海埜今日子「《はすのもえ、つきのひる》」、小笠原鳥類「丸いテーブル」(「ガニメデ」49、2010年08月01日発行)
海埜今日子「《はすのもえ、つきのひる》」のことばの動きは追いかけるのに苦労する。
そうしてだんだんと気泡がしなり、逡巡ですか、どろのにおいをうっすらとかきあげ、はすのむれなす、ひるのつき、ゆくてをはばみ、としをへて、いつだったかしら、なきそうになるのだった。
読点で区切られたひとつひとつの「文」は理解できる。「気泡がしなり」の「しなり」のように独特のつかい方をしたことばにつまずきながらも、そういうつまずきがあるから、次の「文」へことばが動いたときの、一種の「違和感」が「飛躍」のように感じられ、ついつい先へ先へと読んでしまう。読んでしまうのだけれど、やはり、よくわからない。これはほんとうにひとつづきの「文」なのか。
ひとつづきの「文」をめざす動きがあるのに、その運動の中へ何かが割り込んでいるのか。それとも、まったく別の「文」を解体しながら、いま、ここにない「文」になろうとしているのか。ここにある「文」が「複数」なのか「単数」なのか、それがよくわからない。
わからない、わからないと書いても何にもならないので、強引に書いてしまうと……。
海埜は何かについて書きはじめる。ことばはいつも「世界」に比べると完全ではない。ことばは「世界」の一部しか表現できない。ふつうは、そういうことは気にしないのだが、海埜は気にする。「文」を書いたあと、それだけでは書き表せないことがあるということをいつも意識してしまう。
「そうしてだんだんと気泡がしなり、どろのにおいをうっすらとかきあげ」なら、池の底から気泡がゆらゆらゆれながら水面にあがってくる様子を描写したものとして理解できる。気泡があがり、ゆらぐとき、そこに「どろのにおい」がする。気泡は泥をかすかにかきあげながらのぼってくるものと理解できる。
たぶん、そういうことを海埜はかこうと思うのだろけれど、そのとき、「しなり」ということばのなかに、「しなり」では書き表せないものがあると気づく。それは「逡巡ですか」。
「逡巡ですか」の「か」。疑問形。疑問形でしか書くことのできないものが、ふいにあらわれると、それは「気泡」の乗っ取ってしまう。「逡巡」が主語になり、そのあとのことばを動かしていく。
蓮の群れが気泡の行く手を阻んでいるのか、逡巡があるから阻まれてしまうのかわからないが、「主語」は「気泡」独自では動いていけない。「気泡」を飛行機だとすると、気泡の運動を貫いているのは泡の上昇という物理的な運動だけれど、実際には「逡巡」というハイジャッカーがその純粋運動に対して、そうではないところ(目的地以外)へ向かわせる。
「ひるのつき」。
なんだろう。「気泡」が「昼の月」というのか。それとも気泡から見た蓮の葉の裏側の形が「昼の月」に似ているというのか。海埜は「気泡」になって、その「昼の月」を見ながら、かつて見た「昼の月」を思い出しているのか。「過去」(としをへて--遠い過去)、逡巡して、あるいは行く手を阻まれて、泣きそうになったことを思い出すのか。
わからないものが、そのわからないもののなかにある「わかるもの」を沈殿させながら動いていく。あるいは、わからないもののなかにあるわかるものを沈殿させるために、最初の運動とは異なる作用をすることばを、海埜はわざと投入するのかもしれない。それは、「結晶剤」のようなものかもしれない。
でも、こういうことは、まあ、いいのだ。
こういう作品は、「意味」をおいもとめても仕方がない。詩は、そもそも「意味」や「内容」を追い求めても仕方がないものかもしれない。
私は、なぜ、この作品を読むか--そのことを書くべきなのだろう。何を読んだかをもっと別の形で書くべきなのだろう。
何を読んだか。
海埜のことばは、最初の引用から、いろいろゆらぎながら、
むすうのどろにわきたった、においのそくどをかきいだくようにして、としをあやぶみ、逡巡する。
という「文」に達する。この「文」の「においのそくど」ということばに、私ははっとする。あ、つかってみたい、と思い、思わず傍線を引く。
