詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

大家正志『空虚な空間』

2006-04-14 12:05:52 | 詩集
 大家正志『空虚な空間』(ふたば工房)。
 私は本を読むのが遅い。とてつもなく遅い。ところが大家のこの詩集は30分もかからずに読み終えてしまった。(ほかの人なら、もっと早く読むことができるかもしれない。)「うまく説明できない」という詩のなかに「自分にかんすることで/説明できそうなことはほとんどない」(27ページ)ということばが出てくるが、印象はまったく逆で、大家にとって説明できないことは何一つない、どの説明も明瞭でわかりやすく、どんな停滞も淀みもない、という感じがする。「宇宙」「引力」「量子」などということばも出でくれば、コルトレーンも出てくる、クーブリックも出てくる。「星の王子様」(フランス語)も出てくる。私はフランス語は読めないけれど、そこに書かれていた 2行は理解できた。見た瞬間に分かった。大家のことばには、何か、人を一瞬にして「理解」へ誘い込む力がある。そのためにとてつもなく早く読むことができる。

ダムの干上がった日
妻と
腐った水を見に行く
腐った水に閉じ込められたバクテリアは
ぼくの脳に棲むウイルスに似ている
と妻はいう
「あなたに抱かれるたびに
腐ったウイルスがわたしの身体のなかにはいりこんでくる
だからといってどうってことはないけど
そんなこと一度も考えたことがないでしょう?」
        (「サマータイム」39ページ)

 この行に私は思わず線を引いてしまった。そこにはめずらしく「他人」が登場しているからだが、それでも、それは「他人」というには手触りがなめらかすぎる。何か、明瞭なイメージを残しすぎる。すーっと理解できて、すーっと通りすぎていく。
 「他人」というのはもっと不透明で、なんだ、こいつは、と思ってしまうものなんだがなあ、という不思議な印象につまずくといえばつまずくのだが、それは何か靴先が歩道のひびにひっかかったくらいの感じでもある。
 なぜこんなに早く大家のことばが読めてしまうのだろうか。
 「エヴェレット解釈(文科系のための量子力学的世界)」を読んでいて、はっと気がついた。

九九九九億九九九九万九九九九個の「他者という自我」が
永遠に干渉しあうこともなく
互いをおもいやって
心をふるわせている

 「九九九九億九九九九万九九九九個」か。ふーん。「一兆分の一」ということばも出てくるけれど、大家は「九九九九億九九九九万九九九九個」と「一兆」を区別しているんだろうか。区別できるんだろうか。たとえば(1)直径10センチの完全な円がある。(2)ほぼ同じ形の九九九九億九九九九万九九九九角形がある。(3)一兆角形がある。(1)(2)(3)を大家は肉体で、つまり、目で見て、あるいは指でなぞって、それを識別できるんだろうか。できないと思う。肉体ではできないことが、しかし、ことばではできてしまう。ことばでなら九九九九億九九九九万九九九九角形と一兆角形、円を区別できる。その違いを具体的に指摘もできる。九九九九億九九九九万九九九九角形は一兆角より一角少ないし、角があるかぎり円ではない。
 あたりまえすぎることだけれど、このあたりまえが、詩ではかなりつらい。
 詩はことばでできている。しかし、詩を読むとき、人はことばを識別するわけではない。というか、九九九九億九九九九万九九九九角形と一兆角の違いを識別するようにして詩を読むわけではない。むしろ九九九九億九九九九万九九九九角形と一兆角はことばでは違うけれど同じものであり、逆に、たとえば大家の書く「かなしみ」と大家の連れ合いがもらす「かなしみ」は同じことばなのに違ったものを言おうとしているというようなことを感じ、納得するために読む。
 「サマータイム」の妻のことばは印象的ではあるし、大家と妻との違いをあらわそうとして書かれたものではあるのだけれど、私には、ふたりは結局、九九九九億九九九九万九九九九角形と一兆角の違いにしか感じられない。そっくりである。識別できない。大家は「サマータイム」のなかで「世界の涯て」「ビッグバン」などについて思いをめぐらし、

蝉も涸れはて
耐熱球菌が繁殖する地表に
吃音性の宇宙が着陸する

 というような、わかったようなわからないことを考えているが、この思考の構造は妻が考えるダム(宇宙)とウイルス、大家の体(脳)とウイルスの構造と相似形である。
 頭でなら、大家と彼の妻が言っていることは九九九九億九九九九万九九九九角形と一兆角のように完全に別であると理解できるけれど、肉体的には違いがわからない。大家のことばが早く読めてしまうのは、そこに肉体が存在しないからではないのか、と思ってしまう。頭のなかだけでことばが識別され、語られている、という印象を持った。

コメント
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