金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

「武士の家計簿」堺雅人の抑制の効いた演技が良かった

2010年12月05日 | 映画

映画「武士の家計簿」は12月4日封切り日にワイフと観に行った。御算用者(会計係)として加賀藩に使えてきた猪山家。八代目直之(堺雅人)は真面目で、かつ演算面に天才的ひらめきを示す。一旦は勘定方の不正を指摘したため、能登勤務という左遷を命じられる。だが勘定方の不正は摘発され、廉直な直之は異例な昇進を遂げる。

直之の息子は成之(伊藤祐輝)は明治維新の時、大村益次郎に計数に明るいところを買われ、官軍の主計を担当し出世する・・・という話だ。

斬り合いも戦闘場面もないという異色の時代劇だ。だが江戸時代三百年の歴史を支えたのは猪山家のような地味で誠実な官吏だったということを改めて認識させてくれる映画である。

民主党は「政治家主導」をスローガンに政権を取った。だが政権を取った後、内外で不手際が目立っている。これは官僚の良いところを利用していないからである。

大村益次郎は幕府側についた加賀藩士の中から計数に明るい算盤侍の成之を重用した。この見識が必要だろう。

主役の堺雅人は派手なイベントはないが確実な人生を歩んだ直之の人生を抑制の効いた演技で良く演じていたと思う。世の中を支えるのは彼のような地味で誠実な人々だということを改めて思い出させてくれる映画であった。

だが映画の先に想像の世界を広げてみよう。日本陸軍の生みの親・大村益次郎は暗殺者の凶刃に倒れ、彼の弟子筋にあたる山田顕義や児玉源太郎もやがて死に日本陸軍から「算盤侍的」合理精神は失われる。

日露戦争で勝利した日本はやがて「英米との勘定の合わない戦争」へと突入していく。このことは「武士の家計簿」の話を越えているが、算盤侍が軽視される社会はどこかおかしな社会であることは心にとめておいた方が良いだろう。

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映画「桜田門外ノ変」を観た

2010年11月01日 | 映画

31日日曜日、ワイフと武蔵村山のモールに「桜田門外ノ変」を観にいった。http://www.sakuradamon.com/

作品は吉村昭原作の同名の小説をほぼ忠実に再現したものだ。歴史考証に厳しい吉村氏の作品だけにほぼ史実に忠実と考えてよいだろう。主人公は井伊大老(映画では伊武雅刀)暗殺を指揮した水戸藩士(暗殺前に脱藩)した関鉄之助(大沢たかお)。

映画が終わった後のワイフの感想は「こんなに殺し合いばっかりで誰も幸せになれない映画は嫌!」だった。事実井伊大老を暗殺した大半の水戸脱藩浪士達は大老襲撃途中で斬殺、あるいは自刃し、あるいはその後捕まり刑死する。主人公の関鉄之助も水戸藩士に捕まり刑死する。

襲撃を受けた彦根藩の警護の武士達も後に警護不備や敵前逃亡で切腹。

映画の中で情人いの(中村ゆり)の獄死を聞かされた関鉄之助は「井伊大老一人を殺すためにかくも多くの人が死ぬとは・・・」と嘆息する。

多少の救いは映画のラストシーンで桜田門から江戸城に入場する薩摩藩の参謀・有村雄助(井伊大老暗殺に参加した唯一の薩摩藩士・有村次左衛門の兄)が「総ては桜田門から始まった」とつぶやくところだろうか・・・

ところで幕末における水戸藩の悲惨さは藩士同士が敵味方に別れ、地を血で洗う抗争を繰り返したことだ。

その原因の一つは藩主水戸斉昭の頑迷で非現実的は攘夷論にあったのではないか?と私は考えている。黒船襲来を受けて右往左往した安政当時の日本。だが歴史は武力の裏打ちのない攘夷など不可能だったことを教える・・・・・。そして少し長い目で歴史を見れば国際貿易で最大級のメリットを受けたのは日本であることが分かる。

桜田門外ノ変から150年。今の日本は環太平洋経済連携協定(TPP)への参加問題で揺れている。関税の廃止は世界的な流れだ。この流れに乗り遅れてはいけない。

頑迷固陋で抽象的な攘夷論はもっともらしく響くことがあるが、実際には弊害の多い主張なのだということを桜田門外ノ変は示唆しているのである。

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「必死剣鳥刺し」殺陣は一流、筋書きは二流か?

