--- 日本政府は、北朝鮮のミサイル発射実験の「脅威」を自国の
軍事大国化に最大限利用しようとしている。それは、日本自身の
孤立化にもつながり賢明な道とは言えない。
おおむね「ヲタク」もこうした見解に同意する。
ところで、今日、韓国の新聞(電子版)で韓国国防部の公式論評に
目を通しながら、奇妙な「日本のことわざ」に出くわした。
--- 火葬場泥棒。
文脈から察するに、おそらく「火事場泥棒」の間違いであろう。
このIT化時代。韓国国防部の公式論評に目を通す日本人も決して
少なくはないだろう。
日本政府を公式(?)に批判するのに、わざわざ間違った日本の
ことわざを持ち出すなど、あまりかっこいいものではない。
論評自体は、「ヲタク」なりに共感できる内容であっただけに
もったいない気がした。正直、少なからず白けてしまった。
以下、かなり長い論評から関連部分のみ抜粋・翻訳し、記録して
おく。
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■ ‘화장장의 도둑’이 아니라 좋은 이웃국가 되길
「火葬場泥棒」ではなく善き隣国になってほしい
(国防部論評 7月14日)
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일본 속담에 ‘화장장의 도둑’이라는 격언이 있다. 어려움에
처한 곳에 가서 오히려 도둑질을 한다는 것이다. 일본은
북한의 핵과 미사일이라는 동북아 외교의 난제에 대해,
주도권을 쥐고 독주하는 것이 아니라, 함께 해결하려는
진지한 자세를 보일 때 이웃국가들로부터 책임 있는
국가라는 평가를 받을 수 있을 것이다.
日本のことわざに「火葬場泥棒」という格言がある。困難な問題に
ぶつかった人のところに行き、その混乱に乗じ泥棒を働くという
意味だ。日本が、北朝鮮の核とミサイルという北東アジア外交の
難題に対し主導権を握って独走するのではなく、共に解決しようと
する真摯な姿勢を見せるとき、はじめて近隣諸国から責任ある
国家との評価を得ることができるだろう。
(終わり)
--- 日本よい国強い国、世界に一つの神の国。
日本でも学校で子どもたちにこういうことを「まじめに」教えていた
時代があった。
しかし、日本人はこうした幼稚で狂気じみた国粋主義を、自国民、
他国民の多大なる犠牲と惨禍を通じて、好むと好まざるとに
かかわらず、かなりの部分「克服」してきた。
現在の日本は、民主主義や基本的人権、科学的・合理的な精神が
社会的に一定機能する国家になったと見ていいと思う。
ところで、現在、韓国社会でかなりの影響力を持っていると思われる
非合理な民族至上主義、愛国主義を批判的な目で見ている韓国人も
少なからずいるのは事実だ。
はたして、韓国社会は自らの民族至上主義をどう克服していくの
だろうか?その困難な努力にエールを送りたい。
ただ、今日(7月14日)、目に留まった「中央日報」の記事の
日本語訳については手を抜かせてもらった。日本語版にも同じ
記事が掲載されていたので、それをそのまま転載し記録する
ことにした。典型的な直訳調日本語だ。
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■ [분수대] 민족주의
[중앙일보 2006-07-14 ]
사학자 고미숙은 최근 한국사회의 축구 열기와 명성황후
재조명 바람을 '민족주의'라는 키워드로 푼다. 축구 열기는
"축구로 표상되는 애국주의에의 열광"이며 명성황후가
'외세에 맞선 순교자'로 재조명되는 것은 "반일=지선(至善)의
강박증"이라는 것이다. 광개토대왕 등 민족 영웅들이 줄줄이
호출되는 것도 "고대사의 영광을 복원하려는 팽창주의"라고
해석한다.
그의 책 '한국의 근대성, 그 기원을 찾아서'에 따르면 민족주의는
한국 사회 최강의 이데올로기다. '민족'이란 단어는 1900년대 초
일본에서 처음 건너왔다. 조선왕조 붕괴와 식민시대, 근대국가
건설, 분단을 거치며 한국 사회의 압도적 가치가 됐다. 좌우, 진보.
보수가 따로 없었다. "주체사상으로 정점에 달하는 북한의
민족지상주의는 물론이고 온갖 정파가 난립한 80년대 좌파들이
끝까지 견지했던 것도 민족이라는 주술이었다."
한국 사회에만 창궐한 것도 아니다. "첨단 사이버 시대 대부분의
국가를 움직이는 유일한 이념은 민족주의이다. 부침을 거듭한
다른 이념과 달리 민족주의는 이념들의 지존의 위치에서
내려온 적이 없다. 이것이 끔찍한 이유는 이 중력장 아래서는
출구가 없다는 점이다."
