中神英子『夜の人形』(思潮社、2008年11月30日発行)
中神英子の詩はどれも非常に長い。なぜ、長いのか。「あおい実」という作品にキーワードがあった。
「ものがたり」。これが中神の作品のキーワードである。「ものがたり」とは「いま」(「あおい実をひとつひとつ拾っているいま」の「いま」)という時間が過去を見つめるときに浮かび上がってくる世界である。
つまり、中神の世界は、常に「いま」から「過去」を見つめ、その「過去」を「ものがたり」にしてしまうことで成立している。「ものがたり」にかないことには「過去」をうけいれられない--そういう「傷」を中神は隠していることになる。この傷を、中神のことばをつかって言い直せば「秘密」である。そして、さらに言い直せば「痛ましい大切」である。「痛ましい大切」なものを、そっと守り抜くために「ものがたり」を必要としている。守り抜くために、そのことばは、どんどんガードを厚くする。そのために作品が長くなる。
なぜ、「過去」を守らなければならないのか。「過去」とは「熟すことを一途に拒むあおい実」(別の作品では、たとえば「草の白い根の様子の/髪の短い少女」という表現になってあらわれる)であり、それは無防備なものだからである。
そして、これは一種の矛盾なのだが、その「あおい実」は、「あおい実」であるときから、傷つくことを知っている。
「あおい実」の後半の1連。
どんなに「熟することを一途に拒」んでも、そのなかにも「成熟」はある。たとえば、その「一途」そのものが一種の「成熟」である。
中神は、そういうことに「いま」ではなく、「過去」に気がついた。それが中神のほんとうの苦悩--思想である。
いつでも、どんなときでも、人は「あおい実」を食べる。食べる理由がある。守らなければならないのに、それを守らずに食べてしまう。実際に、食べてしまった。(これは、知ってしまった、と同義である。)
その矛盾と向き合うために、中神はことばをくりだす。
矛盾を内包してことばを動かすには、「ものがたり」が必要である。「詩」は「ものがたり」を逸脱して存在する。「ものがたり」を破ることで存在する。詩は、いわば、矛盾の破裂だが、中神は、その矛盾を破裂させたくないのである。じっと、あたため保護したいのである。(そして、保護するための道具(?)が、たとえば「あおい実」や「白い根の少女」なのである。)保護している、という気持ちになったとき、きっと中神は静かに落ちつく。
詩は、中神にとって、自分自身を静かに落ち着かせるための生き方なのだろう。
中神英子の詩はどれも非常に長い。なぜ、長いのか。「あおい実」という作品にキーワードがあった。
かけぬけるもの
必ずその道をかけぬけなければならないものがいて
かけぬけていくその途中に
時折 無数のあおい実がざぁと落ちる
立ち止まる
密かに立ち止まる
密かに立ち止まってあおい実を拾う
必ずかけぬけていくものの
かけぬけていった というものがたりの中に
あおい実をひとつひとつ拾っているいま
秘密の手が隠される
いまの温度にあおい実
熟すことを一途に拒むあおい実
痛ましい大切
「ものがたり」。これが中神の作品のキーワードである。「ものがたり」とは「いま」(「あおい実をひとつひとつ拾っているいま」の「いま」)という時間が過去を見つめるときに浮かび上がってくる世界である。
つまり、中神の世界は、常に「いま」から「過去」を見つめ、その「過去」を「ものがたり」にしてしまうことで成立している。「ものがたり」にかないことには「過去」をうけいれられない--そういう「傷」を中神は隠していることになる。この傷を、中神のことばをつかって言い直せば「秘密」である。そして、さらに言い直せば「痛ましい大切」である。「痛ましい大切」なものを、そっと守り抜くために「ものがたり」を必要としている。守り抜くために、そのことばは、どんどんガードを厚くする。そのために作品が長くなる。
なぜ、「過去」を守らなければならないのか。「過去」とは「熟すことを一途に拒むあおい実」(別の作品では、たとえば「草の白い根の様子の/髪の短い少女」という表現になってあらわれる)であり、それは無防備なものだからである。
そして、これは一種の矛盾なのだが、その「あおい実」は、「あおい実」であるときから、傷つくことを知っている。
「あおい実」の後半の1連。
その内の遠くで
唯一熟したあおい実を
平然と食べる面影がある
どんなに「熟することを一途に拒」んでも、そのなかにも「成熟」はある。たとえば、その「一途」そのものが一種の「成熟」である。
中神は、そういうことに「いま」ではなく、「過去」に気がついた。それが中神のほんとうの苦悩--思想である。
いつでも、どんなときでも、人は「あおい実」を食べる。食べる理由がある。守らなければならないのに、それを守らずに食べてしまう。実際に、食べてしまった。(これは、知ってしまった、と同義である。)
その矛盾と向き合うために、中神はことばをくりだす。
矛盾を内包してことばを動かすには、「ものがたり」が必要である。「詩」は「ものがたり」を逸脱して存在する。「ものがたり」を破ることで存在する。詩は、いわば、矛盾の破裂だが、中神は、その矛盾を破裂させたくないのである。じっと、あたため保護したいのである。(そして、保護するための道具(?)が、たとえば「あおい実」や「白い根の少女」なのである。)保護している、という気持ちになったとき、きっと中神は静かに落ちつく。
詩は、中神にとって、自分自身を静かに落ち着かせるための生き方なのだろう。
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