70過ぎて博士号を取得したというプサン在住のあるおじいさんの
記事を読んだ。彼の専攻が日本近代史でもあるので、敬意を表する
意味からも全文を翻訳して記録することにした。
年老いてなお学ぶ姿勢を持ち続ける彼の生き方には、「ヲタク」と
しても学ぶところが多い。
--- 学問に定年はない。
「ヲタク」も全く同感だ。学ぶ対象や方法は違っても、持ち前の
粘着気質で「ヲタク」も死ぬまで学ぶ姿勢を持ち続ける「ヲタク」で
ありたいものだ。
このおじいさんは子どもの頃、戦前の日本式教育を受けられた
ようだ。
彼の年齢、それに「日本の教育勅語の成立と時代的役割」という
博士号論文の題名を見て、ふとそう思った。
*プサンのファンさん ハンギョレ新聞(2/15)より
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74세에 박사학위 “배움에는 정년이 없잖아요”
72歳で博士号取得 「学びに定年はない」
(京郷新聞 2月15日)
일흔을 훌쩍 넘긴 나이에 박사학위를 취득하는 만학도가 있어
화제다. 주인공은 부산 외국어대에서 문학박사 학위를 받는
황영호씨(74).
70歳を超えて博士号を取得する晩学の徒が話題を呼んでいる。
主人公はプサン外国語大学で文学博士号を取得する
ファン・ヨンホさん(72)。
*年齢は他の報道も参考にし満年齢に直した。
황씨는 ‘일본교육칙어의 성립과 시대적 역할의 고찰’이라는
논문으로 17일 부산 외국어대에서 열리는 전기 학위수여식에서
문학박사 학위를 받는다.
「日本の教育勅語の成立と時代的役割」という論文を提出した
ファンさんは17日、プサン外大の前期学位授与式で文学博士号を
取得する。
부산고를 졸업했지만 어려운 집안 사정으로 대학 진학의 꿈을
접었던 황씨가 본격적으로 공부를 다시 시작한 것은 국방부
부이사관 퇴임 후인 1993년, 그의 나이 61세 때다.
名門プサン高校を卒業したものの家庭の事情で大学進学の夢を
断念したファンさんが、本格的に勉強を再スタートしたのは国防省
副理事を退任した後の1993年、60歳の時だった。
32년의 공직생활을 마친 황씨는 일본 니가타현 산교대학
일본문화학과에 입학했다.
32年間の公職生活を終えたファンさんは、日本の新潟産業大学
日本文化学科に入学した。
그러나 환갑을 넘긴 황씨에게 외국의 유학생활에서 오는 어려움
과 함께 노령에 따른 기억력 부족이 걸림돌로 작용했다.
しかし、還暦を越えていたファンさんは、外国での留学生活の困難さと
ともに高齢による記憶力の衰えに悩まされることになった。
특히 영어공부는 황씨에게 큰 장벽으로 다가왔다. 그러나
황씨는 잘 외워지지 않는 영어 단어를 수백번씩 써보며 노력
했고 한 미국인 교수는 황씨가 영어공부를 했던 연습장을 본 뒤
시험도 치르지 않고 최고점수를 주기도 했다.
特に英語の勉強はファンさんにとって大きな壁となった。しかし、
ファンさんは記憶が難しい英単語を数百回ずつ書き取り練習しながら
努力を重ねた。ファンさんの英語のノートを見たあるアメリカ人の
教授が、試験もせずに最高点をつけてくれたこともあった。
황씨는 힘든 유학생활 중에도 학교 인근 농수산시장에서 주말
마다 감자와 고구마 상자를 나르며 공부를 계속한 끝에 산교
대학에서 4년 전학년 장학금을 받고 학부를 마쳤다.
ファンさんは困難な留学生活の中にも、週末には大学近くの青果
市場でジャガイモやサツマイモの箱を運ぶアルバイトをしながら
勉強を続け、大学からは4年連続、奨学金を受け取り、学部生活を
終えることができた。
대학 졸업과 함께 귀국한 황씨는 부산 외국어대 석사, 박사 과정을
계속했고 올해 박사 학위를 취득하는 기쁨을 맛보게 됐다.
大学卒業とともに帰国したファンさんは、プサン外大で修士、博士
課程に進み、今年、博士号を取得する喜びを手にすることになった。
또 부산 외국어대에서 기초한자 강의도 더불어 맡게 됐다.
また、同時にプサン外大で漢字の基礎を教える講義も受け持つ
ことになった。
황씨는 “나이가 들어 공부를 한다는 것이 결코 쉬운 일은
아니었지만 박사 학위까지 땄으니 일본에서 일본 학생들에게
강의하는 꿈도 꼭 이뤄보고 싶다”고 또다른 노익장을 과시했다.
ファンさんは「年をとって学問を修めるのは決して簡単なことでは
なかったが、博士号まで取ったし、日本で日本の学生たちに講義する
夢も是非かなえてみたい」と、老いてますます夢は膨らむばかりだ。
(終わり)