詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

『渋沢孝輔全詩集』を読む。(4)

2006-04-15 23:13:45 | 詩集
 『漆あるいは水晶狂い』(1969)。巻頭の「弾道学」の書き出しがとても印象的だ。

叫ぶことは易しい叫びに
すべての日と夜とを載せることは難かしい
と左手の反古は語るけれど
それはアルミ製の筒花のような嘘だ

 書き出しの2行は意味的には「叫ぶことは易しい」けれども「叫びにすべての日と夜とを載せることは難かしい」という意味になるだろう。しかし、渋沢は「けれども」を書かないし、また「叫ぶことは易しい」と「叫びにすべての日と夜とを載せることは難かしい」を明確には対比させない。というより、「叫び」という主語を、行をわたらせることで対比を消し去ろうとしている。「叫ぶことは易しい」は「叫び」を修飾しているのだ。省略されているのは「けれども」だけではなく「けれども、その」が省略されている。「叫び」という主語は、いったん、「叫ぶことは易しい」という冒頭へ戻ることを要求される。何かしら、精神の反復運動、往復運動がここに隠されている。
 隠された精神の反復運動、往復運動が渋沢の精神の運動形態であるといえるかもしれない。そういう点からいえば書かれていない「けれども、その」が渋沢のキイワードだと言える。
 作者には自明のこと、説明できないこと、それが含まれているキイワードは、作者に密着しているがゆえに、省略されるのが普通だ。どうしても省略できないときのみ、表記される。
 そして、どうしても省略できなかったのが3行目、4行目の関係である。「語るけれど」と「けれども」でないのは、次に反復、往復する主語が「その」という、英語でいえば定冠詞つきのことばではなく、「それ」という指示代名詞で受けるしかないことばだからだ。
 反復、往復は、ここでは1行目のように緊密ではない。少し「間」がある。
 「間」があるからこそ、そこには余剰が入り込む。それが「アルミ製の筒花」である。このことばがいったいどこからやってきたのか、読者の誰にもわからないだろう。(「筒花」ということばの意味さえ私にはよくわからない。私の持っている辞書には載っていな。丁子頭のようなものだろうかと、私は推測して読むだけである。)読者の誰にもわからない余剰、渋沢の抱え込んでいる現実、そこに「詩」がある、と思う。
 誰にもわからない余剰、それは渋沢の肉体と言い換えてもいいかもしれない。肉体が触れている現実、現実との通路としての余剰。そこでは渋沢は完結していない。現実と繋がってしまっている。意識して、というより、意識できないまま繋がってしまっている。そこに意識が欠落している、あるいはそこでは渋沢の意識が世界を支配していないから、読者は、その不透明なものに平気で触れることができる。「アルミ製の筒花って何?」と、その存在をああでもない、こうでもないとこねまわして、そこに勝手な解釈を放り込む。そうやって作者に触る。作者の肉体を感じる。
 渋沢は、そういう読者の乱暴を、この詩では許している。

 読者にそうした自由、乱暴を許しておいて、一方で渋沢は自分の言いたいことを言い始める。

ほんとうに難しいのは目に
記憶と岸辺をもたらすこと
とぎれたわるい眠り
凍原から滑り落ちるわるい笑い
わるい波わるい泡

 ここでは「わるい」ということばによって精神の反復、往復運動が描き出される。行きつ戻りつしながら、その往復をエネルギーに替えて、ここからはみ出していく。自己からはみ出していく。現実へはみだしていく。それが渋沢がやろうとしていることだろう。
 「わるい」という表現は意味ではない。意味になりきれていないもの、渋沢の肉体である。肉体のなかに蠢いている感覚、「悪い」と書くのでは意味が違ってしまう何かだ。
 したがって、この「わるい」は渋沢の肉体ではあるけれど、渋沢から引き出すことはできない。読者が自分自身の肉体から引き出さなければならない。そういう性質のものである。
 「現代詩は難解である」とはかつて繰り返し言われたことだが、それが難解なのは、作者の書いたことばのなかに意味があるのではなく、意味は読者が作者のことばを自分の肉体のなかに抱き込んでしまって、それが意味となって生成してくるのを待たなければならない構造になっているからだ。どこを読んでも「解答」などない。作者のことばを手がかりに、それまで自分が抱え込んでいたことばを叩きこわし、叩きこわしたことばが自分の肉体のなかから生成してくるのを待たなければならない。
 こうした作業が好きか嫌いか。
 私は好きだ。
 じぶんのことばが壊れるたびに、渋沢の肉体が見えてくる。そしてそれはいつでも完全には見えない。いつも見えないものを含んでいる。隠されたものを見る、というのは、なかなか楽しいことである。
コメント
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