詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

和合亮一「詩の礫2011.3.1-4.9 」(26)

2011-05-29 23:59:59 | 詩の礫
和合亮一「詩の礫2011.3.1-4.9 」(26)(「現代詩手帖」2011年05月号)

 きのうの日記の追加になるのだが……。(私は目の具合が悪く、長時間パソコンに向かえない。どうしても、とぎれとぎれの感想になってしまうのだが。)

福島の暗い平野を、怒りの速度となって、私は行く。

福島の暗い平野を、怒りの速度となって、私は行き過ぎる。この時、私は野の馬のいななきの本当の意味を知る。

福島の暗い平野を、怒りの速度となって、私は行き過ぎる。この時、私は母の子守歌の本当の意味を知る。

福島の暗い平野を、怒りの速度となって、私は行き過ぎる。この時、私は雨の後の風の本当のソプラノを知る。
                                 (69ページ)

 この部分が美しいのは「意味」ということばが「無意味」だからである。
 「詩の礫」に最初につかわれていた「意味」と比較すると、そのことがよくわかる。

ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。

ものみな全ての事象における意味などは、それらの事後に生ずるものなのでしょう。ならば「事後」そのものの意味とは、何か。そこに意味はあるか。
                                 (38ページ)

 2011.3.16 に、和合がそう書いたとき「意味」は問われていた。「意味はあるのか」は「どういう意味だ」という問いと同じである。「意味」が見出せない。「意味」があるなら「意味」を教えてもらいたい。
 これは和合が体験した大震災に対する怒りである。
 けれど、

福島の暗い平野を、怒りの速度となって、私は行き過ぎる。この時、私は野の馬のいななきの本当の意味を知る。

 と和合が書くとき、和合は「意味」を問い詰めてはいない。「どういう意味があるのか」と質問してはいない。そして、その「意味」を読者に語ることもしていない。「本当の意味を知る」と和合の中で完結している。
 読者が(私が)、「その本当の意味って何?」と問いかけても和合は答えてくれないだろう。答えられないだろうと思う。答えられないこと--それが「本当の意味」だ。
 と書いてしまうと禅問答になってしまう。
 私が感じたのは……。私が和合のことばから読みとるのは……。

福島の暗い平野を、怒りの速度となって、私は行き過ぎる。この時、私は野の馬のいななきの本当の意味を知る。

福島の暗い平野を、怒りの速度となって、私は行き過ぎる。この時、私は母の子守歌の本当の意味を知る。

福島の暗い平野を、怒りの速度となって、私は行き過ぎる。この時、私は雨の後の風の本当のソプラノを知る。

 この三つのことばの塊を読むと気づくことがある。「野の馬のいななき」と「母の子守歌」に対しては「本当の意味」ということばがつかわれているが、「雨の後の風」については「本当の意味」ということばはつかわれず、「本当のソプラノ」ということばがつかわれている。「意味」が「ソプラノ」に変わっている。「意味」と「ソプラノ」は置き換え可能なものなのだ。「ソプラノ」がほんとうの「意味」なのだ。
 「子守歌」のなかには「ソプラノ」が含まれているかもしれない。「ソプラノ」に通じるものがあるかもしれない。高く、透明な、声。「子守歌」は母から子への透明な声で(純粋な声で)歌われる「ラブソング」と考えると、和合が書こうとしいていることに近づけるかもしれない。
 「ソプラノ」を単純に女性の高い声と考えるのではなく、子守歌を歌う愛の声、そして歌われる歌はそのとき「子守歌」という範疇に留めるのではなく、「ラブソング」を「愛の歌」と考えると、和合の考える「意味」ということばの広がりがわかりやすいかもしれない。

ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。

 これは、大震災に「愛」はあるのか、という怒りが発した声である。

ものみな全ての事象における意味などは、それらの事後に生ずるものなのでしょう。ならば「事後」そのものの意味とは、何か。そこに意味はあるか。

 これは、何かが起きるとき、そこに「愛」はあるのか。すべての出来事は「愛」をもっているのか。「愛」は何かが起きた後にうまれるものなのだろう。では、そのとき「事後」とは何? 「事後」そのものの「愛」って何? 「事後」の「愛」はほんとうの「愛」なのか。ほんとうの「愛」は「事象」を起こさないことにあるのではないのか--ということになるのかもしれない。
 しかし。
 和合の怒り、絶望、悲しさはわかるが(わかると簡単に言ってしまっていいものではないと思いながら書いているのだが)、「愛」とはたぶんそういうものなのだ。
 大震災と結びつけて考えると難しくなってしまうが、愛はいつでも、それこそ「遅れて」やってくる。「愛」に気がついたとき、「愛」はどこかへ行ってしまっている。それでも「愛」に意味はあるか。過ぎ去った「愛」も「愛」なのか。--その怒りはわかるが、過ぎ去ったものこそが「愛」なのだ。なくしてわかるものが「愛」であり、なくしたとわかるからこそ、ひとは、そのときから「愛」に目覚めるのである。愛することを学ぶのである、ということになるかもしれない。