2010年07月11日 | 映画

今日藤沢修平原作、平山秀幸監督の映画「必死剣鳥刺し」を武蔵村山ミューに見に行った。2時間の映画の最後の15分の壮絶な斬り合いは見応えあり。公式サイトはこちら→ http://www.torisashi.com/

粗筋はこうだ。舞台は藤沢作品恒例の海坂藩。藩主右京太夫の愛妾・連子は藩政に口をはさみ、倹約を建策した勘定方の役人に腹を切らせるなど政治を壟断する。これを憂えた豊川悦司演じる兼見三左エ門は、城内で能の観賞が終わった後、引き上げる連子を短刀で刺殺する。これは兼見単独の判断によるものだった。

良くて切腹を覚悟していた兼見だが、下された処分は意外にも禄高半減、一年間の閉門蟄居という軽いものだった。蟄居があけてしばらくして、兼見は中老津田民部(岸部一徳)から近習頭を命じられる。中老はやがて愛妾を刺殺して殿様に疎んぜられている兼見を何故近習頭に任命したか理由を兼見に告げる。それは海坂藩の分家筋の重鎮・帯屋隼人正が、藩主右京太夫に強談判に来て藩主の命を狙うから剣の達人である兼見に警護を頼むというものだった。

やがて中老の読みどおりに帯屋が藩主右京太夫に隠居を求める強談判に登城してくる。大刀を下げたまま殿の部屋に迫る帯屋に兼見は脇差一本で立ち向かう。激しい斬り合いの末、手傷を負いながらも兼見は帯屋を倒す。

だが話はこれで終わらない。いや、これからがクライマックス。傷付き、うずくまる兼見の前に多くの藩士を従えた中老津田民部が現れて「逆上して重臣帯屋殿を斬った兼見を斬れ」と命じる。藩士たちの間に一瞬動揺が走るが、すぐに彼らは抜刀して兼見に斬りかかる。ここからが激しい殺陣。斬り合いの舞台は座敷から目の前の庭に移り、激しい雨の中の死闘が続く。兼見に切られた藩士の体からは血が噴き出す。

中老は兼見が連子を刺殺した時、極刑を命じる藩主に「兼見には使い道がある。使い道が終わればその時は斬り殺す」と申し出て彼を帯屋殺害に使うことを考えていたのだ。

傷だらけになりながらも、藩主と中老の姿を求めて、兼見は座敷に這い上がる。だが死闘もそこまで。襖の陰に潜んでいた藩士に深く刺されて兼見はついに命を落とす。「こと切れています」という藩士の声に安心して兼見の死体に津田中老が近づいたその時、兼見の体は飛び上がり、右手の大刀は津田の胸を深々と貫いた・・・・

この最後の剣が「必死剣鳥刺し」である。

★  ★  ★

さて長年の藤沢周平ファンとしては「殺陣は一流、筋書きは二流」と書いた理由を述べておかねばなるまい。多数の作品を書く著名な作家の作品に秀作とそれ以外の作品が混じることは仕方のないことだろう。藤沢周平もその例外ではあるまい。

私が「必死剣鳥刺し」の筋書きは二流と判断したのは次のような理由である。

  • 兼見が藩主の愛妾・連子を殺害するに至った動機の説明が少ない。
  • 藩主の愛妾を昼間衆人環視の中で刺殺した中級藩士が斬首あるいは良くても切腹にならずに蟄居で許されることがあるだろうか?
  • 仮に「心神喪失」のような理由で蟄居で許されたとしたならば、そのような男が藩主のボディガード頭である近習頭に取り立てられることがあるだろうか?
  • 津田中老は「連子を殺害した兼見を生かしておいて、帯屋の殺害に使う」ことをもくろんでいて、そのとおりになる。だが連子殺害と帯屋との死闘の間には3年の歳月がある。そんな将来のことまで的確に予想できるものだろうか?
  • 最後の乱闘シーンで兼見一人が斬られても斬られても命を落とさず奮闘する。ヒーローは強いものだといえばそれまでだが少しリアリティに欠ける。

