう。ひとが死んでも、どこかしらないところで「いのち」そのものはつづいているのだから。
 ここから思うことは、たったひとつ。私の母は母の肉体を「分割」するように私を産み落としてくれた。「ひとり」として産んでくれた。そうであるなら、私はぜったいに「ひとり」にならないといけない。
 そういう思いに至ったとき、ふっと、ラストシーンで長澤まさみも奥平大兼も「ひとり」であることを受け入れることができるようになっている、と思った。信じられないような「つながり」で「ひとつ」になっていた「ふたり」だが、最後は「ひとり」であることを受け入れて、自分と他人をみつめている。そこに静かな「安らぎ」のようなものがある。悲惨なストーリーだが、超越的な美しさがある。長澤まさみも奥平大兼も、非常にいい役者だ。
(T-joy 博多、スクリーン3、2020年07月14日)  




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吉増剛造「筆舌に尽くしがたい、救いのようなもの」

2020-07-14 10:08:34 | 詩(雑誌・同人誌)
吉増剛造「筆舌に尽くしがたい、救いのようなもの」(「イリプスⅡ」31、2020年07月10日発行)

 吉増剛造「筆舌に尽くしがたい、救いのようなもの」は、今野和代の『悪い兄さん』の書評である。書評であるとわかるのは、副題に今野の名前と詩集のタイトルが書いてあるからである。しかし、何が書いてあるか、ぜんぜんわからない。わからないけれど、吉増が今野の詩集を読んでいる、ということだけはくっきりと伝わってくる。
 読点「、」ばかりがつづく長い書き出しの後半(中盤?)、

わたくしもそっと、手を出してみる、そんな小さな旅に出ることにする、……。
ここで初めて「。」をおいて、言葉の歩みをとめてみると、予感として止むに止まず、どうしてもいいたいことの“しるし”のようなものが、たとえば四行目の“少しく裂けて”あるいは六行目の“擦って過ぎて来た”のあたりに、「今野和代紀行」or「悪い兄さん紀行」の、こちらのどうしてもそこで佇んでしまっているらしいorそこで立ち往生してしまっている、わたくしめの詩の紀行の無様な…姿

 詩集を読むことを「旅」と呼び、その書評を書くことを「紀行(文)」を書くことと捉えなおしているのだが、そういう「意味」とは関係なく……。
 私は「。」を書いて、そこから、それまでに読んできたこと、これから書くだろうことを予感している、その「呼吸」に引きつけられた。

 ちょっと吉増を真似たような書き方になってしまったが、これは私の呼吸が吉増に重なったということだろう。

 私は「読む」ということは、相手の「呼吸」にあわせることだと思っている。一緒に歩いている(走っている)ひとに呼吸をあわせる。それは、私が相手にあわせているのだが、一度呼吸があってしまうと不思議なことが起きる。
 相手の「呼吸」をリードできるのである。
 いっしょに「呼吸」をあわせて、しばらく走る。完全に合致する。そこから、自分の「呼吸」で走り出す。ピッチをあげる。すると、相手がそれについてくる。相手が私の呼吸にあわせてくれるのである。
 これは「読書(ことばを読む)」でも同じである。
 吉増の「呼吸」は最初乱れている。今野の「呼吸」をつかみきれない。それにあわせようと、もがいている。その「もがき」をいったん読点「。」で区切ってしまう。すると、不思議なことに、吉増自身の「呼吸」の「欠点(?)」のようなもの、あるいは「長所」のようなものが自覚でき、そこから「呼吸」をあわせる「コツ」もみえてくる。
 あ、ここにあわせればいいんだ、と発見する。
 それが、“少しく裂けて”“擦って過ぎて来た”である。その「呼吸(息づかい/音)」になら、あわせられる。それは吉増自身の「呼吸」にほかならないからだ。
 そうして、同じような「呼吸」を探し始める。おなじような「呼吸」を拾い集める。そうすると完全に「呼吸/息づかい/音」が一致する。一致を確認して、吉増は「呼吸」をリードし始める。加速する。

「長い橋」が、どうしてか気になる、……。おそらく、無意識に「戎橋」とか「心斎橋」がざわざわと遠く能裏をかすめている筈で、あるいは「曽根崎心中」のお初の面差しも明滅していたのかもしれなかった、……。
  ながい橋を渡る
  ザンバラ髪の人が
  白い イヌを 連れて
  むこうから歩いてくる
  いき倒れの魂が浮遊する空
  うつろな 半欠け のまま       「ながい橋」
そう、……。今野和代の幻視の性質…というべきか、本質というべき“霞性のようなものをたしかに呼吸しているものおと…”が“半欠け のまま”たしかに顕って来ていて、

 という具合だ。
 今野の本質を“霞性のようなものをたしかに呼吸しているものおと…”と定義した上で、それが「“半欠け のまま”たしかに顕って来ていて」というとき、「半欠け」を「完全」にするために、その世界へリードしていくのが吉増だとわかる。
 もちろん、吉増のリードにまかせて「半欠け」から「完全」になってしまえば、それは今野ではなくなる。しかし、吉増にリードされていくかぎり「半欠け のまま」なのである。そして「半欠け」であることで、今野の世界が不思議な魅力を発揮する。
 あ、このまま走り続ければ、今野は「呼吸」が楽になり、ゴール寸前で最後の力を振り絞って吉増を抜き去る。そういう「マラソンレース」を見る感じだ。
 ずーっと「リードされている」(追っている)ふりをして、力を蓄え、最後にふりきるのだ。
 つまり、「半欠け」が、大逆転で勝利するのだ。