 でも、まあ、こんな感傷的なことばを書いているときではないね。それに和合は「ラブソング」ではなく「ソプラノ」と書いているのだから……。

 きのう読んだことばが美しいのは、そこに詩があると感じるのは、「愛」のせいではない。「愛」もあるのだろうけれど、「愛」というようなことばにならないものこそ、美しい。その、「愛」ということばにならない何か--それをどこまで私のことばで語ることができるかわからないが……。
 「本当の意味」ということばが2回繰り返された後、「ソプラノ」のなかに消えていく。「雨の後の風の本当のソプラノ」の「ソプラノ」は「比喩」である。「本当の意味」は「比喩」のなかに消えていく。その「比喩」は、まあ、「ソプラノ」ということばを手がかりにすれば、透明で美しい声、ひとをある高みに誘ってくれる声というものをさすのかもしれない。
 あ、また、余分なことを書いてしまった。
 書き直そう。

 「本当の意味」は「ソプラノ」のなかに消えていく。そのとき、和合は「意味」を考えていない。「意味」をことばにしようとしていない。ここに、美しさの全てがある。
 「本当の意味」ということばを和合は2回繰り返しているが、「本当の意味」を、和合は考えたりはしていない。だから、美しい。
 では、このとき、和合に何が起きているか。和合は何を考えている。
 何も考えていないのだ。
 和合は「怒りの速度」と「なって」福島の暗い平野を走る。走りながら「野の馬のいななき」に「なる」。「母の子守歌」に「なる」。「風のソプラノ」に「なる」。
 怒りの速度に「なる」ということの「なる」という運動が、あらゆる「なる」を引きつけ、ひとつに結晶する。結晶して「本当の意味」と「ソプラノ」は区別がつかないものに「なる」。
 この美しい変化のなかに詩がある。
 怒りの速度となって、の「なる」から始まるあらゆる「なる」につながる詩--野の馬のいななきや、子守歌、ソプラノに「なる」ということばはつかわれていないが、怒りの速度となっての「なる」に全て含まれている。というのも、怒りの速度そのものが「比喩」だからである。
 この「なる」の視点から、また「詩の礫」の最初の書き込みにもどってみると、わかることがある。

ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。

 このときの和合の怒り、絶望、悲しみは「なる」可能性をとざされたこと、「なる」可能性を奪われたことにあるのだ。
 和合は何にもなれない。大震災の直後、ただ「いま/ここ」に自分の命を守っているだけの人間である。無力な人間である。なぜ、こんな無力を生きなければならないのか。ここから、どうやって何かに「なる」ことができるのか。どうすれば「なる」を手に入れることができるか--それを自問していたのである。
 震災直後、和合は「いま/ここ」に「ある」。「ある」けれど「なる」を奪われている。
 和合が人間に(詩人に)「なる」。そのためのことばを探して、和合は書いている。和合が詩人に「なる」とき、ことばは再び生きる(生きるように「なる」)。そして、ことばが生きはじめれば、人と人とのつながりも再び動きだす。動くように「なる」。
 そうした希望につながる「なる」を和合は瞬間的に掴んだのだ。そして、「本当の意味を知る」と書いたのだ。
 「本当の意味」とは「ある」ではなく、「なる」にある。



 付記。
 きょうの「日記」はずいぶん強引なところがあると思う。いつも私は強引に「誤読」するから、今回だけが強引ではないかもしれないが……。
 実は、私は和合の書いた「ソプラノ」を「ラブソング」と読んでいた。(きのう「引用」したとき、「ラブソング」と間違えて引用していた。きょう、あわてて書き直したくらいである。)
 「怒りの速度となって」以後のことばを読んでいたら、私はそう感じてしまったのだ。ほんとうは、正直にそのことから書きはじめるべきだったかもしれない。和合の「ソプラノ」には「ラブソング」と「誤読」させる力がある、と。
 そうすれば、もうすこしすっきりしたことが書けたかもしれない。






現代詩手帖 2011年 05月号 [雑誌]
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豊原清明「ハイク・ラック・中年」ほか

2011-05-29 15:10:35 | 詩(雑誌・同人誌)
豊原清明「ハイク・ラック・中年」ほか(「白黒目」29、2011年05月発行)

 豊原清明「ハイク・ラック・中年」は「自主製作短編映画シナリオ」という断り書きがある。いつもいつも、豊原のシナリオには感激してしまう。

○ 小机(夜・風呂上がり)
  ケータイに貼った「六十のさえない奴がなぜ恋に」の句を映す。
  青いコップに入れた、大量の氷。

 これは冒頭のシーンである。ここに書かれている「情報」は非常に少ない。そして、非常に少ないのだけれど、不思議なことに「過去」を持っている。携帯と、そこに張られた句の関係--これは、どういう関係があるのかわからない。その「わからない」関係を「もの」の力で乗り越えて行く。「不透明な過去」が、いま、そこ(スクリーン)にある--という感じが、とてもいい。
 そして、その「不透明な過去」に「青いコップに入れた、大量の氷。」というこれも「過去」のわからないものがぶつけられる。不思議な衝突。「もの」と「もの」の衝突。そこに、詩がある。映像としての、詩がある。
 途中を省略して、

