昨日の日記に対する新城さんのコメントで、住吉大社の祭神の名に「筒」があり、星を表すかもしれないということを知りました。
住吉さんの祭神「住吉大神」は次の三座の神々の総称だとか――
- 底筒之男(そこつつのお)
- 中筒之男(なかつつのお)
- 上筒之男(うわつつのお)
手元にあった岡田精司さんの『神社の古代史』(大阪書籍、1987年)によれば、かの『大日本地名辞書』の吉田東伍がこの説だったそうです。航海の目印となる星を神として祀ったのだ、と。
しかし岡田氏は、「そこつつのお」は「底ツ津之男」であり、「津=港津」のことだと、かの(またいってしまいましたが)山田孝雄(よしお)先生がいち早く提唱し、「地名と神名」という論文を書いた青木紀元氏も「神名というものは基本的にはほとんど地名である」といっているとして、こちらの説を支持しているのです。つまり、「つつ」は助詞の「つ」+「津」のことだろう、と。
森下としては、昨日の考察のつながりもあって、「筒」=「星」を断固支持しますね。
また勝手な想像に頼りますが、唇を尖らせて「つつ」と発声するのは、いかにも小さな星の輝きを真似しているように見えます。バカバカしいと思われるかもしれませんが、こうした身体性と言語の関係は案外無視できません。
この線で考えれば、「つ」と唇を尖らせた後「き」と横に引き結ぶのは、小さな星の光を広げたもの、すなわち「月」を意味するとみることもできます。
なぜ「つつ」が消え、「ほし」が残ったのか。これまた勝手な想像ですが、日本民族が成立する過程で海洋民の言葉が稲作民の言葉に圧倒されたのではないか。あるいは「つつ」は海の民の隠語だったのかもしれない。
以前から不思議に思っているのは、日本では星に関する言い伝えが異常に少ないのではないかということ。ほとんど七夕の話(これとて中国渡来のものですが)しかないといっていいぐらいです。なぜなのでしょう?
もしかしたら何らかのタブーがあったのかもしれません。古代日本には天文博士もいましたし、朝廷での天文の研究は熱心におこなわれていました。ただし、それは天皇(=北辰……北極星)の天地支配を占うためのものであり、下々の者がうかつに関与することではなかったのではないか。だから、星についての話を一般人は語ることができなかったのではないでしょうか。
ああ、また勝手な想像ばかりしてしまいました。
新城さん、どうもありがとうございました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます