風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
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倉敷=綿菓子の様な思い出

2006年10月22日 | チンゲル亭裏日記

倉敷で過ごした2年間は、まるで羽が生えたように自由で、楽しくて、うれしくて、何の不安も無いときでした。

倉敷に引っ越してきたときには、三人のうち二人が嫁いでおり、一人残った姉も進学で忙しく、お目付け役を務めるものが居なくなりました。
それで、2年生にもなったことだし、一人で出かけることを許された時期だったのです。

倉敷の家は、住宅街であっても小学生の足で歩いていけるところに、本屋さんも八百屋さんも肉屋さんも呉服屋さんもありました。
母のお使いを頼まれたり、自分の本を買いに行ったり、一人で出かけるのがうれしくて、世界は私一人のものと実感したときです。

父は、定年を前にして、とても偉い人になったらしく私にとってヒーローでした。そして、年の離れた末っ子の私は父の溺愛の対象でしたから。
母は、7人家族からそれぞれが独立して4人家族になって、時間も経済的にもゆとりができて、家の中が静かで落ち着いていました。その頃はいつも、笑っていましたし、何よりも駄目といわれた記憶がありませんでした。

転校した小学校では、クラスのみんなに大事にされて、先生はおおらかだったし、何も憂いの無い、秋晴れのような、綿菓子のような、日々でした。

その中で、心ときめかせるところがありました。
なぜかよく遊びに行っていた父の職場の前の川を挟んだ向かい側に大きな洋館がありました。
見たことも無かった柱の高い高い洋館に、黒い大きな今にも動きそうなブロンズ像が立っている緑の茂った建物でした。

高校生になって、大原美術館と、緑は新渓園であることを知りました。
その隣りのエルグレコという喫茶店に友達と入ったときは、夢のようで、うれしかったのです。
その頃の私といえば、喫茶店なんて入ったことの無い田舎の高校生でしたから、またまた、大人になった気分になり、世界は私のものと感じたのでした。

私にとって、倉敷は、思い出すだけで、のびのびーとするところです。
そして、機会があれば何度でも行きたい、そうそう、大人になってから主人と一度だけデートした鶴形山公園のあるところでもあります。(^^♪
幸せの一杯詰まった倉敷。
帰国したら、大阪と倉敷は絶対行くぞぉー。
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大原美術館

2006年10月22日 | 出会った人
      大原美術館
久しぶりに大原美術館のサイトを覗いて見ました。
盛りだくさんの資料館のようになっていました。

両親が亡くなって実家も整理されてしまった後も、お墓参りにいったら必ず時間を作って美術館あたりを散策しました。
美術館の前を流れる倉敷川を挟んだ向かい側には、父の職場もあり、懐かしさで一杯になるところです。

美術館の入り口には、カレーの市民 と 洗礼者ヨハネが出迎えてくれます。

アニエールの街路は、ユトリロの作品だと覚えていたのですが、今日サイトを見てラファエロと記述があり、どこでどう間違えたか(^_^;)

大原と言えば「受胎告知」です。作者のエルグレコの名前の付いた喫茶店が美術館の隣りに有るくらいです。
板張りの床のシックなお店です。

近くに住んでいたころは、その店は入ってみたいなぁだけで終わったのです。
高校生のときは、友達とどきどきしながら初めて入ったときは、感激でした。
田舎町に住む高校生にとっては、喫茶店なんて、まだまだ、めったに入れるところでは有りませんでしたし、小さいころからの憧れの店でしたから、晴れ舞台のようなものです。
美術館の館員さんや、エルグレコのウエイトレスさんまでもが、特別な違う世界に生きている人のように思えました。

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