惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

帰高

2005-04-24 20:32:26 | 日記・エッセイ・コラム
 22日(金)から今日まで、2泊3日で高知へ行って(帰って?)きました。

 羽田空港はターミナルビルが拡張されてからは初めて。
 以前は、待合所からバスに揺られて飛行機のタラップにたどり着くという、ローカル空港行きならではの旅情がありましたが、ウイングから直接乗り込めるようになり、今回それはなし。
 ちょっと嬉しい。でも、搭乗ゲートは端っこなので、たくさん歩くことができます。

 アクセス道路も新たに整備され、駐車場から環八まで、どこをどう走っているのかわからないグルグル回りがなくなってしまいました。
 これも嬉しい。でも、迷う面白みがなくなったのは少し寂しいかも……。

 高知は晴天。そんなに暑くはありませんでしたが、田んぼの植え付けは半分がた終わっていて、さすがに南国。
 あぜ道にはキツネノボタンの黄色い花がたくさん咲いていました。キツネノボタンとケキツネノボタンは、図鑑で初めて見分け方を知った植物なので、妙に愛着があります。東京ではあまり見かけませんが、高知は多い。
 キランソウ(地獄の釜の蓋)の紫の花もあちこちに。東京で見るのよりもおおらかに育っているみたいで、地面に這いつくばって広がっている感じはあまりありません。花も葉もしっかりと頭をもたげている。

 肝心の森下雨村展については、日を改めて。なかなかに盛り上がっているようでした。


帰高準備

2005-04-21 21:06:35 | 日記・エッセイ・コラム
 お昼前、昨日ドキッとするような督促を受けていた原稿をようやく仕上げて送稿。
 遅れる自分が悪いのだから、催促されてドキッとするも何もないものですが……。
 その後は、明日からの高知行きの準備。

 「高知行き」なのか「帰省」なのか、最近はいいかたに迷うところです。
 母が存命中は「帰省・帰郷」ということに戸惑いはありませんでした。が、空っぽの生家へ「帰る」といっていいものかどうか。今はまだ「帰る」でもいい気がしますが、この気持ちがどう変化してゆくのか。怖いような、寂しいような。

 ともあれ、明日は田舎の家。明後日は高知県立文学館の森下雨村展に参ります。


眠りのリズム

2005-04-19 20:59:03 | 本と雑誌
 昨日の日記にこうさんが付けてくださったコメントに導かれて「SEISA & OSUZU の かていさいえん」を覗いてきました。
 そうか、堆肥づくりでは過程に応じていくつもの菌が働いているのですね。勉強になりました。こういうことまできちんと調べるSEISAさんは偉いなあ。
 こうさん、ありがとうございました。

 スティーヴン・ストロガッツ『SYNC(シンク)』(長尾力訳、早川書房)を読んで、旅行の前夜などに早めに床についてもなかなか眠れない理由を知りました。
 この本には自然界のさまざまな場面に現れるリズムとその同期現象について書かれていますが、人間の眠りと覚醒のリズムもそのひとつ。

 一日のうち、普通に暮らす人間がいちばん眠くなるのは体温が最も下がる午前4時から6時くらいまでの間。徹夜をした時、この時間帯がいちばんつらく、ここを過ぎると元気が出てくるそうです(私は徹夜の経験がほとんどないので、よくわかりません)。
 一日のうちで眠い時間帯はもうひとつあって、この低体温期から9~10時間後。午後1時から4時くらいに眠気がやってくる。これは昼寝の時間ですね(この時間帯に私も15分ほど昼寝をします)。

 逆にしっかりと目が冴える時間帯も、やはり一日に2度訪れる。
 1度目は午前10時から11時頃。2度目は午後9時から10時頃。この時間帯は、眠りにつこうとしてもなかなか眠れないのだそうです。
 問題は2度目に目が冴える時間帯。これは普通の就寝時間の少し前に当たっています。しかも、午前の目が冴える時間帯よりもさらに眠りにつきにくいらしい。
 明朝早いからといってこの時間帯に布団に入るのが逆効果になるのは、こういうことのようです。その時間帯を過ぎれば、いつものように眠れそうなものですが、いったんリズムが崩れるとなかなかそうはいかないのでしょう。1日を23.5時間に短縮して暮らす実験を受けた人は睡眠不足が重なり、耐えられない思いをしたと書かれていました。

 よく知られているように、人間の体がもつ生活リズムの周期は24時間よりも長い場合が多い。これを調整しているのが朝日の光。朝(体内時計を基準にした「朝」だそうですが)の陽光が目の中にある受容体(いまだに正体不明だとか)を通して視床下部にある「視交差上核」というところに伝わり、体内時計の速度をアップする。逆に、夕陽は体内時計を遅らせるといいます。
 夕陽を眺めていると心が落ちつく(落ちつきすぎて寂しくなったりもしますが)のはこのせいでしょうか。