'민족은 상상의 공동체'라는 명제로 유명한 베네딕트 앤더슨은
"민족주의는 정치적으로 위력이 있지만 철학적으로는 내용이
빈곤하고 일관성이 없다. 대다수 다른 주의(ism)들과 달리
대사상가를 배출하지 못했다"고 비판했다. E J 홉스봅의 견해도
유사하다. "민족주의는 더 이상 세계적 정치 프로그램이 아니다.
민족과 민족주의는 계속 존재할 것이지만, 낮은 위치에 그
역할도 대수롭지 않을 것이다."
최근 국내 지식사회에서는 국제사회가 폐기한 민족 이념에의 철
지난 집착과 한민족의 우월성만을 내세우는 민족사관에 대한
비판적 목소리가 높았다. 반면 탈근대로 진입한 서구와 달리 한국
사회에서는 아직도 충분히 유효하다는 반론도 제기됐다. 어느
경우든 공통점은 과잉의 민족주의가 냉정한 현실인식을 방해하며
자민족 우월주의, 전체주의로 흐를 수 있다는 우려다. 또
세계시민사회로 가는 걸림돌이 된다는 인식이다.
때마침 대중문화계에 민족주의 바람이 거세다. 반일 정서로
무장한 가상 정치영화 '한반도'가 포문을 열었다. TV에서는
'주몽' '연개소문' 등 민족 사극이 한창이다. 이들이 과연 열린
민족주의로의 도약을 보여 줄지, 아니면 협소한 민족 감정을
상업적으로 이용하는 데 그칠지 궁금하다.
【噴水台】民族主義
歴史学者コ・ミスクは、最近の韓国社会のサッカーへの熱気と
「明成皇后(1851~1895)」を再考するブームを、「民族主義」と
いうキーワードで解く。 サッカーブームは「サッカーに表象される
愛国主義への熱狂」であり、明成皇后が外部勢力に対抗した
殉教者として再考されるのは「反日=至善の強迫観念」だとのこと。
広開土(375~413、高句麗の第19代王)大王など民族の
英雄らが続々と呼び出されているのも、「古代史の光栄を
復元しよう、とする膨脹主義」だと解釈する。
同氏の著書『韓国の近代性,その起源を探して』によると、民族主義は
韓国社会の最強のイデオロギーだ。 「民族」という単語は、1900
年代初めに日本から初めて渡ってきた。 朝鮮(1392~1910)
王朝の崩壊と植民支配時代、近代国家の建設、分断を経て、
韓国社会の圧倒的価値になった。 左右、進歩・保守を問わなかった。
「主体(チュチェ)思想でピークに達する北朝鮮の民族至上主義は
もちろん、あらゆる政派が乱立した80年代の各左派が、最後まで
堅持したものも民族という呪術だった」。
韓国社会だけに猖獗(しょうけつ)したわけでもない。 「先端
サイバー時代の大半の国家を動かす唯一の理念は民族主義だ。
浮沈を繰り返した他の理念とは異なり、民族主義は諸理念の至尊の
位置から降りてきたことがない。 これがぞっとする理由は、この
重力場のもとでは出口がないとの点だ」。
「民族は想像の共同体」という命題で有名なアンダーソンは「民族
主義は政治的に威力があるが、哲学的には内容が貧困で一貫性が
ない。 大多数の他の諸主義(ism)とは異なって、大思想家を
輩出できなかった」と批判した。 ホブズボームの見解も似ている 。
「民族主義はこれ以上、世界的な政治プログラムではない。 民族と
民族主義はずっと存在するはずだが、低い位置で、その役割も
大したことないだろう」。
最近、韓国内の知識社会では、国際社会が廃棄した民族理念
への季節外れの執着と、韓民族の優越性だけを掲げる民族史観を
批判する声が高まっていた。 半面、脱近代に進んだ西欧とは
異なり、韓国社会では依然として十分有効だとの反論も提起された。
いずれにしても共通点は、過剰な民族主義が冷静な現実認識を
妨げ自民族の優越主義、全体主義に流れうる、との憂慮である。
また、世界市民社会へ向ううえで障害物になる、との認識だ。
おりしも大衆文化界に民族主義の風が荒々しい。 反日の情緒で
武装した仮想の政治映画『韓半島』が火ぶたを切った。 テレビでは、
『朱蒙(B.C.58~B.C.19、高句麗の始祖)』、『淵蓋蘇文
(?~666、高句麗末期の将軍)』など民族史劇が真っ盛りだ。
それらが果たして「開かれた民族主義」への跳躍を見せるものか、
それとも狭小な民族感情を商業的に利用することにとどまるのか
が気になる。
(終わり)