この瞬間のために、私は、海埜のことばを読む。
傍線を引く部分は、私と他の読者とではちがうだろう。ちがって当然だと思う。
なぜ、そのことばに私は傍線を引いたか。それは、私がどこかで感じていたけれど、ことばにできなかったことばだからである。海埜のことばによって、私が感じていたけれどことばにできなかったものがことばになったと感じたからである。こう感じるときが詩を感じるときなのだが、そういうことばに出会うために、海埜のことばを追いかけなければならないのだ。
そして、それは、いま私がやっているような「抜粋引用」では、実は、だめなのである。ぐらぐらゆれながら動く海埜のことばを追い、そうすることで私のことばの硬直した「文体」を叩き壊し、その過程でできる隙間(?)のようなものに、海埜のことばが動いているのを待つしかないのである。
最初の方で、私は海埜の「文」が「単数」か「複数」かわからないと書いたが、単数は破壊されて複数になり、複数は解体されて単数になる。そこには単数と複数を行き来する運動だけがある、と言いなおすべきなのかもしれない。
「においのそくど」--そのことばのなかに、私は単数と複数を往復するエネルギーの形を見た--見たと思ったのだ。そして、そういうことばをつかってみたい、と思ったのだ。そのことばをつかって何かを書けないか--海埜が書かなかった何かを書けないかと夢想したのだ。
この、夢想の瞬間、海埜を読みながら、海埜を離れる瞬間、「誤読」の最初の一歩--そう感じる瞬間。そういうものがある詩が、ようするに私は好きなのだ。
*
小笠原鳥類「丸いテーブル」。その2連目。
布の上であるならムクドリも木の上のように、植物が腐っていたので、
腐ったカーペットの上で足を沈めて歩くのであれば、ワニの背中
ワニの虫を食べるワニの背中を這う虫を、食べる。ワニがピアノなので
ピアノの上に四角い(小さい)を並べて、あれは風呂のようだったな
まるで「尻取り」のようにして行が展開していく。ある、どこかの室内(ピアノがある)を歩いているときの感覚を書いたものかもしれないが、最初の「布の上であるならムクドリも木の上のように」がなんとも不思議である。不思議であると書いてもしようがないから、そのとき思ったのは、
あ、これは枕詞?
ということである。
私は最近、高橋睦郎の『百枕』を読んだ。そのなかに「枕詞」について書いてあった。(『百枕』に先立つ『歌枕合』の方がもっとくわしく書いているが……)。「枕詞」はことばの調子を整え、同時に土地を修飾することばだけれど、それは単に修飾しているのではないのではないか。単に調子を整えているだけではない。土地の名前を引き出すだけの修飾ではないのではないか。簡単に言うと、そういうことが書いてあった。
「布の上であるならムクドリも木の上のように」は「植物が腐って」を導き出す「枕詞」のようであるが、それ以上のものである。1行目の「植物が腐っていたので」は2行目の「腐ったカーペット」の「腐った」を導き出す「枕詞」のふりをしているが、そうではないのではないか。
ことばは次々にことばを産んでいくが、小笠原は、そういうことばを生み出す作業を押し進めながら、逆に、常に最初のことば、前の行へ前の行へとことばを還元するようにして、つまり最初のことばに拮抗するようにしてことばと向き合っているのではないのか、と思ったのである。
これは私の「直感」(誤読)であり、まだ、具体的にはどんな説明もできない。声明できないが、小笠原には何か書きたいことがあって、その書きたいことを書こうとするのだけれど、書けば書くほど書きたい最初の何かから遠ざかる。その遠ざかることに拮抗するために、書く。長く書くのは長く書きたいからではなく、長く書けば書くほど、書けないことばとして「冒頭」(枕)にことばが凝縮する--そういう思いがあるからではないのか、と直感的に思ったのである。
ある日、それが小笠原のことば全体をのっとり、関係をひっくりかえしてしまう。その日まで、小笠原は書きつづけるしかない。進みつつ、進まない「逡巡」しているかのようにみえることばの行進に、そんなことを思ったのである。