14日、午後7時、心不全のため亡くなられたそうです。享年79。
浅倉さんが翻訳をなさってなかったら、日本の翻訳文化は今とはまるで違っていたのではないかと思います。読書好きの人たちにとって、本を手に取るためのひとつの目安として「浅倉久志」の名があったのではないでしょうか。
初めてお目にかかったのは、たぶん1971年か72年。私が大学生の頃でした。「ディックとヴォネガットが好き」と、いつも口にしていたので、伊藤典夫さんが「今度、浅倉さんとこへ行くけど、ついてくるか?」と誘ってくださったのでした。
横浜の団地に着いたものの、どの部屋だかわからなくて、伊藤さんが「大谷さ~ん!」と呼びながら庭を歩いていったことを思い出します(「大谷」は浅倉さんの本名)。
確か、窓際の廊下の端っこを書斎がわりにしていらしたのではなかったかな。「ここでディックやヴォネガットが訳されるのだ!」と思いながら、洋書などを見せていただいたものでした。
次の大きな思い出は、1984年にカート・ヴォネガットが来日した時のこと。〈SFマガジン〉に載るインタビューをさせてもらうことになり、浅倉さんも一緒に新宿西口の京王プラザホテルを訪ねたのでした。
今、思い出すと、信じられないような至福の時だったのだなあ……。
ライバー、ティプトリー・ジュニア、ジョージ・A・エフィンジャー、ラファティ、ジャック・ヴァンス、それに大事な大事な『ユーモア・スケッチ傑作展』……多くの宝物を浅倉さんにはいただきました。どうもありがとうございました。
きっとあちらでも、律儀に原書4ページを毎日、訳しておられるのではないかな。