「馬と木賊」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)
「馬と木賊」は、かなりかわった文章である。「「馬」といふ活動写真は面白かつた。」とはじまるが、「馬」がどういう映画なのか、よくわからない。
映画は、
母馬(おやうま)が売られた仔馬を気狂ひのやうになつて、嘶(いなな)きながら探し廻はる場面を見、
という2段落目(2行目)の途中までに書かれた、それだけである。志賀がこの文書をを書いた当時は評判になった映画で、なんの説明もいらないということかもしれないが、誰が出たとも、どんなストーリーとも書いていない。志賀が書いている部分がクライマックスなのか、ほんのエピソードなのかもわからない。
文章は、このあと、
私は昔、赤城(あかぎ)の山の上で、はぐれた馬の親子が互に呼び合つてゐるのを見た時の事を憶ひ出した。
とつづいて行く。
そして映画ではなく、志賀の実際に見た馬の描写がつづく。はぐれた馬の親子がやっと互いを見つけ出したときの喜びの様子、それが一転して何もなかったかのように草を食べはじめたときの様子を書いている。
それから突然、能「木賊刈(とくさかり)」で、人さらいに連れて行かれた子どもと老翁が再会し、喜ぶ場面を見たときの感想を書いている。
老翁の喜びの動きを見て、
馬の親が出会つた喜びに暫く跳(と)んでゐたのよく似てゐた。
私が「木賊刈(とくさかり)」を見たのは今から凡そ二十年前(まへ)、馬のそれを見たのは二十七年前(まへ)、そして最近活動写真の「馬」を見て、前の舊い二つを憶ひ出した。
と終わる。
映画の感想は?
まったくのしり切れとんぼというか、映画などどうでもいいような感じの文章なのだが、不思議に、その映画を見てみたい気持ちになる。
なぜなんだろう。
志賀直哉は、「馬」という映画を見て、あたかもはぐれた馬の親子がやっと再会したかのような、そして生き別れになっていた子どもと老人が再会したかのような感覚になったのだ。
その感情が、そこにあふれているからだ。「映画」の説明ではなく、映画にふれたときの志賀の感情が、そのまま、ルール違反(?)のように、直接、そこにあふれているからだ。みたこともない形であふれているからだ。
「馬」をとおして、赤城山で見た馬の親子に再会し、能「木賊刈」に再会した。そのとき、志賀は馬の親子のように飛び跳ねていた、老翁のように体が動いていた、ということだろう。志賀は、そのとき赤城山の馬になり、能のなかの老翁になっているのだ。
--もちろん、こころのなかでのことだが。
文章の途中、
老翁の感情がその儘に映つて来た。
という表現がある。この「映る」。これが、この短い文章のハイライトであると思う。
「映る」というのはふつう「反映」のことだが、「はえる・かがやく」というような意味もある。志賀は、老翁の感情が、老翁の動作のなかから、まるで「いのち」のように輝きだしてきて、それが直接、志賀をとらえた、という意味でつかっていると思う。
赤城山で馬の親子を見たときも、きっとその感情が馬の動きのなかから光となってあふれだし、志賀がそれにとらえられたというのだろう。
ある感情が、その感情の主体(馬、老翁)を突き破って、ひかりとなって輝き、あふれだす。それが「映る」。そして、それを見るとき、その「いのち」が志賀直哉に「移ってくる」。
「映る」から「移る」へ。それは「感染する」(うつる)ということかもしれない。
そして「移る」「感染する」というのは、ある存在と存在、ほんとうは離れているのに、それが接触するということでもあるのだが、そのときの「離れている距離」というのは、その瞬間消えてしまう。
志賀は、能を見たのが何年前か、赤城山で馬を見たのが何年前か、わざわざ書いている。それは、そこに書いてある「時間--時の距離」が、映画をみたその一瞬、消えてしまったということだ。
感動というのは距離をなくし(消して)、「いま」「ここ」にあるものとして「共振」することなのだと思う。
志賀直哉は、この「共振」を剥き出しの形で、ぐい、と押し出してくる。
志賀直哉全集 (第3巻)志賀 直哉岩波書店このアイテムの詳細を見る |