○ いま使っているケータイに貼っている、「六十のさえない奴がなぜ恋に」
僕の声「なんでこの俳句にこだわるのか? 僕はそれを知りたい。」

○ お父さんとお母さんの写真
僕の声「これが、僕の父と母。迷惑ばかりかけて、すまない。」

 このふたつのシーンでは、映像と音が一致しない。「僕」はスクリーンには登場していない。映像としては見えない。けれど、そこに僕の声がかぶさる。「もの」の「いま」に、「僕の過去」が衝突する。あるいは、そんなふうに見えるだけで、ほんとうは「僕のいま」に「ものの過去」が衝突しているのかもしれない。
 どちらでもいいのだが、この瞬間、私は「もの」と「僕」が、とけあわないまま動いている、動いていくのを感じる。--そして、いま書いたことと矛盾していることを承知で書くのだが、「もの」と「僕」がとけあわないけれど、そのふたつの「出会い」の「場」というものはなぜが強い力で存在している。それが、とてもおもしろい。
 「もの」とか「僕」ではなく「場」というもの、「場」の力を豊原は自然に呼吸し、それをことばにするのかもしれない。

○ 僕の顔を自分で撮り、己の出生をぼやく。(風呂上がり)
僕「(アップ。メガネ面。左側しか映らない。)
 1977年、神戸生まれ、神戸育ち。6月25日生まれ。
 (頭を下げて)今、無職。何もない!(顔を上げる。)
 しゃかいふてきのうしゃと言おうか、自我、自我!これが僕を苦しめる。
 (嘆息)最寄の駅に行くことすら、父付き添いじゃないと、外出できない。
 自我!これが僕を、煩悩に陥れる。そうか…。いっそのこと、怪物になればいいんだ。
 化け物に! なりゃあ、いいんだ。(撮影を切る)」

 ここでは、「僕」は「僕」の過去を語っている。
 映画というのは基本的に映像で語るものだから、こんな具合に「台詞」で過去を語っては、ほんとうは映画にならないのだが、豊原の場合は、映画になってしまう。
 豊原にとっては「過去」はないのだ。--これは、矛盾した言い方、奇妙な言い方だと私は承知しているが……。説明が難しい。
 豊原には過去がない。--とは、豊原にとっては、過去はいつも「いま」に噴出してきているものだからである。「過去」は「過去」の時間にとどまっていない。もちろん、それは誰にとってもそうなのだけれど、豊原は「過去」を「いま」と分離した形で処理できない。(ふつうは、これは「過去のこと」と、頭?で処理して考える。)豊原には「いま」という時間と「過去」という時間があるのではなく、「いま」という「場」があるのだ。「いま」は「時間」ではなく「場」。
 豊原が「僕」を撮っているとき、「いま」という場には「僕」がいて「カメラ」がある。向き合っている。向き合いながら、豊原の「顔」は半分隠れている。カメラに写っているのが「いま」ならカメラからはみだしているのは「過去」ということになるかもしれない。その隠れているものを「ことば」で噴出させる。そうするとスクリーンには「場」に「いま」のおくから「過去」が噴出する形であらわれる。「いま」という時間のなかへ「過去」を噴出させる「場」が、ここに「ある」のだ。
 「過去」が「いま」のなかに噴出したら、時間はどうしても動いていかなくてはならない。その瞬間の「動き」だけを、豊原は書く。「場」の動き--「場」の緊張を豊原は書いている。この緊張を--緊張はまた弛緩・解放であるととらえなおせば、そこから豊原の俳句の世界(遠心・求心)の運動が見えてくることになる。
 豊原のことばは、いわば二重構造なのだ。二重構造であることは、映画のように映像とことば(音)の組み合わせ芸術の方が、より活性化するということかもしれない。だから、豊原のシナリオがおもしろいのだと思う。



 豊原は東北大震災に綱かる詩を書いている。「ひとと海」。その前半。

真っ青な海があった
大震災の夢から
ふと、目覚めてみると
街が呑まれて
世界が・荒地

そんな時、
ふっと、浮かぶひとの顔は
悲痛な顔
けれど
八歳と九歳の男の子と女の子は笑った
先生になりたい
父のようになりたい
その顔を見て
怒りが、さーっと、
引いて行った
その笑顔を忘れたくない
その笑顔を残してほしい
その笑顔は今を一変させた
好きなひとがいることの
手汗の喜び

 「今を一変させた」笑顔。そこに何があるか。「過去」があるのだ。「好きなひとがいる」というのが「過去」。先生になりたいのは先生が好きだから--先生が好きになるという過去の時間があるから。父のようになりたいのは父が大好きだから--父と一緒の楽しい楽しい過去が、子どもにそういわせるのである。
 大震災によっても傷つかなかったこころ。傷つかなかった過去。それが「いま」という時間に噴出してきて「場」を輝かせる。





夜の人工の木
豊原 清明
青土社
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