和合亮一「詩の礫2011.3.1-4.9 」(21)(「現代詩手帖」2011年05月号)
「比喩は死んだ」と和合は書いている。けれども、やはり「比喩」は動いている。というか、生きている。ことばは「比喩」になろうとする。「いま/ここ」にないものを書きたがる。「いま/ここ」にないものを書いたときこそ、「いま/ここ」が見えてくるのだ。「比喩」は「いま/ここ」を照らす光なのだ。といっても、それはほんとうは「照らす」ではなく、「いま/ここ」を導く「灯台」のようなものである。「比喩」へ向かって進むとき、その進むという運動なのかで、「いま/ここ」が動きはじめるのである。
あ、抽象的に書きはじめてしまった。--これは、よくない兆候である。きょうは、和合のことばについていくのが少しつらい。和合のことばというにより、私の体調が悪いのである。
「比喩が死んでしまった」と和合は書いていた。その「比喩」ということばが、再び出てくるところがある。
真冬の「比喩」のシベリア。それが「比喩」であるのは、祖父のシベリアが「いま/ここ」ではないからだ。和合が、その「いま/ここ」ではない父祖のシベリアを「いま/ここ」で書くのはなぜか。これは私の想像だが、祖父は「真冬のシベリア」を生き抜いたからだ。そのことが、和合にとって「希望」なのである。過酷な時間を祖父は生き抜いた。同じように、大震災の過酷な時間を生き抜きたい。和合は、そう考えている。だから、過酷な時間を生き抜いた祖父の方へと自分自身を引っ張っていくのだ。「比喩」を前方に投げだして、それを頼りに、自分を駆り立てるのだ。(ハイデガーなら「比喩」のこのつかいかたを「投企」というかもしれないなあ。)
この「比喩」のシベリアに、和合はさらに「比喩」を書き加える。「一本の凍った木」。過酷な孤独を生きる木。それは祖父の、投企としての「比喩」である。実際に、祖父がその木のことを語ったかどうかわからない。和合がつくりあげたもの--と私は思っているのだが。その方が投企としての「比喩」が強くなる。
そして、このひとかたまりのことばのなかにはもうひとつ「比喩」がある。「比喩」と意識されない「比喩」がある。
「こちらでも戦後が始まったぞ」というとき、和合は「昭和20年」のことを書いているのではない。「いま/ここ」のことを書いている。大震災が起きた。そして、「戦後」が始まったのだ。「戦後」こそが、もうひとつの「戦争」でもある。
「戦後」の「後」は、「事後」の「後」である。「後」になって、すべてはやってくる。「生きる」ということが選ばれ、「生きる」のである。
これは、「比喩」である。
生きるとき、どうしても「比喩」が必要なのだ。「いま/ここ」にはない何かが必要なのだ。
このいわば「美しい比喩」とはまた別のことばの動きもある。
前半は「現実」である。そこには「比喩」はない。ただ「事実」がある。けれど、「震源地は冷蔵庫3段目」からは「事実」とは違ったことが書かれている。ことばでしかありえないことが書かれている。そこで書かれている「震源地」は「震源地」ではない。つまり「比喩」である。でも、この「比喩」はいったい「いま/ここ」をどこへ向かって投企するために書かれているのか。
わからない。
わからないから、そこに詩がある。
きっと、和合も何が書きたいのかはっきりとは言えないだろう。「意味」がないからである。「意味」がないけれど、そう書きたい。「意味」がないから、そう書きたいのだ。一方に「震源地は宮城県沖」という「事実」と「意味」がある。その「事実」と「意味」から、和合地震を切り離し、「いま/ここ」から切り離し、どこかへ投企するためには、ことばの「自由」が必要なのだ。ことばの「無意味」が必要なのだ。そういう「無意味」を借りないことには自己投企することもできないほど、「大震災」の「余震」の「事実」と「意味」は重たいのだ。
自分をある方向へ投げだす。投企する。そのために、ことばはある。
その働きには「比喩」以外の動きもある。
これは「呼び掛け」という形をとった投企である。他者に対して(子どもたちに対して)、こうしたらという投企のあり方を語ると同時に、そこへ向けて和合自身をも投げだしている。投企しているのである。
ことばでできること、そのすべてを和合はしようとしている。なぜか。
「命」が「いま/ここ」にあるからだ。「命」を「いま/ここ」から、未来へとつないでいかなければならないからだ。ことばを語ること、ことばを語ることで、自分自身をことばが語りうるものの方へ、「比喩」となりうるものの方へ、和合は引っ張っていこうとしている。
まず、ことばを先へ投げだす。ことばを投企する。そして、次に、そのことばへ向かって、「比喩(いま/ここにはなけれど、可能性としてありうるもの)」へ向かって、和合自身を投企するために。
「比喩は死んだ」と和合は書いている。けれども、やはり「比喩」は動いている。というか、生きている。ことばは「比喩」になろうとする。「いま/ここ」にないものを書きたがる。「いま/ここ」にないものを書いたときこそ、「いま/ここ」が見えてくるのだ。「比喩」は「いま/ここ」を照らす光なのだ。といっても、それはほんとうは「照らす」ではなく、「いま/ここ」を導く「灯台」のようなものである。「比喩」へ向かって進むとき、その進むという運動なのかで、「いま/ここ」が動きはじめるのである。
あ、抽象的に書きはじめてしまった。--これは、よくない兆候である。きょうは、和合のことばについていくのが少しつらい。和合のことばというにより、私の体調が悪いのである。
