日本時間の2月11日未明、2006年トリノオリンピックが始まった。
何気なくオリンピック関連の番組を見ていると、解説者の言葉の
中に「日本のお家芸」という表現が出てきた。確か、スピード
スケートの短距離についての話題であったと思われる。
その表現をきっかけに、例によって、またまた「ヲタク」の虫が
騒ぎ始めた。 ただし、今日の「ヲタク」の虫は単に適当な韓国語
表現を求めて騒ぎ始めたわけではない。
「お家芸」の韓国語表現の問題に関しては「ヲタク」なりに既に
一定の結論を持っているからだ。
例えば「スピードスケートの短距離は日本のお家芸」という表現なら
스피드스케이팅 단거리는 일본이 전통적으로 강한 경기
(スピードスケートの短距離は日本が伝統的に得意な競技)
くらいに意訳するしかないと思う。
また、「柔道は日本のお家芸(日本が本家)」などの表現の場合は、
韓国語にもニュアンスのよく似た表現がある。
유도는 일본이 종주국(直訳:柔道は日本が宗主国)
がそれだ。
しかし、この「종주국(宗主国)」という表現は日本語の「お家芸」
とは比較にならないくらいに韓国語での使用頻度が高い。
태권도 종주국 한국(直訳:テッコンドの宗主国である韓国)
김치의 종주국인 한국(キムチの宗主国である韓国)
온라인게임의 종주국 한국(オンラインゲームの宗主国である韓国)
MP3 플레이어 종주국인 한국(MP3プレーヤーの宗主国である韓国)
반도체 종주국인 우리나라(半導体の宗主国であるわが国)
これらは韓国のメディアでよく目にする表現だが、韓国では
日本語で言うところの「本家本元」、「メッカ」くらいの意味で、
「宗主国」という歴史用語が比喩表現として多用されているのだ。
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前段がかなり長くなってしまったが、実は今日、「ヲタク」の虫が騒ぎ
始めたのは、正確にはここからなのだ。
考えて見れば、おかしな話だ。
植民地支配の不当性を知り尽くしているはずの韓国で、誇らしい
肯定的な比喩表現として「宗主国」という言葉が多用されている
のだから。
「ヲタク」が思うに、もし植民地支配の不当性を本質的に理解した
人間なら、例え比喩的な表現ではあっても肯定的な意味を込めて、
とても使えないのが、この「宗主国」という言葉だと思う。
あくまで歴史用語として、深い怒りと共に普段は静かに眠らせて
置くべき性格の言葉だと思われる。
ところが、韓国のマスコミでは、この「宗主国」という言葉が怒りの
対象となるどころか、むしろ誇らしい比喩表現として使われているの
だから理解に苦しむ。
実際のところ、他国から受ける植民地支配は不当だが、自国が
「宗主国」になることは一向にかまわないどころか、むしろ誇らしい
ことだとでも言わんばかりのニュアンスが感じられ、「ヲタク」が
嫌いな韓国語表現の一つになっている。
少しばかり神経質に過ぎるのかもしれないが・・・。
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一方で、この問題と関連しては、旧「宗主国」である日本側の抱える
問題も深刻だと思っている。
「ヲタク」は、日本社会はいまだに、総意として侵略や植民地支配の
歴史を真に反省したことはないと考えている。
それは、北朝鮮の拉致問題に対する日本政府やマスコミの姿勢
一つをとってみてもよくわかる。
「ヲタク」自身、拉致問題は人間として許すことのできない犯罪
行為だと思っている。
しかし、この問題が表面化したことを機に、まるで日本人全体が
被害者にでもなったかのように報じるマスコミの姿勢については
批判的だ。
拉致問題を解決に導く上からも、ある意味でその遠因ともなって
いる旧宗主国としての過去、つまり植民地支配の清算と誠実に
向かい合うことが切実に求められていると思うのだが、マスコミ
報道にはそうした姿勢はほとんど見られない。
過去、小泉訪朝が拉致問題の解決に向け大きな一歩を踏みだせた
のは、戦後置き忘れたままになっている北朝鮮との関係正常化に
取り組む誠意を見せたからであって、何も厳しい制裁を加えに行った
からではなかった。
いわゆるリベラルとか進歩派と思われている新聞社や放送局が、
率先して「北朝鮮バッシング」一辺倒の報道をしているような現状が、
「ヲタク」には歯がゆい。
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もし、日韓両国が植民地支配・被支配の不当性に深く学び、その
歴史を共に克服できたなら、世界平和の構築に向け非常に貴重な
メッセージを発信できるのではないかと思う。
少なくとも、現在、アメリカが進めている「テロとの戦争」に、こうも
やすやすと加担はしなかったであろうという気がする。
現在、日本の政治指導者や自衛隊幹部、あるいは天皇に銃口を
向けたり爆弾を投げつけようとする韓国人はいない。
それは、例え分断と言う悲劇があるにしろ、韓国が独立を遂げた
以上、自らの命を掛けてまで暴力的な手段を通じ民族の「大義」を
求める必要がなくなったからである。
「テロ」と言う個別の暴力的行為を無くせるのは「テロとの戦争」など
というさらに大きな暴力行為ではない。「テロ」を生み出している
原因を取り除いていく以外に「テロ」撲滅の方法はないのだ。
そのためには、パレスティナ問題に象徴されるアラブ世界への
暴力的抑圧を可能な限り取り除くよう努力するしかないのだ。
少なくともアラブの声をもっと尊重する姿勢を持つことからしか、
何も始まらないだろう。
植民地支配・被支配という体験を通じ、「テロ」にまつわるそうした
事実を一番よく知って いるのが、実は日韓(日朝)両国民なのでは
ないかと思う。
そういう意味で、日韓(日朝)両国は、今後も一層激化すると
思われる世界の民族・宗教紛争の根本的解決に向け、非常に
貴重な歴史的教訓を共有していると「ヲタク」は思っている。
しかし、悲しいかな韓国では「宗主国」(抑圧者)という言葉が誇らしい
比喩表現として使われている有様だし、日本は日本で旧「宗主国」
としての歴史に誠実に向かい合うどころか、旧植民地(北朝鮮)への
被害者意識と憎しみに酔っているが如きの昨今の状況だ。
こうして、東アジアの「歴史的教訓」は光を放つこともなく、今も暗い
暗い海峡の底に眠ったままだ。
(終わり)
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