20数年ぶりに長篠城と設楽原の古戦場を訪ねました。
乳岩峡(ちいわきょう)と茶臼山を訪ねた帰りに、名古屋の友人の車で立ち寄ったのです。前回訪れたのは1999年の秋か2000年の春です。なぜ具体的な年を覚えているのか?というとこの時期名古屋の支店長として赴任しており、幾つかの古戦場を回った記憶があるからです。
その時も長篠城跡と設楽原古戦場を見学したのですが、四半世紀近く経つと細かい記憶は消えているもので、新鮮な眼で史跡を見ることができました。
長篠城北面の堀の跡です。城の南面は宇連川が深い峡谷を形成し容易に攻め手を寄せ付けませんが、北面の方が攻め易いと思いました。
南面の宇連川の土手の上に鳥居強右衛門磔死の碑がありました。
大河ドラマ「どうする家康」で長篠城の攻防や強右衛門の活躍をどのように描くか興味がありますね。
長篠城から約4km離れたところに設楽原古戦場があります。ここには設楽原歴史資料館があります。この資料館が保有している火縄銃の数は日本一とか。
写真は馬防柵。水田の向こう側から武田軍が突撃してきました。
戦いは大量の火縄銃と長大な馬防柵を巧みに活用した織田・徳川連合軍の勝利で終わりました。
戦いは大量の火縄銃と長大な馬防柵を巧みに活用した織田・徳川連合軍の勝利で終わりました。
なおこの設楽原の戦いでは連合軍5千人、武田軍1万人の戦没者が出たと伝えられています。この狭い土地に1万5千人の遺体が累々と並ぶ光景は壮絶なものでしょうね。大量の遺体はこの地に掘られた穴に埋められたと言われています。この話を聞くと450年前の戦いが生々しく想起されますね。
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