その昔、若い「ヲタク」がフェリーに乗って釜山を訪れる時には、
バナナや免税の洋酒を釜山に持ち込んでは、ターミナルで待ち
構えていた現地の商人たち(?)にそれらを売り渡し、滞在費の
一部を稼いでいた。
1980年代の終わり頃まで、韓国ではバナナの輸入が自由化されて
いなかったので、日本から持ち込むバナナがけっこう高く買い取って
もらえていたのである。
時には、ポッタリ(行商)のおばちゃんが韓国に持ち込む
ウォークマンなどの貿易品(?)を運んであげ、運び代をもらったり
することもあった。一時期、一部のおばちゃんたちが、韓国を
旅行する学生などに目をつけ、韓国への持ち込み制限のある
品物などを運ばせたりしていたのである。
すべては過ぎ去りし遠い昔の話だ。(といっても高々20年ちょっと
前の話だ)
今日、ポッタリ商人の話題が新聞(電子版)に出ていた。
かなり長い特集記事だが、例によって数回に分け、全てを翻訳し
記録しておこうと思う。
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■ [보따리의 꿈] 최첨단 1인 무역상 임채일 씨
[ポッタリの夢①] 最前線の個人貿易商、イム・チェイルさん
(毎日新聞 7月15日)
한일무역의 최첨병. 생업을 위해 부산과 일본 시모노세키를
오가는 부관(釜關)페리를 타고 다니며 무역을 하는 사람들.
흔히 이야기하는 ‘보따리상’들이다. 배 위에서 새우잠을
자고 도시락으로 끼니를 때우며 하루 14시간을 보내는
사람들. 그만큼 사연도 한 보따리다. 부관페리 뱃길 따라
‘희망 보따리’를 풀어내는 두 사람을 만났다.
韓日貿易の最前線。釜山と日本の下関を行き来する「釜関
フェリー」に乗り、国境を股にかけながら貿易を営む人たちが
いる。俗に「ポッタリ(風呂敷)商人」と呼ばれる個人貿易商たちだ。
夜は船室で雑魚寝し、食事は弁当ですませながら1日14時間を
船内で過ごす人たち。船は実に様々な人生模様や数々の夢を
乗せて走る。記者は釜関フェリーに乗り込み、二人のポッタリ商人を
取材し夢を語ってもらった。
◆최첨단 1인 무역상 임채일 씨.
最前線の個人貿易商、イム・チェイルさん。
부관페리 '성희호'의 2층 침대가 달린 1등석 스페셜 룸.
침대 앞 책상에는 노트북 컴퓨터와 프린터기가 놓여 있다.
노트북 앞에 앉은 임채일(46) 씨. 능숙한 키보드 놀림으로
주문서를 작성하고 영수증을 챙긴다. 여느 무역업체 직원
같지만 그는 이 배에 탄 100여명의 보따리 상 중 한
명이다. 남들과 다른 점은 배 안에 개인 사무실을 둔 1인
무역업체 사장이라는 점.
釜関フェリー「星希号」、2段ベッドの付いた1等特別室。ベッドの
前の机の上にはノート型パソコンとプリンターが置かれている。
ノート型パソコンの前に座っているのはイム・チェイルさん(46)。
慣れた手つきでキーボードを叩きながら注文書を作成し領収証を
整理する。どこかの貿易会社の社員のように見えるが、彼は
この船に乗る100人余りのポッタリ商人の1人だ。他の商人と
違うのは、彼が船の中に個人事務所を置く個人貿易会社の
社長という点だ。
1개월에 20회 이상 이 배를 타는 그는 1등석 스페셜 룸을
전세냈다. 연간 내는 배삯만 6천만~7천만원. 그만큼 임
씨는 보따리 상 경력 7년만에 나름의 영역을 구축했다.