以上ざっと見たとおりこの話は「リアリティ」に欠けるところが多いのである。リアリティの欠如が兼見への深い共感に結び付かなかったことが残念ではあった。

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映画「おとうと」、中々良かったですよ

2010年02月19日 | 映画

ワイフと「おとうと」を観に行った。この映画はワイフが強く見たがっていた。話の筋は比較的単純で、優等生の姉(吉永小百合)に落ちこぼれの弟(鶴瓶)が、色々迷惑をかけ、一時絶縁状態になる。しかし弟が大阪のホスピスで死を迎える時、姉が駆けつけ、弟は安らかに死ぬという話。

弟・鉄郎の臨終の場面では少し涙がでた。どうしてだろう。この映画に登場する人物は少しずつ人生の不幸を背負っている。夫に早く死別した姉、姉の子供で医者と結婚したけれど、すぐに離婚した小春(蒼井 優)。生涯まともな仕事につかず周りの人に迷惑をかけた弟・鉄郎。

ホスピスの人がトルストイの言葉を引用していた。「人はそれぞれの事情で不幸である」と(正確ではないが)

これはアンナカレーニナの一節。「幸せな人は一様に幸せだが、不幸な人はそれぞれの事情で不幸である」

だが不幸を乗り越えて前に向かう人に運命は暖かいてを差し伸べる。小春は幼馴染の大工さん(加瀬 亮)と再婚する。鉄郎は姉、小春、ホスピスの人達に看取られえる中、ホスピスの人の「もう頑張らなくていいのよ」という言葉で静かに息を引き取る。

人は・・・悲しいものである。だがそれを美しく彩るものは人間の優しさである・・・ということを実感させてくれる映画だった。

鶴瓶のようなふざけた男に吉永小百合の弟役をされてたまるか!と思っていたけれど、鶴瓶の熱演に脱帽。

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【映画】「沈まぬ太陽」を観た

2009年11月09日 | 映画

11月8日(日曜日)ワイフと武蔵村山のミューに「沈まぬ太陽」を観に行った。上映時間は午前10時開始午後1時半終了という大作(途中10分の休憩あり)

オフィシャル・サイトはこちら → http://shizumanu-taiyo.jp/

話の粗筋は労働組合委員長として「過酷な労働条件は事故につながりかねない」と待遇改善を要求した恩地(渡辺謙)が、会社の懲罰人事でカラチ・テヘラン・ナイロビと10年間僻地に追いやられ、帰国後は御巣鷹山事故の後始末に尽力するというものだ。事故後政府は国民航空の会長に関西財閥から国見会長(石坂浩二)を招聘する。国見会長は恩地を会長室の室長に抜擢し、国民航空の改善に乗り出す。しかし会社の不正経理を明らかにする過程で、国民航空と自民党の暗部に触れたため国見会長は志半ばで解任される。恩地もまたナイロビに派遣される。

この映画を観て私が思ったことは、「多くの人は会社のため、国のためという言葉を口にするが本当に会社のため国のために動く人は少ない」ということである。

恩地は組合委員長として活躍したが、彼の中で「会社と組合」は対立していない。会社を良くするため、安全なフライトのために組合員の改善を求めていたので、会社と対立したという意識はない。一方副委員長の行天(三浦友和)は組合を踏み台にして出世街道を歩む(最後は贈賄容疑で逮捕されるが)。

行天達は「会社のため」という言葉を口にするが、それはほぼ「己の出世」あるいは「己に住みよい会社を守るため」という意味だ。

「国のため」についていうと総理の参謀を勤める竜崎(品川 徹)達が口にする「国のため」という言葉は結局のところ政権のため、党のためということに過ぎない。

これに対し恩地のいう会社のためは本当に会社を良くするためという意味だ。また国見会長は「国のためではなく事故で死んだ者たちや残された家族のため」に尽力する。しかし一人一人の国民を離れて国はないと考えれば、国見こそ本当に国のため働こうと考えたのだろう。

高い理想を持って生きる男たちはすがすがしい。人の一生は短いがすがすがしい生き方は「沈まぬ太陽」として長く人々の心に残ることを教えてくれる映画である。

コメント (1)
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