発酵コーヒー滓

2005-04-18 21:15:23 | 日記・エッセイ・コラム
 ホームセンターで発酵油粕を買ってきて、花の終わった球根の周辺に埋め込みました。お礼肥え。クロッカスには特に必要なようです。

 発酵油粕は、油粕に骨粉などを加えて発酵させ、固形化したもの。有機成分が分解されているので、効くのが早い。

 でも、どんな微生物が働いているのでしょう? あれこれ調べてみても、よくわからない。
 「作り方」のWebページなどを見ると、自然界にある菌が勝手に油粕の中で繁殖すればいいような印象を受けます。でも、カビはよくないなどといっているところもある。カビだって菌ですよねえ。

 なぜこんなことにこだわっているかというと、可能ならば自宅で作ってみたいから。もっとも、材料は「コーヒー滓+卵の殻」といったようなものになるでしょうけど。
 この場合、肥料メーカーが秘蔵する油粕用の微生物ではダメなので、適当な菌を自分で探すところから始めなければならないでしょうね。
 (今でも、プランターの土にコーヒー滓を鋤きこんだりしているので、そのあたりに有力な菌がいるのではないかと睨んでいます)

 菌類の働きというのは、実に興味深い。こんな試みでそれを実感できるのなら嬉しいのですけど、ウジがわいたりするからよく気をつけないと……。


草に埋れて

2005-04-17 20:50:54 | 音楽
 フォークソングの高田渡さんが亡くなられた。まだ56歳。私と2歳ぐらいしか違わない。早すぎます。
 ただ、旅先で倒れられてそのまま逝かれたというのは、いかにも高田さんらしいと思いました。旅をして、歌をうたい、酒を飲み、そのまま寝込んで……。

 高田さんの名前を知ったのは高校生の時。「自衛隊に入ろう」を(たぶん)ラジオで聞いたのだと思います。
 反戦フォークの名曲ですが、テレビで高田渡がこれを歌うのを見た防衛庁のお役人が放送局に電話をして「あの歌をレコードにしたい」といったのは有名な話。

 我が家のレコード棚を引っかきまわして『高田渡フォーストアルバム・ごあいさつ』(キングレコード)を取り出してみました。
 1971年に出ている。出るのを待ち兼ねて買ったような記憶があります。
 大学2年か。あの頃はフォークのコンサートにも足を運んだ。特に高田渡に惹かれるところがあったのでしょう。「自転車にのって」を口ずさみながら、東京の町を歩きまわっていました。
 ラングストン・ヒューズ、エミリー・ディキンソン、谷川俊太郎、吉野弘らの詩に曲をつけて歌っています。バックミュージシャンとして、はっぴいえんどや中川イサトの名があり、加川良と遠藤賢司もコーラスで参加。高田さんのテーマソングともいえる山之口獏の詩による「生活の柄」も、すでにこのアルバムに収録されています(「草に埋れて寝たのです」という繰り返しが印象的)。
 ライナーノートは三橋一夫さんが書いていて、1967年の高田さんとの出会いのことなどが記されている。突然家にやって来た青年(というよりまだ少年でしょうね)が「ピート・シーガーに手紙を出したいから住所を教えてくれ」といったとか。
 いうまでもなく彼が高田渡で、三橋さんはフォークソングのことで初めて出会った客とその夜遅くまで話しこんだという。

 60年代末の反戦運動と結びついた形で世に出た高田さんですが、いわゆる「フォーク運動」とは少し距離を置いたところで活動を続けていたように見えました。上記の詩人たちの言葉をメロディーにのせていたところからも、それはうかがえます。社会に向けて直接訴えるプロテストソングではなく、人の心を覗き込み、何が自分にとって大切かを確認するような歌でした。

 京都三条堺町の喫茶店「イノダ」の名を織りこんだ「珈琲不演歌(コーヒーブルース)」は高田さんのヒット曲のひとつ。微笑ましい片想いの様子がうかがえます。

 その後の高田さんは、武蔵野タンポポ団でアメリカのルーツミュージックを探ったりした後、また1人で歌の旅を続けていたのでしょう。一昨年の映画『タカダワタル的』は観ませんでしたが、それに合わせて作られた高石友也さんと2人を取り上げたTV番組は拝見しました。
 お酒に酔って舞台にあがり、歌の途中で眠ってしまう高田さんを見て「歌と、生きることがひとつになっているんだなあ」と、あきれながらもうらやましく思ったことでした。

 もっと歳をとったとしても、たぶん高田さんの歌のスタイルが変わることはなかったでしょう。あちらでもずっと同じように歌っていることと思います。合掌。