1ヶ月に20回以上この船に乗るイムさんは、1等の特別室を
一部屋借り切っている。年間、彼が船会社に支払う料金だけで
6000~7000万ウォン(約800万円)にのぼる。この世界に
飛び込んで7年目。それなりの事業を築き上げてきた。
그는 3, 4년 전만해도 남들 다 하는 라면, 김 등 식료품을
주로 취급했다. 수지가 시원찮자 변신을 시도했다. 지금
주로 취급하는 품목은 잡화. 이 날도 그는 식당용 탁자,
의자 등 15박스의 각종 잡화를 일본으로 배달했다.
イムさんは3、4年前までは誰でもやってるようなラーメンや
海苔などの食料品を扱っていた。しかし、思うように利益が
出ず、新しい分野に挑戦した。今、主に取り扱っている品物は
雑貨類だ。この日もイムさんは食堂用のテーブルや椅子など、
15箱分の雑貨類を日本に運んでいた。
밤을 꼬박 새우며 배가 시모노세키에 도착하자 임 씨는
싣고온 물건들을 일본 내 각지의 거래처로 택배로
보냈다. 더러는 그의 물건을 직접 받기위해 항구로 나오는
일본 상인들도 있었다. 거래처로 물건을 보내고난
임 씨는 또다시 거래처마다 필요한 물건을 주문받고
입금여부를 확인했다.
丸一晩を船中で過ごし、翌朝、船が下関に着くとイムさんは
船に積んできた品物を日本各地の取引先に宅配で送った。
中には港まで直接、品物を受け取りに来る商人たちもいた。
取引先に品物を送ったイムさんは、今度は取引先ごとに再度、
必要な品の注文を取り、入金の確認をした。
이젠 그만의 노하우도 익혔다. 세관에 자신의 물품대금을
신고하고 손쉽게 통과하면서 세금을 적게 내는 요령,
일본 상인들과의 원활한 거래를 위한 상도(商道)를 깨쳤다.
기본적인 일본어 실력 등 제법 세련된 맛도 돋보인다.
일본 세관 직원 중 누가 까다로운지 성격까지 파악하고
있다.
すでに彼だけのノーハウも身に着けた。税関に自分の
品物代を申告し簡単に通過させるとともに税金を少なくする要領や
日本現地の業者との取引を円滑にするための商売方法などを
体得しているのだ。基本的な日本語の実力など、洗練された印象も
際立っていた。さらにイムさんは、日本の税関職員の中で神経質
なのは誰かなど、彼らの性格まで把握していた。
하지만 처음부터 손쉽게 얻은 건 아무것도 없었다. 수백 번
한·일을 오가며 돈이 되는 물건이 뭔지 믿을만한 거래선은
어디인지 찾고 또 찾아다녔다. 배 안에서 새벽 3~4시까지
물품과 영수증을 확인하다보니 하루 2시간만 자고 일했던
기억도 불과 2년 전이다. 매일 박스를 묶고 풀어헤치다
보니 손에는 어느덧 거친 굳은 살이 자리잡았다.
しかし全てが最初からスムーズに軌道に乗ったわけではなかった。
何百回も韓・日を行き来しながら、売れる商品や信頼できる
取引先を求め、靴底をすり減らしながら探して回った。船の中で
深夜の3~4時まで品物や領収証を確認しなければならず、
1日2時間しか寝れないような生活がほんの2年前まで
続いていた。毎日、段ボール箱を紐で結び解くことを繰り返して
いるうち、手はいつのまにかタコだらけになってしまった。
부산에서 해돋이, 시모노세키에서 해넘이를 보며 더 큰
무역상의 꿈을 키우는 그는 “내 보따리에는 꿈과 희망,
가족의 행복이 담겨있습니다.”라며 웃었다.
釜山と下関で交互に日の出と日の入りを眺めながら、もっと
大きな貿易商になることを夢見るイムさんは、「私のポッタリには
夢と希望、そして家族の幸せがつまっています」と笑顔で語った。
(続く)
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