今日藤沢修平原作、平山秀幸監督の映画「必死剣鳥刺し」を武蔵村山ミューに見に行った。2時間の映画の最後の15分の壮絶な斬り合いは見応えあり。公式サイトはこちら→ http://www.torisashi.com/
粗筋はこうだ。舞台は藤沢作品恒例の海坂藩。藩主右京太夫の愛妾・連子は藩政に口をはさみ、倹約を建策した勘定方の役人に腹を切らせるなど政治を壟断する。これを憂えた豊川悦司演じる兼見三左エ門は、城内で能の観賞が終わった後、引き上げる連子を短刀で刺殺する。これは兼見単独の判断によるものだった。
良くて切腹を覚悟していた兼見だが、下された処分は意外にも禄高半減、一年間の閉門蟄居という軽いものだった。蟄居があけてしばらくして、兼見は中老津田民部(岸部一徳)から近習頭を命じられる。中老はやがて愛妾を刺殺して殿様に疎んぜられている兼見を何故近習頭に任命したか理由を兼見に告げる。それは海坂藩の分家筋の重鎮・帯屋隼人正が、藩主右京太夫に強談判に来て藩主の命を狙うから剣の達人である兼見に警護を頼むというものだった。
やがて中老の読みどおりに帯屋が藩主右京太夫に隠居を求める強談判に登城してくる。大刀を下げたまま殿の部屋に迫る帯屋に兼見は脇差一本で立ち向かう。激しい斬り合いの末、手傷を負いながらも兼見は帯屋を倒す。
だが話はこれで終わらない。いや、これからがクライマックス。傷付き、うずくまる兼見の前に多くの藩士を従えた中老津田民部が現れて「逆上して重臣帯屋殿を斬った兼見を斬れ」と命じる。藩士たちの間に一瞬動揺が走るが、すぐに彼らは抜刀して兼見に斬りかかる。ここからが激しい殺陣。斬り合いの舞台は座敷から目の前の庭に移り、激しい雨の中の死闘が続く。兼見に切られた藩士の体からは血が噴き出す。
中老は兼見が連子を刺殺した時、極刑を命じる藩主に「兼見には使い道がある。使い道が終わればその時は斬り殺す」と申し出て彼を帯屋殺害に使うことを考えていたのだ。
傷だらけになりながらも、藩主と中老の姿を求めて、兼見は座敷に這い上がる。だが死闘もそこまで。襖の陰に潜んでいた藩士に深く刺されて兼見はついに命を落とす。「こと切れています」という藩士の声に安心して兼見の死体に津田中老が近づいたその時、兼見の体は飛び上がり、右手の大刀は津田の胸を深々と貫いた・・・・
この最後の剣が「必死剣鳥刺し」である。
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さて長年の藤沢周平ファンとしては「殺陣は一流、筋書きは二流」と書いた理由を述べておかねばなるまい。多数の作品を書く著名な作家の作品に秀作とそれ以外の作品が混じることは仕方のないことだろう。藤沢周平もその例外ではあるまい。
私が「必死剣鳥刺し」の筋書きは二流と判断したのは次のような理由である。
- 兼見が藩主の愛妾・連子を殺害するに至った動機の説明が少ない。
- 藩主の愛妾を昼間衆人環視の中で刺殺した中級藩士が斬首あるいは良くても切腹にならずに蟄居で許されることがあるだろうか?
- 仮に「心神喪失」のような理由で蟄居で許されたとしたならば、そのような男が藩主のボディガード頭である近習頭に取り立てられることがあるだろうか?
- 津田中老は「連子を殺害した兼見を生かしておいて、帯屋の殺害に使う」ことをもくろんでいて、そのとおりになる。だが連子殺害と帯屋との死闘の間には3年の歳月がある。そんな将来のことまで的確に予想できるものだろうか?
- 最後の乱闘シーンで兼見一人が斬られても斬られても命を落とさず奮闘する。ヒーローは強いものだといえばそれまでだが少しリアリティに欠ける。
以上ざっと見たとおりこの話は「リアリティ」に欠けるところが多いのである。リアリティの欠如が兼見への深い共感に結び付かなかったことが残念ではあった。