「比喩が死んでしまった」と和合は書いていた。その「比喩」ということばが、再び出てくるところがある。
祖父よ。戦地のシベリアの大地はどんな味だったのか。こちらでも戦後が始まったぞ、祖父よ。真冬の比喩のシベリアよ。彼の地は今、どんな風が吹いているか。丘に一本の木が見える。
(52ページ)
真冬の「比喩」のシベリア。それが「比喩」であるのは、祖父のシベリアが「いま/ここ」ではないからだ。和合が、その「いま/ここ」ではない父祖のシベリアを「いま/ここ」で書くのはなぜか。これは私の想像だが、祖父は「真冬のシベリア」を生き抜いたからだ。そのことが、和合にとって「希望」なのである。過酷な時間を祖父は生き抜いた。同じように、大震災の過酷な時間を生き抜きたい。和合は、そう考えている。だから、過酷な時間を生き抜いた祖父の方へと自分自身を引っ張っていくのだ。「比喩」を前方に投げだして、それを頼りに、自分を駆り立てるのだ。(ハイデガーなら「比喩」のこのつかいかたを「投企」というかもしれないなあ。)
この「比喩」のシベリアに、和合はさらに「比喩」を書き加える。「一本の凍った木」。過酷な孤独を生きる木。それは祖父の、投企としての「比喩」である。実際に、祖父がその木のことを語ったかどうかわからない。和合がつくりあげたもの--と私は思っているのだが。その方が投企としての「比喩」が強くなる。
そして、このひとかたまりのことばのなかにはもうひとつ「比喩」がある。「比喩」と意識されない「比喩」がある。
戦後
「こちらでも戦後が始まったぞ」というとき、和合は「昭和20年」のことを書いているのではない。「いま/ここ」のことを書いている。大震災が起きた。そして、「戦後」が始まったのだ。「戦後」こそが、もうひとつの「戦争」でもある。
「戦後」の「後」は、「事後」の「後」である。「後」になって、すべてはやってくる。「生きる」ということが選ばれ、「生きる」のである。
はるか 遠い 森の 奥の 一本の木 心の中の あなた はるかな あなた
(52ページ)
これは、「比喩」である。
生きるとき、どうしても「比喩」が必要なのだ。「いま/ここ」にはない何かが必要なのだ。
このいわば「美しい比喩」とはまた別のことばの動きもある。
緊急地震速報。震源地は宮城県沖。緊急地震速報。震源地は茨城県沖。緊急地震速報。芯見地は岩手県沖。緊急地震速報。震源地は冷蔵庫3段目。緊急地震速報。震源地は革靴の右足。緊急地震速報。震源地は玉ねぎの箱。緊急地震速報。震源地は広辞苑。緊急地震速報。震源地は、春。
(52ページ)
前半は「現実」である。そこには「比喩」はない。ただ「事実」がある。けれど、「震源地は冷蔵庫3段目」からは「事実」とは違ったことが書かれている。ことばでしかありえないことが書かれている。そこで書かれている「震源地」は「震源地」ではない。つまり「比喩」である。でも、この「比喩」はいったい「いま/ここ」をどこへ向かって投企するために書かれているのか。
わからない。
わからないから、そこに詩がある。
きっと、和合も何が書きたいのかはっきりとは言えないだろう。「意味」がないからである。「意味」がないけれど、そう書きたい。「意味」がないから、そう書きたいのだ。一方に「震源地は宮城県沖」という「事実」と「意味」がある。その「事実」と「意味」から、和合地震を切り離し、「いま/ここ」から切り離し、どこかへ投企するためには、ことばの「自由」が必要なのだ。ことばの「無意味」が必要なのだ。そういう「無意味」を借りないことには自己投企することもできないほど、「大震災」の「余震」の「事実」と「意味」は重たいのだ。
自分をある方向へ投げだす。投企する。そのために、ことばはある。
その働きには「比喩」以外の動きもある。
長い余震の後で、私たちは、子どもたちの手を握るだろう。怖かったかい、可哀想に…。もう大丈夫だよ。さらなる余震の後で、また手を握ろう。もう大丈夫だよ…。だから、ね…。私たちの、大人の手を、離さないで。ぎゅって強く握ってごらん。また…。震えている、地も、きみも。
(52ページ)
夜が寒くて、冷たくて、乞わないなら…、誰でもいいから手を握ろう、握り返してくれるよ。もう大丈夫だよ。だから私たちの手を、離さないで。ぎゅっ…て、強く握ってごらん。
(54ページ)
これは「呼び掛け」という形をとった投企である。他者に対して(子どもたちに対して)、こうしたらという投企のあり方を語ると同時に、そこへ向けて和合自身をも投げだしている。投企しているのである。
ことばでできること、そのすべてを和合はしようとしている。なぜか。
緊急地震速報。馬が追う、言葉が追う、余震が追う。緊急地震速報。馬が来る、言葉が来る、余震が来る。何に、何に追われている。緊急地震速報。命、命に追われている。…優しく、優しく…。呟く、祖母の声。命、命が追ってくる。
(53ページ)
「命」が「いま/ここ」にあるからだ。「命」を「いま/ここ」から、未来へとつないでいかなければならないからだ。ことばを語ること、ことばを語ることで、自分自身をことばが語りうるものの方へ、「比喩」となりうるものの方へ、和合は引っ張っていこうとしている。
まず、ことばを先へ投げだす。ことばを投企する。そして、次に、そのことばへ向かって、「比喩(いま/ここにはなけれど、可能性としてありうるもの)」へ向かって、和合自身を投企するために。
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