 今野に追いつき、リードしつづけ、最後に抜き去られたことを、吉増は、こんなふうに書いている。

存分に、……その口中or詩の奥行に、宿るようにし得たことを、……告げることのかなうところにもまた、わたくしも辿れました……の、でした。

 いやあ、おもしろい。
 吉増は、こんな「正直」な詩人だったのか、とびっくりした。

 




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岩佐なを「鼻濁音」

2020-07-13 22:02:31 | 詩(雑誌・同人誌)
岩佐なを「鼻濁音」(「孔雀船」96、2020年07月15日発行)

 岩佐なを「鼻濁音」を、どう読むか。

立夏のうらみちをそぞろあるく
盲学校跡の空き地のほうから
虹式で重なりなった声色の
曲が流れてくる
あの忍び音の
したわしいね
鼻濁音づかいの経緯を想いかえしては
にげろ
にげろと呟いてみる

 私は何度も何度も書くのだが、岩佐のことばが気持ち悪くて好きになれない。「うらみち」は「音」というよりも「文字」が気持ち悪いが、それが「そぞろあるく」とつながっていくとき、読むのをやめよう、と思う。
 でも、この気持ち悪い何かが、あるとき突然好きになって、あれはいったいなんだったのだろうと、いつも思う。
 で、つづけて読んでしまうのだ。
 「虹式」というのは「造語」だろうなあ。つまり、「造語」をつかってまでも、何か書きたいことがあるということなのだが、それは「声色」そのもののように、生理的なものなのだと思う。それが生理的であることが、私には、耐えがたい。
 猫の、ぐにゃりと体に触れてしまったときのよう恐怖心が私を襲う。
 こんなことは書いてもしようがないのだが、書かずにはいられない。
 「声色」が「忍び音」にかわるころは、「曲」がぐにゃりと「曲がる」ものになっている。猫の、あの、ぞっとする「肉体」に。

したわしいね

 わっ、「意味」を理解したくない、と私は思わず拒絶反応から、逆に、ひかれ始める。「したわしい」ということばなんか、私は、自分からは絶対に口にしない。ほとんと日常的には聞かないことばである。だから拒絶反応が起きるのだが、そして、拒絶反応が起きたのだから、ここで放り出せばなんでもないことなのだが、ここまで拒絶反応が起きるのはなぜなのか。それを知りたくなってしまうのだ。
 岩佐って、どういう人間?
 好奇心だ。
 で、

鼻濁音づかいの

 ということばに出会ってしまった瞬間、あ、どんな曲かわからないが、岩佐の聞いた「あの曲」は鼻濁音を含んだことばがあるのだ。そして、その鼻濁音の重なりが、虹のようにやわらかなのだ。鼻濁音を岩佐は「忍び音」と感じているのだと思い込む。そういうことができる人間なのだ。
 ここなんです。問題は。
 私の感覚では鼻濁音は「忍び音」ではない。「声色」というような、べったりと肉体に(生理に)へばりついてくるものでもない。しかし、岩佐は、この「べったり感」をこのましく思っているのだろう。あるいは、私が「べったり」と感じるものを、違うものと感じているのかもしれないが。
 「にげろ」の「げ」を岩佐は鼻濁音で発音するかどうか、岩佐が話しているのを聞いたことがないので判断できないが、そのことばはこうつづいていく。

げに気をつけてしだいに鼻孔からも
大きく発生すると
むかしはぬぬっぬぬっと
ちかづいてきて尾をふる
だいじゃび(大蛇尾)
にげずに受けとめられるこころもち
なにをなにを
こころで
いつどこでどうして
どうなったのか

 岩佐が「いつどこでどうして/どうなったのか」というくらいだから、このことばを追いかけている私には、そういうことがわかるはずがない。
 そして、この「わかるはずがない」に出会ったとき、私は安心するのだ。ここに詩がある、と思うのだ。他人が何か思った瞬間のこと(美しいと思ったのか、汚いと思ったのか、もっと他のことを思ったのか)を、他人である私がわかるはずがない。その「わからなさ」を、しかし、岩佐は追いかけている。追いかければ「わかる」にかわるという保障はない。
 途中を端折って、最後。

もはや
いやはや

 と岩佐自身が投げ出している。
 詩とはそういうものだろうと、私は思う。「結論」はないのだ。「結論」は、つまずいた瞬間にある。何かを変だな、これは何なのだろうと思った瞬間にある。そのわからないものを、別のことばで言い換えてみる。そのときのことばの運動のなかにある。「結論」にたどりついたら、それは詩ではなく、もっと別なものだ。

したわしいね

 岩佐は、瞬間的に、そう思った。そのことばが動いた。私には絶対に思いつかないことばが、その瞬間に動いている。これを、私は信じるのだ。



 




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